【書評】 芥川追想 編:石割透 評価☆☆☆☆★ (日本)
- 作者: 石割透
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2017/07/15
- メディア: 文庫
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才気煥発の芥川龍之介、35歳で散る
『羅生門』『地獄変』『河童』などの短編で知られる芥川龍之介。彼は『鼻』が夏目漱石に激賞され、若い頃から才気煥発で知られ、古典に取材した数多くの作品を世に出して将来を嘱望されたが、わずか35歳で服毒自殺を遂げた。芥川は遺書に、「将来に対するただぼんやりとした不安」と書き残していた。初期作品は理知的で分かりやすい構造を持っているので、教科書にも載っている。私が初めて芥川の小説を読んだのも、教科書だったと記憶する。
神経質だった芥川龍之介
芥川龍之介作品に対する私のイメージは非常に神経質な作家、という感じである。谷崎は本書中で、水上滝太郎という小説家と芥川のことを話している中で、芥川は小説家に向いていないという話をしている。水上はエッセイストならどうかと言っていたが、谷崎は「エッセイストになったとしても、果たして自己の信ずるところを無遠慮にズバズバと云い切れたかどうか」と考える。続けて谷崎は「森鴎外氏のことをほんのちょっと悪く云ってさえ、あんなに気にしていた」と芥川の神経質なエピソードを紹介する。芥川に欠けていたのはエッセイストとしての「見識、学殖、批評眼」ではなく、「それを発表する勇気」だと言っていて、私はまさに当を得た感じだった。私も芥川の小説を読んでいて感じたのは、神経質で、あまりに理知的で面白味がないという点だった。
あとは、芥川が夏目漱石門下というのも、今ひとつ私が彼の小説に関心を持てない理由かもしれなかった。私は漱石の作品にはあまり感心しないからだ。
芥川は後年、物語性の無い小説を求めた。彼が志賀直哉を評価していたのは有名で、話らしい話の無い小説を書いていた志賀を称揚した。だが私は話らしい話の無い小説が好みではないので、芥川は私には合わない作家だと思っていた。だから、20代以降の私は芥川龍之介の小説を手に取ることなく、時を過ごしてしまった。
芥川龍之介は間が抜けていた?
本書『芥川追想』は、数多くの著名人が芥川龍之介に対する追想を書いている。ほとんどが軽く読める文章である。
上記の谷崎潤一郎の他、盟友の菊池寛、久米正雄、そして芥川が尊敬していた志賀直哉、詩人・萩原朔太郎、自然主義作家・島崎藤村に正宗白鳥、芥川の一高時代の有名・無名の友人や、芥川の家族や家事使用人に至るまで、数多くの人々が書いた芥川の追想が収められている。
私は芥川龍之介には興味がないが、芥川龍之介を知る人々が書いた追想は、非常に面白いと思った。
特に面白かったのは松岡譲という小説家の文章だ。芥川龍之介の文字は非常に汚いと言うことをしつこく書いていて、読むのに苦労したとも言っている。松岡は夏目漱石門下で漱石の娘と結婚している。芥川にはライバル意識でもあったのだろうか?と思うほど変なエピソードをたくさん書いているのだ。
芥川は聡明でお洒落で、それでいてチョット間が抜けており、かなりちぐはぐなところがあったり、非常な文化人であると同時に飯をきたならしく食い乍ら、ペチャペチャ喋るといった様な、一見野卑な一面もあった。
わざわざ飯をきたならしく食いながらペチャペチャ喋るなんていうことを暴露しなくても良いと思う(笑)が、芥川にはこういう一面があったのだろう。松岡は、芥川が「上等でない悪所通い」をやったり「相当なお世辞の安売り」をしたりとか、言いたい放題で面白い。
芥川は碩学なので「他人に知らない」ということは嫌いだったらしい。そして、松岡が「禅の話」をしていた時に、松岡がしゃべったことが芥川が知らないことだった。すると芥川は、「急に目の色まで変えて、一体それは何の本にあるか、とむきになってつめ寄って来た。その喰ってかかりそうな真剣な態度には圧されたことがある」というのだ。目の色まで変えてつめ寄る芥川を想像するだけで笑える。電車の中で読まないで良かった(笑)
