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【書評】 ゲンロン0 観光客の哲学 著者:東浩紀 評価☆☆☆☆★ (日本)

ゲンロン0 観光客の哲学

ゲンロン0 観光客の哲学

久しぶりに面白い東浩紀の著作

『ゲンロン0 観光客の哲学』は批評家・東浩紀の著作。東浩紀はたくさんの著作があるが、長年、あまりパッとしない印象だった。サントリー学芸賞を受賞した『存在論的、郵便的』が出版されたのは20年ほど前だが、本書の帯に「『郵便的』から19年 集大成にして新展開」と書かれるほど、東=『存在論的、郵便的』だったのだろうし、私にとってもそうだ。『存在論的、郵便的』の東浩紀という記憶が私の中にずっと残っていて、それで彼の本を読み続けている訳だが、読む本、読む本がおしなべて『存在論的、郵便的』よりも出来が悪いので落胆させられていた。

もっとも、『存在論的、郵便的』のようにいつまでも人の記憶に残る書を1冊書けただけでも、この批評家は優れた書き手なのだろうが、もう少しコンスタントに良い本を書いて欲しいとは思っていた。そういう中で手にとった本書は、久しぶりに面白くて『存在論的、郵便的』に次いで面白い著作になったといえると思う。『存在論的、郵便的』の帯には浅田彰の『構造と力』について言及されていたが、東浩紀はそこから『存在論的、郵便的』を書き、また、『ゲンロン』を書いたということになろうか。書かない浅田彰(あるいは書きすぎる福田和也)よりよほど良いかもしれない。

YouTube東浩紀の動画が見られる

話は変わるが、ニコニコ動画東浩紀が出ていることをネットで知って、YouTubeに転載されている動画を見た。私の中での東浩紀シャ乱Qのまこと(たとえが古いが笑)を知的にした感じで、美形の部類だったのだが、豚みたいに太っていて驚いた。彼も今年で47歳になるので、太ったり髪が白くなったりするのは仕方ないけれども、あまりにも太り過ぎではないのか。2ちゃんねるひろゆきと一緒にうさぎのヘアバンドを付けている姿は衝撃的だったが、しかし、彼が早口で、かつ考え考えしゃべる感じは知的でなかなかいい。

だが、地上波に出ない東浩紀(出たところで、テレビを見ない私が彼の出演番組を見るかどうかは分からないが)を動画で見られるのはありがたい感じはする。昔、10歳くらい年齢の若い知人からゲンロンカフェに行こうと言われて、結局行かなかったのを思い出す。その時は東がゲンロンカフェに出ていて、その知人も東の読者だったので行こうと思ったが、結局行かずじまいだった。もし行っていればそこで初めて、動く東を見られたのだが、そこで見なかったおかげで、YouTubeで動く東浩紀を見られたことの感慨が深くなった訳である。

もっとも、感慨といっても感動という部類ではなくて、希少な動物を見るような感じだ。『ファイナルファンタジー』でレアなモンスターに出会ったような感じでもいい。東は私にとってはレアモンスターなのだった。

【映画レビュー】 ゲット・アウト 評価☆☆★★★ 監督:ジョーダン・ピール (米国)

評論家受けが良い『ゲット・アウト

ゲット・アウト』はジョーダン・ピール監督のスリラー映画である。ピール監督はコメディアン出身者である。映画評論家の町山智浩は『ゲット・アウト』をコメディだと言っていたが、私にはコメディとは思えなかった。終盤の暴力描写がチープなので笑ったが、それは監督の意図するところでもあるまい。

ゲット・アウト』は評論家受けが良い映画で、Rotten Tomatoesでは評論家支持率が99%だったそうである。また、脚本も手がけたピール監督は、第90回アカデミー賞にて脚本賞を受賞している。権威のお墨付きを得た訳である。

私は評論家受けが良いという側面は、鵜呑みにはしないようにしてきた。なぜなら、評論家受けが良いという側面は、参考程度に留めるべきだと思うからだ。つまり評論家が良いという映画が必ずしも面白いとはいえないからである。映画は芸術だから、感覚的に受容するものである。誰がどう言おうと面白いものは面白いし、退屈なものは退屈なのである。権威が人の感性に影響を与えないことはないだろうが、だからといって評論家が絶賛した映画が即、面白い映画とはいえないだろう。そして『ゲット・アウト』は私には退屈だった。

