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【書評】 初恋 著者:イワン・トゥルゲーネフ 評価☆☆☆★★ (ロシア)

初恋 (光文社古典新訳文庫)

初恋 (光文社古典新訳文庫)

16歳の少年の悲恋物語

『初恋』は、19世紀ロシアの作家イワン・トゥルゲーネフの中編小説。初恋のエピソードを友人に語る、主人公ウラジミールの手記という体裁である。

16歳の少年ウラジミールは、隣人の娘ジナイーダという美しい21歳の女性に恋をする。彼女は美しく聡明で、しかし、コケティッシュで何人かの男の「崇拝者」を持っていた。どんな男も彼女を手中に収めようと試みるが、上手くいかない。ウラジミールもその一人で、ジナイーダを恋い求める。彼女はウラジミールに一定の好意を持っているように見せかけていた。ウラジミールとはしゃいだり、じゃれあったりするのだが、決して心を寄せることはなく、ウラジミールも結局は「崇拝者」の一人に過ぎぬ扱いを受けることとなった。

ある時、ジナイーダが誰かに「恋」をしていることに気づいたウラジミールは、その相手を探っていく。そして突きとめた相手は自分の父親であった。その事実に衝撃を受けたウラジールだが、どうにもならない。自宅では母が父の不倫に感づいているらしく、喧嘩が絶えないでいた。いつしかウラジミール一家は引っ越しをして、ジナイーダと別れることになる。もう二度と彼女に会えないと思っていたウラジミールだが、ある時、父とジナイーダが密会している場面に遭遇するも、その後父は死に、ジナイーダは別の男と結婚した。しかし、ジナイーダは妊娠中に若くして死んでしまう。

年上の女性にあこがれる男子

年上の女性にあこがれるという感覚は、中学・高校くらいの男子であれば、わりと共通して抱いている感覚であるかもしれない。年上の女性というだけであこがれる感覚だ。それを恋といって良いのか分からないが、「初恋」とはそういうものかもしれない。ウラジミールの初恋も、成就しないし、成就したところで大した恋愛には至らなかっただろう。女性との間で、恋愛をするということは、初めての恋でいきなり上手くいく訳ではない。ウラジミールもジナイーダに感情をもてあそばれてしまう。

物語の序盤で、ジナイーダと遊んで、彼女と「王様ゲーム」的な遊びをしているところなど、男の感覚からしたら、恍惚としてしまうが、ジナイーダのような若く、美しい年上の女性は、そういう男の感性を見抜いた上で翻弄するのである。そういったところは『初恋』は上手く描けていたと思う。年上の女性にあこがれる男子が翻弄される様、数限りない失敗等、男子なら誰しも、多かれ少なかれ体験するであろう、多くのエピソードが丁寧に描かれている。

一方、ジナイーダが恋する男が主人公の父という設定は、少女マンガ的というか、父親が恋敵というのは衝撃的なエピソードではあろうが、陳腐さは否めない。ジナイーダのように男を手玉に取る女性というのは、確かに、年上で落ち着いた男性にあこがれがちではあるが、ウラジミールの父親になってしまうと、恣意的に衝撃性を狙ったかのようでリアリティを感じなかった。

過去に愛した人こそ理想の女性

ジナイーダはウラジミールにとって永遠の女性像なのかもしれない。16歳の時にあこがれながら、父に奪われ、しかも、若くして死んでしまったのだから。だが、この結末も恣意的に感じられて仕方ない。演劇的というか、安っぽい感じがするのだ。ウラジミールは、ジナイーダについては悪い感情を抱いていないし、若く美しい状態で死んだことで、詩的に高められているようだ。

だが、ウラジミールは、友人たちにジナイーダに対する初恋を語る時には既に年を取っていて40代になっているのだ。40代になって、昔の初恋を懐かしんでも構わないが、これが至上の恋のような最後の描写は、「現在を至上とする」私には到底理解できないものだった。

【映画レビュー】 ブリジット・ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期 監督:シャロン・マグワイア 評価☆☆☆☆★ (英国その他)