松岡の文章には、何もここまで…ということをたくさん書いていて、本書中では一番笑わせてもらった。
恒藤恭による芥川龍之介への思い
感動したのは恒藤恭の文章で、芥川との親交を情感たっぷりに描いている。末尾の「書いてここに至って、私は涙の落ちるのを止めえない」という一文は美しい。芥川の代表作『羅生門』の「下人の行方は誰も知らない」を思い出させた。あとは、芥川の一高時代の友人や、芥川文夫人による「芥川を全く信頼してすごすことが出来」たという文章も良かった。芥川が心中しようと思っていたというのは苦笑させられたが。
詩人・萩原朔太郎の文章も感傷的で楽しいのと、谷崎潤一郎による芥川との芸術観の相違を描いた文章も良かった。一方、志賀直哉は小説も退屈だが追想もつまらない。泉鏡花に傾倒した水上滝太郎の文章も合わない。
【書評】 命売ります 著者:三島由紀夫 評価☆☆☆★★ (日本)
- 作者: 三島由紀夫
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
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『命売ります』における軽快な文章のタッチ
三島由紀夫のエンタメ小説『命売ります』を読んだ。『仮面の告白』『金閣寺』『禁色』等の詩的なレトリックと比べると、いかにも軽く廉い感じがする文章だ。だが『命売ります』が掲載されたのは集英社の「週刊プレイボーイ」だ。中高生の男子諸君なら誰しもわくわくしながら読んだことを記憶しているだろう「プレイボーイ」に、三島由紀夫の小説が掲載されていた!驚かされるが、それゆえにこそエンタメに徹した三島由紀夫の文体の軽快さが小気味良い。『夏子の冒険』もエンタメ小説だが、『命売ります』の方がだいぶ軽い。しかも『命売ります』は、自決の2年前に書かれていたというから、三島の死と比べて考えると興味深い。
2018年1月にドラマ化された。
『命売ります』は文豪再評価のトレンドの中で売れた
『命売ります』はちくま文庫で発売されているが、筑摩書房は2015年7月に突如として7万部を重版した。2015年8月までに累計11万部を発行しているので、半数以上を2015年7月に発売したことになる。映画化・ドラマ化であれば、原作本が再評価され売れるということが分かるが、そういったメディア化がない中で売れるというのは異例。下記URLの記事を読むと、文豪作品再評価のトレンドがあるからという。
記事では三島の『命売ります』の他に、獅子文六『コーヒーと恋愛』(ちくま文庫)も、メディア化とは無関係に売れたことが紹介されていた。2013年4月の復刊文庫化とともに、累計5万7000部を増刷した。私は去年、谷崎潤一郎の長編をほとんど読み、昨年の年末から川端康成と三島由紀夫の長編を読み始めたが、面白いし、文章は大いに参考になる。最近の小説家も良いのだろうが、私はやはり谷崎潤一郎・川端康成・三島由紀夫あたりが好みだな。こういう感じで文豪作品の再評価がなされ、売れ続けていくことを望む。
『命売ります』は日常の倦怠から死を願う男の話
『命売ります』は、主人公の日常に対する倦怠・無聊から死を願うようになった男が主人公。羽仁男(はにお)という名のコピーライターである。
羽仁男は、コピーライターとして上手くやっていて、独立することができるほどの技術とセンスがある。しかしある時、「ああ、世の中はこんな仕組になっているんだな」ということが分かった時、死にたくなったという。これが羽仁男流の日常への倦怠・無聊なのである。三島由紀夫は、日常の倦怠・無聊の描写を繰り返し書いている。『鏡子の家』の冒頭の描写も「みんな欠伸をしていた」から始まっていたが、本作もそういった日常に倦む者を描いている。北野武も、かつて映画で『ソナチネ』において、日常への倦怠から死に場所を探し求める作品を撮っていたが、かつての北野と三島由紀夫とは、案外相通じるものがあったのかもしれない。
