カラオケ
長かった年末年始休暇も今日で終わりだ。
明日から、再び仕事が始まる。
休暇中は何をしていたかというと、子どもと遊んだり、ビジネス書をたらふく読んだり、長編小説を一本書いたりしたくらいだ。
正月に友だち夫婦が来てくれた。旦那さんの方とはあまり会ったことがないが、奥さんはうちの妻を経由して知り合って主にSNSで交流している。会って話すのは久しぶりだ。今は仕事をしていないが、私が紹介したウェブライティングの仕事をバイト感覚でやっていて、結構楽しいと言う。旦那さんと会うのはもっと久しぶりで痩せたように見えたが、私が単に太っただけかもしれない。まあ、見ていてくれ。正月太りを一気に解消してみせる!(本当ですかぁ?)
今日は休暇の最終日なので、書いた小説を見直してみようかと思ったが、妻がカラオケに行きたいというので、行ってみる。私はポルノグラフィティの「アポロ」、稲垣潤一の「今夜君は僕のもの」、郷ひろみの「おっくせんまん」を歌った。
稲垣と郷ひろみの曲名は覚えていない。稲垣は確か、キムタクと松たか子のドラマの主題歌だったと思う。私は日本の曲はほとんど知らないので、こういうしぶい選曲になる。日本の歌手だと宇多田ヒカルが好きだが、男の声で歌いづらいのでやめた。ああ、そうだ。あと、エヴァンゲリオンの主題歌も歌った。でもカラオケの映像でエヴァンゲリオンが流れたので、子どもの目の前で歌って良いのかと思った。私はエヴァンゲリオンが好きだが、子どもには見せたくなかった。
PS:会社の親しい同僚から、「海外の仕事が決まるかもしれない」という生意気なメールが届いて、「何言ってんだバカ野郎。私だって海外の仕事をしてやる」と思いながら、私の今年の仕事が始まる。
【書評】 みずうみ 著者:川端康成 評価☆☆☆★★ (日本)
- 作者: 川端康成
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1960/12/25
- メディア: 文庫
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陰鬱で地の底を這う蛇のような作品
『みずうみ』は川端康成の中編小説。美しい女を見ると、憑かれたようにあとをつける男が主人公。現代のストーカーのように女のあとをつける桃井銀平の不気味さは、読んでいて背中がざわざわさせられる。陰鬱で地の底を這う蛇のような本作は、読む者の足元を毒牙で噛んでくる。読者は『みずうみ』の桃井銀平のストーキングぶりに嫌悪しながらも、彼の行動やセリフに注視せざるを得ない。そしていつの間にやら、桃井銀平の不気味さの虜となっているのだ。
意識の流れ
私が読んだ『みずうみ』は新潮文庫版で、文庫の背表紙を見ると『みずうみ』は「女性に対する暗い情念を”意識の流れ”を描写」しているとある。その通りで、『みずうみ』は筋道が通った論理的な小説ではない。ストーリーはあたかも川の流れのようで、流れる川の途中に石が止まり、そのために流れが遮断されたり、流れが交差したり、流れが分割していったりする。ストーリー展開がぽんぽんと変化していく様は、まるで夢を見ているかのようだ。
桃井銀平の気色悪さ
桃井銀平の気色悪さは、例えばこんな描写に表れている。彼が風俗に行き、湯女に髪を洗ってもらっているシーンだ。
「あんたの声は、じつにいい声だね。」
「声・・・・・・?」
「そう。聞いた後まで耳に残っていて、消えるのが惜しい。耳の奥から優にやさしいものが、頭のしんにしみて来るようだね。どんな悪人だって、あんたの声を聞いたら、人なつかしくなって・・・・・・。」
こんなセリフは、恋人から言われなければ不気味で、銀平が女に馴れていないというより、女に対する自分の支配や執着の心がそう言わせているのである。その他にも銀平は湯女に、故郷はどこかと聞いたが相手が答えないので「天国か?」と言ったりする。変態のような銀平に読者はぞっとするが、こういった銀平の不気味な描写が執拗に続くと、だんだん読者は銀平の薄気味悪さが癖になっていく。そして、いつの間にか、銀平の不気味さが癖になっているのを発見するだろう。
それと、銀平は元教師なのだが、教え子と恋愛し、しかも肉体関係まで持っているのだ。もう本当に最低な男なのだが、このクズ男ぶりが、やはり読み進めていくにつれて、癖になる。もっと変態で、不気味で、クズっぽさを見せて欲しいと思うようになる。どことなく、桃井銀平が谷崎潤一郎の初期短編に出てくる、女を虐待する男に似ていると感じた。
【映画レビュー】 淵に立つ 評価☆☆☆★★ (2016年,日本)
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カンヌ映画祭「ある視点」部門審査員賞受賞