黒人の肉体への強い憧憬と、深い黒人差別

ゲット・アウト』はどういう映画か。黒人差別を題材にしたスリラー映画である。主人公・写真家の青年クリスは、白人の恋人ローズに家に招かれた際に「家族に俺が黒人だって言っている?」と確認するような、黒人差別に敏感な男である。この設定は映画が黒人差別を題材にしていることを明示する。ローズ家に行き、自然に振る舞うクリスだったが、黒人の使用人がいて、彼らの態度に違和感を覚えると、徐々に不安になっていく。そしてローズの母の催眠術により、監禁されてしまう(この催眠術というのが鈍臭くて私は黒沢清の『クリーピー』を思い出した)。

クリス監禁後、ローズ家の住人、そして町の住人は、皆、黒人の肉体に強い憧れを抱いていたことが判明する。白人たちの脳の一部を移植し、黒人の肉体を手に入れていたのだ。しかも、白人たちは黒人への肉体を憧れているとはいえ、人種差別の感情は強く持っている。象徴的なのは、ビンゴゲームだ。ビンゴゲームの商品はクリス。まるで黒人の奴隷売買のような設定なのである。私は、この『ゲット・アウト』という映画は退屈だったが、終盤の陳腐な脱出劇でそう思ってしまったのであって、「黒人の肉体への強い憧憬と、深い黒人差別」は良い設定だったと思っている。

ゲット・アウト』という映画は、「黒人の肉体への強い憧憬と、深い黒人差別」という設定は良いのに、アクションとサスペンスがつまらなかった。心理に迫るような恐怖は描けていなかったし、怖いなと思ったのは、冒頭で、車にシカが衝突した時くらいであった。これではスリラーとして及第点はあげられない。

主人公クリス役の俳優の演技は悪くない。また、ローズ役のおねえちゃんなんかは知的でかわいくて私好みだった。

終盤の陳腐な脱出劇

クリスは耳をふさげば催眠術の影響がないだろうと考え、捕えられていた椅子からはみ出していた綿を耳に詰め込む。クリスを手術台へと運ぼうとしたジェレミーの不意を突いて倒す。ここからは多少の残酷描写も交えたアクションシーンが続く。クリスはアクション映画のスターのように、住人を倒していく。ただの写真家の青年なのだが、ずいぶんと腕っ節に自信があるようだ。

クリスがとにかく強く、誰も敵わない。彼が住人に痛めつけられるシーンはあるものの、アクション映画さながらに勝ってしまう。リアリティのある描写をしたいのか、架空の描写に留まりたいのかよく分からないのだが―――とにかくクリスが強くて、私は興醒めした。腕のひとつでももぎ取られれば、住人とクリスとの間で凄絶な戦闘が生じたと思える訳だが、身体に強烈な痛みを受けるシーンがない。血は流れてはいるのだが………

最後は恋人ローズを運良く倒して、ハッピーエンド。黒人の友だちが運転する車で帰宅するという、なんとも平凡な結末だった。住人で最後まで生き残るのはローズなので、ローズに殺されてしまったらもう少し評価を上げても良い。あるいはクリスがもう少し身体に痛みを受けてくれれば。

【書評】 人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか 編者:玄田有史 評価☆☆☆☆☆ (日本)

「人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか」についての論文集

『人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか』は、労働経済学者の玄田有史編による論文集である。本書のタイトルがそのままテーマにもなっている。テーマ的に執筆者は主に経済学者であるが、他の社会科学からの寄稿もあり複合的な方面からテーマを捉えているといえる。所収されている論文は以下の通り。

●人手不足なのに賃金が上がらない三つの理由
(近藤絢子)
●賃上げについての経営側の考えとその背景
(小倉一哉)
●規制を緩和しても賃金は上がらない
(阿部正浩)
●今も続いている就職氷河期の影響
(黒田啓太)
●給与の下方硬直性がもたらす上方硬直性
(山本勲、黒田祥子)
●人材育成力の低下による「分厚い中間層」の崩壊
(梅崎修)
●人手不足と賃金停滞の併存は経済理論で説明できる
川口大司)
●サーチ=マッチング・モデルと行動経済学から考える賃金停滞
(佐々木勝)
●家計調査等から探る賃金低迷の理由
(大島敬士、佐藤明彦)
●国際競争がサービス業の賃金を抑えたのか
(塩路悦朗)
●賃金が上がらないのは複合的な要因による
(太田聰一)
●マクロ経済からみる労働供給と賃金の関係
(中井雅之)
●賃金表の変化から考える賃金が上がりにくい理由
(西村純)
●非正規増加と賃金下方硬直の影響についての理論的考察
(加藤涼)
社会学から考える非正規雇用の低賃金とその変容
(有田伸)
●賃金は本当に上がっていないのか
(上野有子、神林龍)