エンタメ小説であるから、詩的レトリックは削られ、論理性も控え目なので三島由紀夫が書いたエンタメ小説ということでは注目されるが、それ以上でもそれ以下でもない。エンターテインメントとして突出した物語構成、人物の設定などがある訳ではない。『007』や『ミッションインポッシブル』のように、影の世界で暗躍する男の世界が緩やかに描かれていた。
政治家の街・永田町にはかわいい店がある
かわいい店
先週、久しぶりに永田町に降りて夕飯を食べた。ビックカメラがある方面に降りるとこじんまりとした飲食街がある。道行く人は若い男女が多くて、女のひとはきれいなひとが多い。私は面食いなのでつい見惚れてしまった。
きれいな女のひとが多いのは当然で、瀟洒で落ち着いた店が多いからだ。永田町というとどうしても政治家のイメージを持ってしまうし、政治家御用達の高級店も多いだろうが、私が行った方面の飲食街は、手ごろな値段の店が多い。手ごろで大衆的な店でありながら独自性を出している。アイリッシュバーとか、テラスのあるイタリアンなどが目に付く。こんな店にかわいい女の子を連れて入ったらテンションが上がってしまいそうだ。もちろん妻を連れてくるが。
下品な客引きもある
一方で、かつての歌舞伎町のような客引きがあったのは面食らった。
永田町には男と飯を食べに行ったが、飲み屋への客引きが執拗で、私たちの跡をついてくるのである。思わず「うるせえなこの野郎」と、『アウトレイジ最終章』のチャン会長のような凄味のある台詞を吐いてやろうと思ったが、相手の身長が190センチ近くあったので止めた。
その他、キャバクラへの客引きもあった。「どうですか?キャバクラ」というような客引きはどこにでもあるだろうが、飲み屋と同じで跡をついてくるのだ。歌舞伎町は警察の取り締まりが厳しいのか、あまりこういった客引きに出会うことは少なくなったと感じるが、永田町では普通に行われているらしい。
あとは、同じキャバクラでもセクキャバへの客引きがあったのは困った。「女の子、もろ出しなんですよ!」とか言われて、哀しくなる。何がもろ出しなんだか。そこらを歩いている美女たちに見惚れながら良い気分でいたのに、セクキャバのくだらない客引きのお陰で台無しだ。
やっぱりまた来たくなる永田町
まあ、そういった客引きへのうっとうしさを差し引いても、飲食街全体としては落ち着いていて、店の雰囲気は瀟洒で素敵である。また来たいな。今度は男じゃなく、妻と来たい。
【書評】 夏子の冒険 著者:三島由紀夫 評価☆☆☆★★ (日本)
- 作者: 三島由紀夫
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三島由紀夫のお嬢様小説
『夏子の冒険』は三島由紀夫による長編。お嬢様を主人公とした、恋と冒険の恋愛コメディである。
三島が傑作『仮面の告白』を書いたのが1949年(24歳)で、『夏子の冒険』は、その2年後の1951年(26歳)の時に書かれた。『仮面の告白』のような、唯美的で詩的なレトリックを多用した小説の後に『夏子の冒険』のような、かわいらしい恋愛コメディを書いた。エンタメとしてそこそこに面白い小説になっている。三島にかわいい小説のイメージが全くなかった私は『夏子の冒険』の面白さが意外であった。なぜかわいらしい小説を書いたのか不思議で、執筆当時、子どもが生まれたのかと思ったら、彼は未だ、この年齢時には結婚していなかった。
男に情熱を感じられない
三島由紀夫のパターン化された「倦怠感」は、『夏子の冒険』でも健在で、主人公・夏子は男性に情熱を感じられないでいた。夏子は資産家の令嬢で、かつ美貌の持ち主なので求愛する男たちも多い。しかし夏子は彼らに全く心を動かされないでいる。男たちは夏子を家に閉じ込め、家を守って欲しいというに過ぎないからである。そこでは、永遠の日常が繰り返されるだけだからだ。そしてどこかに、情熱的な心情の持主はいないかと焦がれながらも、ある諦念も持っており、遂に修道院に入ることを決した。これが物語の序盤である。