『淵に立つ』は深田晃司監督の映画で、2016年公開。その年のカンヌ国際映画祭「ある視点」部門に出品され、審査員賞を受賞した。キャストは浅野忠信、筒井真理子、古館寛治等。深田監督は2015年に『さようなら』が東京国際映画祭に出品されるなど、既に国際的な評価を高めつつあった。
浅野忠信の異質な存在感
『淵に立つ』は、殺人を犯した罪で服役した八坂が出所してくるところから始まる。八坂は町工場で働く旧友・利雄の元へ行く。利雄には妻・章江と娘・蛍がいる。利雄は章江との会話がほとんどない。章江はプロテスタントの信仰を持つ。蛍は小学校中学年くらいでオルガンを演奏している。
利雄は殺人者である八坂を理由なく町工場で働かせ、家に泊める。利雄は覇気のない表情で誰に対しても応じて、血が通っていないかに見えるが、それは恐らく、八坂の殺人の現場に立ち会っていたからであろう。そして八坂を理由なく町工場で働かせて家に泊め、食事を提供するというのも、八坂が警察に口を割らなかったことへの罪悪感によるものだ。
ストーリーの中盤で、八坂は蛍に、故意に大怪我を負わせ、家族の元から去って行く。蛍には酷い後遺症が残ってしまった。過去の罪から自分の関係した出来事を隠そうとした利雄に、八坂は蛍を暴行することで払拭することのできない深い印を刻み付けた。
後半は、浅野忠信演じる八坂はほとんど現れない。しかし、八坂が負わせた深い印により、利雄・章江・蛍の家族にとって異質な存在感を持たせ続ける。家族は常に、八坂によって回っている。興信所に八坂の消息を探させている利雄、八坂によって暴行された蛍を介護する章江、そして暴行されほとんど理性がなくなってしまった蛍は、家族は全て、八坂によって常に不安を抱えながら生きざるを得なくなっていた。
安っぽいミステリーに残念
浅野忠信演じる八坂の異質な存在感は凄まじく、物語全体に不安な影を落とす。それは良いが、町工場で働くことになる孝司が、実は八坂の息子だったという展開は過剰だった。
利雄・章江夫婦の会話のない生活、プロテスタントを信仰する章江、にもかかわらず八坂に惹かれてしまう章江の描写などはリアリティがあった。章江と八坂が性交をしたシーンは描かれていないが、相互に、性的に興奮してしまうところはかなりエロティックである。そして八坂による蛍の暴行も真に迫るものがある。
だが、町工場に新しく働くことになった若者・孝司が実は八坂の息子だったというのは現実的ではない。一気に、安っぽいミステリーのようになってしまった。八坂と苗字が違うのは八坂の籍に孝司が入っていないということで説明がつくが、偶然、町工場で働くことになるというのはどうか。
そこまでしなくても、八坂の異質な存在感は、利雄一家に、既に深い影を落としきっているのだし、非現実的なストーリー展開を強制するようで大変残念だった。孝司が町工場で働いているのは良いと思うが彼が八坂の息子である必要はあったのか。罪を犯したのに逃げようとする利雄に、憎い八坂の息子が生活に関わってくるというのは、人工的な罪の押し付けのようで不要な展開だと思った。
【映画レビュー】 闇金ウシジマくん 評価☆☆☆★★ (2012年,日本)
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闇金ウシジマくんとは?
『闇金ウシジマくん』の映画1作目。2010年にてテレビ放映されたドラマ作品の映画化。原作はビッグコミックスピリッツ掲載のマンガ。監督は山口雅俊で、コロンビア大卒の映画監督・プロデューサー。『闇金ウシジマくん』の映画およびドラマ演出・プロデュースを手掛けている。山口による人間の業の深さをえぐりとるような演出がなければ、『闇金ウシジマくん』は成り立たなかっただろう。
キャスト
主演は山田孝之。やべきょうすけ、崎本大海などドラマでおなじみのキャラクターが続投。ちなみに綾野剛、高橋メアリージュン、マキタスポーツ等が出演するのは『Part2』から。
その他、AKB48の大島優子、林遣都、岡田義徳、新井浩文、ムロツヨシ等が出ている。ムロツヨシは安定の大根役者ぶりであり彼が出てくると笑ってしまう。
新井浩文はフードを常に被っている狂った大男の役。山田孝之が出ていた映画『クローズZERO』のリンダマンを彷彿とさせる雰囲気だ。フードを取らないので、声を聞いていないのと新井かどうか分からない。岡田は序盤の出演のみだが、インチキな投資家役で印象を残す。
交差する幼馴染2人のストーリー
大島演じる未来(みこ)と、林演じる純のストーリーが交差する。未来と純は幼馴染である。イベントサークル「バンプス」を運営する華やかな世界に生きる純、ニート生活を送る未来。イベントサークルを成功させる夢を持つ純と、何の行動も起こしていない未来とは、陰と陽のように格差がある。ただし純は、借金を重ねてイベントサークルを維持していて、将来に不安を抱えている青年だ。彼はのしあがるためなら人を蹴落とすことを厭わない若者である。