スターウォーズ』も『ハリーポッター』も見たことがない

私はヒットした映画を見逃していることがある。『スターウォーズ』『ロード・オブ・ザ・リング』『ハリー・ポッター』シリーズは未だに見ていないし、ジェームズ・キャメロン監督の世界的ヒット作『タイタニック』『アバター』も見たことがない。上記作品の中で『タイタニック』は見ても良いかな…と思うが、それ以外は今も見たいと思えない。これらに共通するのはSF、ファンタジーというジャンルということだ。アクション映画は大作でも好きなのに、SFやファンタジー大作となると途端に見る気が失せる。食わず嫌いということもあろうから、人生のうちでいずれは見るかもしれないが、今のところは見なくて良いと思ってしまう。映画は数限りなく作られているし、どうせ一生かけても全ての映画を見ることなど出来はしないから、タイミングが合わないと見ないだろう。私が好きなミヒャエル・ハネケ北野武の映画だって、全て見ていないのだ。それらを全て見ていないのに、肌に合わないジャンルの映画など見る訳にいくまい。

この文脈の中で『ブリジット・ジョーンズの日記』を挙げることは、いささか不釣り合いかもしれない。なにしろ稼いだ金の額が違うからだ。『アバター』は27億ドル、『タイタニック』は21億ドル、『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』は20億ドル、『ハリー・ポッター2』は13億ドル、『ロード・オブ・ザ・リング王の帰還』は11億ドルを稼いでいた。しかし『ブリジット・ジョーンズ』は3作品全て合わせても8億ドルにも満たない。わずか1作品で11億ドルも稼いだ『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズとはケタが違うのだ。もちろん『ブリジット・ジョーンズ』だって、1作品平均で2億ドルを稼いでいるのだから、充分にヒットしたといえる。

そして『ブリジット・ジョーンズ』シリーズは恋愛映画なので、私が苦手なSF、ファンタジー映画とはジャンルが違う。そういうこともあって、今回見るに至ったが、『ブリジット・ジョーンズ』作品の初代が2001年だから、シリーズ初見までにずいぶんと長い時間を要したことになる。やっぱり私はヒット映画を見逃しているかもしれない。

40代の独身女性の等身大の姿を描いた良作

ブリジット・ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期』は、英国を舞台にした恋愛映画である。主人公のブリジットも英国人だし、恋人役のマークも英国人だ。もう1人の恋人役のジャックは米国人であるが、英国の文化の中に米国人が入ったという格好である。本作は40代の独身女性の等身大の姿を描いた作品で、コメディの色彩が強いものの、女性の心情を端的に描いていて、見終わった後に静かな感動が訪れる良作となっている。

結婚を焦る独身女性と父親探しの物語

40代となると、結婚を希望する独身女性なら焦るだろう。「早く結婚しなくちゃ」が独身女性同士の合言葉。周りで一人、また一人と結婚する女性が増えていくと焦りは焦燥に変わる。肉体の衰えも気にかかる。若い頃に気にならなかったことが気にかかる。化粧のノリ一つとっても、若い頃とは違う。男性も若い女性に目が行く。40代の私と結婚してくれる男性はいないのではないか?と思う。

ブリジットもそんな女性の一人だが、彼女は二人の男にモテた。一人は行きずりの米国人ジャック。美男子だが、どんな男か全く分からない。彼女は音楽フェスで、間違えてジャックのテントに入り、その場でセックスしてしまう。

もう一人は何年も付き合ったのに結婚に至らなかったマーク。彼は既婚者だが、離婚予定と言っていて、ブリジットはマークとも寝てしまう。

しかし、ブリジットは自分の年齢を考慮して、結婚するなら行きずりの男ではダメだし、何年も付き合ったのに別れ、しかも現在は既婚の男ではダメだ。だから彼女は二人の元を離れるが、どうも体の調子がおかしい。全く生理がこないのだ。まさか?と思って調べると妊娠反応。音楽フェスで一緒だった同僚の女性がおお喜びするが、ブリジットは困惑してしまう。