修道院に向かう船の中で夏子は、井田という青年と出会う。井田は東京在住で倉庫会社の後継ぎである。井田は、北海道で熊に恋人を殺されたことで、熊に復讐するために猟銃を持っている。このことにようやく情熱を感じた夏子は、修道院へ行くことを辞め、井田の復讐の同伴者となるのだった。
理想を追い求めた「夏子の冒険」の終局
井田の復讐に付いて行った夏子は、不二子のような魅力的な女性への嫉妬などもありつつ、井田の復讐の完遂を待ち望んでいく。
井田の復讐という理想があるからこそ夏子は、主婦になって永遠の日常を繰り返すこと(現実)から逃亡することができる。そして、井田が熊を射殺し、遂に理想が果たされた時、井田は夏子に求婚し、家庭の理想を言葉にする。しかしそれは、かつて夏子をうんざりさせた永遠の日常の強要に過ぎなかった。井田に幻滅してしまった夏子は、物語の終盤に、やはり修道院に入ることを宣言した。
夏子は理想を持ち続けることで、現実から逃亡する術を得ていたが、理想はいつか消えていく。完遂、あるいは失敗という形を取って。本作では完遂することで夏子は、現実に引き戻されることを拒み、修道院に入ることを宣言した。修道院を理想とは言うまいが、修道院の方が、いくらかでも非現実性を味わえるからであろうか。情熱を感じる男に従うことで、理想を追い求めた夏子は、井田の復讐が終わるとそのまま現実に戻ることをせず修道院を選んだ。
夏子は未だ若く、現実の生活を続けながら理想の追求ができることを知らない。理想の追求は環境に属していると考えているのは、そのためだ。ゆえに夏子は、井田という男性と行動を共にする環境、そして、修道院で生活する環境といった環境がなければ理想の追求ができないと考えていた。
【書評】 「トランプ時代」の新世界秩序 著者:三浦瑠麗 評価☆☆☆☆★ (日本)
- 作者: 三浦瑠麗,http://www.fastpic.jp/images.php?file=4999730399.jpg
- 出版社/メーカー: 潮出版社
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政治学者・三浦瑠麗
三浦は1980年神奈川県生まれで、東京大学で農学を学んだ後に東大院で公共政策や政治学を学んで法学博士を取得。理系から社会科学に進んだがそれが合っているのだろう。リベラルを自任。現職は東京大学政策ビジョン研究センター講師。
私が政治学者の三浦瑠麗を知ったのは昨年の正月のことだ。テレ朝の「朝生」を見ていて、着物を着ていた三浦が出ていたのを知ったのだった。目鼻立ちがはっきりしていて、見ようによっては美人に見えなくもない・・・という印象だった。
マスクをしていたらドキドキしそうだと思うのと、彼女の冷静な喋り方はちょっと好きかな(笑)まあ、西川史子が美人医師と呼ばれてしまう世の中だから、西川よりは明らかに綺麗な三浦は美人学者と呼ばれるのだろう。あまり同意はしないが。
トランプ大統領誕生後の世界を冷静に分析した好著
実は私は、本書の前に三浦の『シビリアンの戦争』という本を途中まで読んでいて良い本だなぁと思っていた。文章を書く才能に恵まれている。
ただ、同署は、読了せずに図書館に返却したのでレビューには載せていない。最後まで読みたいので借りようと思ったら借りられている。じゃあ他の本にしようかと思っていると本書が目に留まる。それで本書を借りて読んでみると、『シビリアンの戦争』ほどではないが面白かった。
- 作者: 三浦瑠麗
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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トランプ大統領がなぜ誕生したのかから始まり、感情論に走り過ぎることなく、書物に依存し過ぎることなく、特定の思想に偏向することなく、冷静に「トランプ大統領誕生による新しい世界」について分析している。ジャーナリストのようにアメリカに行って取材した文章は現実に迫る緊張感があった。