未来はニートで、出会いカフェで本番なしの疑似デートをしているが、金を積まれても客とはセックスをしないし、売春をしている実母から3Pを持ちかけられても一切応じない。未来と純とは、一見すると陰と陽の関係で、未来は冴えない生活を送っているように見えるけれども、自分なりの倫理観を確保している未来と純とは「明暗が逆転する」ことが予想させられる。
逮捕されるウシジマ社長
純は年齢の割に処世術に長けていて、人脈を使ってウシジマを警察に逮捕させるに至る。ウシジマが逮捕され、釈放されるまでのストーリーが秀逸で、被害届を何とかして取り下げさせるために、ウシジマ・ウシジマの弁護士・柄崎が苦心する。ウシジマの会社カウカウファイナンスは、警察に家宅捜索を受けそうになるまで追い詰められるが最終的には逆転して釈放される。
魅力的に演じ切れなかった大島優子
未来は『闇金ウシジマくん』の中では好意的に描かれている。純粋という程ではないにしろ、確固たる倫理観を持っているがゆえに性は売らないし、金を貸すことはあっても金を借りることはないのだ。純よりもずっと聡明な人間なのだが、大島優子には荷が重すぎたようで、スクリーンに映る彼女から賢さを感じ難かった。知的な賢さというよりも、社会を生き抜くための賢さで、途中で破滅する純よりも聡明である。自分の将来を見通せる広い視野を持っている。ただそれは、未来というキャラクターの持っている人物設定であり、演じる大島がそれを演じ切れたかというと疑問が残る。
表情が一貫して冴えないし、強い意志を持っている人間には見えない。ストーリーの結末は、純がウシジマたちに虐待されて森の中に裸で放置され、未来が細々とではありながらもレストランのウェイトレスとして働くことで将来を見据えるというものだ。だが、未来が金の誘惑に負けずにこられたかについては、大島優子の演技ではあまり説得力がなかったのが残念である。売春をしている実母、しかも娘に3Pを持ちかける異常な母を前にしても、強い意志を持って拒否するような演技を示してもらいたかった。
それには、大島優子の演技力だけではなく、未来という人間の人物設定にも問題がある。彼女が性を売らない、金を借りようとしないという強い意志を持つに至るエピソードが欲しかった。
【映画レビュー】 女が眠る時 評価☆☆★★★ (2016)
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ウェイン・ワン監督について
『スモーク』で有名になった香港出身のウェイン・ワン監督が日本人キャストで撮った映画。『スモーク』で有名になったといっても、『スモーク』は1995年の映画なので、いったいその後ウェイン・ワンは何をしていたのかという気がする。『スモーク』はポール・オースターというアメリカの作家が原作の映画だが、『女が眠る時』もハビエル・マリアスというスペインの作家が原作である。ウェイン・ワンは『スモーク』の他に『ブルー・イン・ザ・フェイス』でもポール・オースターと組んでいる。
私はオースターの小説では『幽霊たち』という小品が好きだ。ただ、『リヴァイアサン』『ガラスの街』なども読んだがいまひとつだった。あんまり好きな作家ではない。
『女が眠る時』の怱那汐里はミスキャスト
この映画ではビートたけしがクレジットの最上位にきているが、本来の主演は西島秀俊でたけしは脇役である。怱那汐里がヒロイン役。たけしが演じる役は、外見がもっと知的な役者の方が良いな。たけしは映画監督としては素晴らしいが、演技力は高くないから別の俳優の方が良かった。西島秀俊は一発屋の作家を演じていて、それなりに上手い。だが彼が服を脱ぐシーンがあるが、あまりにも体を鍛え過ぎていて作家らしくない。三島由紀夫みたい。服さえ脱がなければ細身に見えるし、表情も陰鬱なので作家という感じがする。
怱那汐里がヒロインとしては非常に地味で、顔があまりきれいではない。メイクを濃くするとフィリピンパブのナンバーツーみたいな雰囲気になってしまう。こんな怱那にビートたけしがのめりこんでいるというが、ちょっと、どうなんだろうか。西島秀俊もたけしと怱那の関係を気にするというけれど、気になるかなあ。有村架純あたりが演じてくれたら、上品さの中に妖艶さが垣間見えてエロティックだった。
怱那は、少女の頃からたけしが面倒を見ていて、美しくなり、自分の元を離れようとする彼女を何とかして留めたいという設定なのだが、怱那にそんな魅力はないので拍子抜け。谷崎潤一郎の『痴人の愛』のナオミのような、少女と娼婦とを混交したかの如き存在感がないと物語に没頭できない。