果たして、父親は誰?ジャック?それともマーク?もちろん避妊はしていたものの、何年も前のコンドームだったので、妊娠に至ってしまったという訳である。

セリフによるギャグの面白さ

ギャグシーンはなかなか面白い。一発ギャグや変顔とか体当たりではなくセリフで笑わせようとしていて、何度か笑ってしまった。

一発ギャグ、変顔や体当たりのようなギャグは、面白いには面白いが、どうしても耐性ができるのが早いので飽きやすいのだ。また、一発ギャグ、変顔や体当たりギャグは、バリエーションを考えるのが難しいであろう。どうしても二番煎じになる。その人の属性になってしまって、異なる一発ギャグや変顔や体当たりギャグをしても、その人の属性との比較になってしまってそんなに笑えない。

その点、セリフによるギャグは、言葉で成り立っているから、バリエーションは考えやすい。むしろ、ある程度バリエーションは底なしといっても良いかもしれない。それと、セリフは言葉だから、それほど属性に縛られることもないだろう。

だから、言葉そのものが面白いのが本作のギャグだけれども、話し方で面白くすることもできる。全盛期のビートたけしの怒濤のような話し方が好例だが、面白い話の構造を更に面白くしたり、あるいは大したことを言っていなくても面白いように感じたりする。

誰が父親か?父親探しと愛の試し

セリフによるギャグの面白さもさることながら、ストーリーも良い。ほんのわずかな期間で二人の男と寝てしまったブリジットは、妊娠を喜ぶ二人の男に、なかなか本音を言えない。言うと落胆するし、そもそも、「誰の子だよ?」と疑心暗鬼になるだろうから。当然DNA検査をして父親を調べることもできるが、ブリジットは検査をしない。父親が誰か?ということは、すなわち、ブリジットの夫が誰か?ということを意味する。二人の男のうち、どちらかを選ばなくてはならないが、夫にふさわしい男を見極めるためにも彼女はDNA検査をしない。

しかし、ある時ジャックが卑怯な行為に出る。マークに対して「自分はコンドームを付けないでセックスした」というのだ。自分が父親という可能性が低くなったことを悟ったマークは、ブリジットの前から姿を消す。

見る者はこの辺りで、マークが夫に選ばれるだろうと予想するが、果たしてその通りになった。卑怯な男は夫には選ばれることはないのだ。

マークは自分の子でなくてもブリジットを愛するといい、結局、ブリジットの愛を勝ち取ることができた。ジャックも似たようなセリフを吐くが、やはり卑怯なことをしない男が選ばれる。

血のつながりがどうのこうのということより、心を込めて愛することはどういうことかを問うているように感じた。この映画には、多様な愛を実践している人物が出てくるが、多様性こそ肯定するのではなく、形式的なものよりも、感情や心情によって愛することを肯定している。

【書評】 美徳のよろめき 著者:三島由紀夫 評価☆★★★★ (日本)

美徳のよろめき (新潮文庫)

美徳のよろめき (新潮文庫)

三島由紀夫の『美徳のよろめき』は、人妻節子の不倫物語である。通俗的なタイトル通り、軽いタッチで描かれている。エンターテインメントに属するものだろう。三島由紀夫は『美徳のよろめき』に限らずエンターテインメントをいくつか著しているが、純文学の傑作群と比べると完成度が低い。純文学の傑作群とは『金閣寺』『仮面の告白』『禁色』『宴のあと』等だが、これらに比肩し得るエンターテインメントには、今のところ出会えていない。『夏子の冒険』『命売ります』などが標準レベルだろうが純文学の傑作群には及ばなかった。だが、それらの作品も『美徳のよろめき』に比べればまだ良い作品なのだろう。

節子の夫だけは面白かったが…

【書評】 官能小説を書く女の子はキライですか? 著者:辰川光彦 評価★★★★★ (日本)

官能小説を書く女の子はキライですか? (電撃文庫)

官能小説を書く女の子はキライですか? (電撃文庫)

私が今まで読んできた中で最低の小説。太宰治の『斜陽』や、鹿島田真希中原昌也の駄本も本作よりはマシである。

設定がおぞましく、処女の癖に官能小説を書きたいとのたまう女子高生、そして彼女と同居する男子高生の物語。亡き母が官能小説家だったらしいが、だからってセックスの経験もない癖に官能小説家になりたいなんて思うか?思ったにしても、官能小説の執筆のために主人公とエッチっぽい体験をする(といってもセックスはしない笑)。エッチっぽい体験に、読者の緊張感を煽ろうとしているのか・・・?
しかも、この女子高生は実父と賭けをしていて、主人公と一緒に通う高校で、男装していて他人から男と見破られないようにしないといけないのだそうだ。