トランプ勝利の要因
2016年に、アメリカでトランプ大統領が誕生したのは記憶に新しい。その要因を著者は3つ挙げている。
3つ目の「トランプ現象」については、著者は、保守的なレトリックを用いて中道の経済政策を語ることだと言っている。トランプは保守的な発言をしながらも、従来の共和党候補では言えない政策を公約にしていると言うのだ(高齢者福祉については不可侵、公共事業の大盤振る舞い等)。
・トランプを指示した白人層の投票率が大幅に上昇し、マイノリティの投票率が伸び悩んだこと
・世論調査が人々の本音を反映していなかったということ
・トランプ現象の核心を理解できなかったこと
選挙終盤では日本でも報じられているようにトランプの女性差別発言などが取り上げられたが、著者は「トランプ氏は、保守層や白人層を中心にかなりの女性票も集めています」と書いている。
トランプ氏は、保守層や白人層を中心にかなりの女性票も集めています。
思うに、トランプ氏が女性差別主義者であることは、有権者はすでに織り込み済みだったのではないか。それは、現代のアメリカ社会を反映しているにすぎないわけで、リベラルを気取っている識者の中にも、女性差別主義者はいくらでもいます。
トランプが女性差別主義者であることを、アメリカの有権者が織り込み済みという観点は面白い。織り込み済みなら、特に驚くには当たらない訳だ。
足を使って真実に迫る
本書には、著者がアメリカに自ら足を運んで取材した事柄がいくつも出てくる。あたかもトランプ勝利の要因の2つ目「世論調査が人々の本音を反映していなかったということ」の裏付けるかのように、統計データだけではなく自らの感覚を使って、トランプ大統領誕生の背景や、なぜヒラリー候補が勝てなかったのか等を取材をして見ていく。まるで社会学のフィールドワークのよう。
ジャーナリスト顔負けのスリリングな緊迫感があり、統計データは重要ではあるが、物事を深く掘り下げて知ろうとするには、統計に依存するだけでは不充分であることを知れる。政治という社会科学の分野は、数学のように合理的に割り切れるものではないので、真実を知ろうとするには人間の生の声を取材することも必要である。時には、統計データを疑ってみることが必要で、本来、政治には統計と取材の両面性が重要なのであろう。
人種レトリック疲れ
私はオバマがアメリカの大統領になった時、気分的に不安を感じた。というのは、彼は恐らく、「自分は黒人ながら大統領になれた」と言うだろうと思ったからだ。特段に黒人に対する偏見を持っていないはずの私だったが、オバマがこう語ると嫌な感じがした。
そしてオバマは確かに、ことあるごとに「自分は黒人ながら大統領になれた」と言っていたようだった。なぜ気分的に不安を感じるのか、さして考えもしなかったがずっと心にはひっかかっていた。
著者は、いみじくも本書の中で、オバマが「自分は黒人でありながらアメリカ大統領になった」ことを書いている。
そして、著者は、本来人種問題とは言えないはずの問題が、なぜか人種問題に仕立て上げられていくという現象が頻発することに対する人々の嫌気を、「人種レトリック疲れ」と表現する。ああ、なるほど。私の気分的な不安はこれを指してるのか。
白人の警官が黒人の犯罪者を撃ち殺すと、それだけで人種問題となる。
すると白人は「自分は悪い白人の側にいる」とラベリングされたような気になり、黒人も「オレたちは白人に危険視されている」あるいは「虐げられる弱者だ」と認識しがちです。
だからトランプの人種差別的発言が良いとは著者は書いてないが、ただ、アメリカ国民が人種レトリックに疲れているのだろうとは言っていた。確かに、著者が別の個所で書いたように人種問題がビジネスにさえなっているアメリカ社会では、人種レトリックは、確かに人々を疲れさせる言説であるのは理解できるところだ。