なんなんだ、この設定は。全く理解できない。この設定を許す編集者が理解不能だ。

こんなものがシリーズ化されているとは・・・

ということで、評価は最低の0点(つまり★★★★★)。

【書評】 人口と日本経済 著者:吉川洋 評価☆☆★★★ (日本)

読者に親しみをもってもらうための雑音が邪魔だ

日本経済における人口の問題を取り上げた経済評論。著者は東京大学名誉教授の吉川洋。著者には、経済評論といえども割りと経済学の理論を丁寧に押さえつつ語るイメージがある。私が読んだ著者の本で『今こそケインズシュンペーターに学べ』『デフレーション』のいずれにも共通するのは丁寧な説明である。

しかし本書は全体的に「読者に親しみをもってもらおうとする意図」が感じられる。つまり、ケインズシュンペーターマルサスリカード、ヴィクセルなどの経済学者の理論を引用するに留まらず、夏目漱石シェイクスピア、東洋思想にまで触れているのだ。経済学以外の情報を採り入れることで、読者の歓心を引きたかったのだろうが、雑音のように感じられて野暮ったい印象さえも与える。新書という枠が著者に合わないのか分からないが、いつもの丁寧な説明も物足りないようだ。『デフレーション』みたいな分量で説明する訳にはいかないだろうけど、もうちょいなんとかならなかったかな。

経済成長を決めるのは人口ではない

日本経済における人口問題と聞くと、人口減少が経済の衰退を招くという命題を予想するだろう。実際、著者もそういう文脈を仮定している。しかし本書の主張は、そのような文脈だけでは経済の衰退を捉えきれないということと、人口が減少しても日本経済が経済力を保持することができるということだ。

これは『デフレーション』でも、小泉政権構造改革を論じた『構造改革と日本経済』でも一貫している。もっとも、人口減少が経済に与える影響を無視する訳ではなく、人口減少ペシミズムとでもいうべき悲観論が行き過ぎていることが問題であると断じる。はしがきでタネが明かされている通り、「先進国の経済成長を決めるのは、イノベーション」なのである。

第2章で論じられている通り、「経済成長を決めるのは人口ではない」のである。著者は「日本の人口と経済成長」をグラフを用いて明確に説明してしまう。1870年から1990年までのグラフだが、これを見ると経済成長と人口との相関関係が弱いことが明らかだ。では、何が経済成長を決めるのかというとイノベーションである。

イノベーション労働生産性の上昇をもたらすのか?

イノベーション労働生産性の上昇をもたらす最大の要因である。だから、経済成長を決めるのはイノベーションというより労働生産性であろう。また、イノベーションとは、ハードな技術に留まらずソフトな技術のことも指す。例えば世界を席巻したスターバックスを例に引き次のように書く。

スターバックスのコーヒーそのものに、特別優れたハードな「技術」があるとは思えない。成功の秘密は、日本では「喫茶店」、ヨーロッパで「カフェ」と言ってきた店舗空間についての新しい「コンセプト」、「マニュアル」、そして「ブランド」といった総合的なソフト・パワーにある。

スターバックスのビジネスは、イノベーションというには陳腐な例えのようだと思う人は、アップルのiPhoneiMacでもイメージすれば良い。人口が経済成長を決めないという、人口と経済成長の相関図をグラフで明確に見せられてしまうと、確かに、人口減少したからといって経済成長が鈍化するとは言えないよね、と考えはするんだけど…

でも、イノベーションなのか?というと、本書を読んでも、分かったような、分からないような印象がある。労働生産性という概念があり、これが経済成長を決めるというなら、私にも分かる。その上昇をもたらす要因がイノベーションというと、そういう側面もあろうが、それが最大か?というと、今ひとつピンとこないのだった。毎度毎度、企業がスターバックス的なイノベーションを生み出せる訳もない。

そもそも、業界によってイノベーションがなくても成長していける業界もあるのではないか?新規な商品とかスターバックス的な新しい空間が要らないけれど、成長していける業界はないか?明確にこれとは言えないが、イノベーションありきで経済成長を捉えたくない気がして仕方ない。