以上、15の論文が収められている。

全体的に面白く、特に下方硬直性が良い

全体的に面白かった。特に下方硬直性という概念を扱っている論文が良い(山本勲、黒田祥子、加藤涼)。山本・黒田論文では、賃金が下方硬直的であるがゆえに、経営者は賃金を上昇させることに慎重になる(上方硬直的)という。下げられないから、人手不足になっても容易に賃金を上げられないという訳である。また、あまり理論的ではないが人事に携わる人なら西村純の論文が分かりやすい。これはダイレクトに、賃金制度から賃金が上がりにくい理由について述べられている。

また、巻頭の図表も的確で良い。論文の著者も巻頭の図表を参照しているから、読み終わったあとで図表を見返すとまた違った色合いで迫ることだろう。

【書評】 ゴリオ爺さん 著者:オノレ・ド・バルザック 評価☆☆☆☆☆ (フランス)

ゴリオ爺さん (古典新訳文庫)

ゴリオ爺さん (古典新訳文庫)

才能ある小説家バルザック

ゴリオ爺さん』は、オノレ・ド・バルザックの小説。バルザックの小説を読むのは初めてである。ドストエフスキーもそうだがバルザックも金に困った作家だそうで、『ゴリオ爺さん』にも金にまつわるエピソードがたくさん出てくる。バルザックは作家として本格的に仕事をする前は実業家をやっていて、それがうまくいかなかった。実業家をやりながら小説も書いていたが、商才はなくとも作家としての才能はずば抜けていたのだろう。文庫にして500ページにもなる本書を、バルザックはわずか4ヶ月で書いたというのだ。

バルザックは日本の漫画家の手塚治虫のように、小説にスターシステムを採用していて、1つの作品に出てきたキャラクターが他の作品にも何度も出てくるというから面白い。ストーリー上の関連性はないが、彼が人間喜劇と名付けた小説群の中に、同じ氏名を持ったキャラクターが次々と出てくる訳である。本書の主人公であるラスティニャックは25作品に登場している。ちなみに、他のキャラクターの登場回数は以下の通りとなっていた(本書の解説に記載がある)。

人間喜劇・登場回数ベスト5

1位:ニュッシンゲン(31作品)
2位:ビアンション(29作品)
3位:ド・マルセー(27作品)
4位:ラスティニャック(25作品)
5位:デスパール公爵夫人(24作品)

キャラクターの個性は強く、1度読んだら忘れられないような強い印象を放つ。ストーリーやテーマはドストエフスキーの方が面白いが、このキャラクターの個性の強さは他に比肩する作家がいないかもしれない。キャラクター性で勝負するラノベ作家はバルザックを読んだ方が良いかも……

パリ社交界での出世を夢見るラスティニャックの物語

ゴリオ爺さん』はゴリオ爺さんというタイトルだが、主人公はウジェーヌ・ラスティニャックという男子大学生である。貴族の息子ながらヴォケール館という貧相な館に下宿する身の青年だ。パリ社交界での出世を夢見て、貴族の人妻に近づいたりするが、その中にはヴォケール館の住人の元製麺商人ゴリオ爺さんの娘もいた。娘を貴族の妻にするために、ゴリオ爺さんは身銭を切るのだが、娘たちは自分の境遇が不幸せなので独善的になっているのである。ゴリオ爺さんゴリオ爺さんで、娘たちのことを真に思っているというよりは彼も独善的なのだ。ゴリオ爺さんは「父はこうあるべし」という理念の下に行動し、娘の心情と向き合っている訳ではなかった。金持ちと結婚すれば幸せだと思い込むところに、娘たちとゴリオ爺さんとの心の距離が遠ざかるゆえんだろう。

ラスティニャックは出世を夢見て、貴族夫人の何人かに近づき、その中のニュッシンゲン夫人と愛し合うようになる。この人はゴリオ爺さんの下の娘である。美しい人だが、夫には愛されておらず夫にも愛人がいる。さらに彼女は貴族夫人でありながら金を自由に扱うことができず、不自由していた。ラスティニャックはラスティニャックで、ニュッシンゲンを本気で愛するというよりは出世の踏み台として考える向きの方が強い。しかし彼はニュッシンゲン夫人よりはいくらか人間的で、ヴォートランにそそのかされて金持ちの娘と結婚するような真似はせず、また、ゴリオ爺さんが死の淵に陥った時に甲斐甲斐しく看病するのだった。

ラスティニャックとビアンション

ウジェーヌ・ラスティニャックが極めて魅力的で、ラストの「今度はおれが相手だ!」の名台詞もめちゃくちゃかっこいい。純文学でこんなにかっこいい男を描ける作家はいるだろうか?とすら思えるが、男性の性的魅力に富んだラスティニャックのかっこよさは物語全体を通じて見られる。いくらかっこいいといっても、光源氏みたいに、女たちがラスティニャックに耽溺するという訳でなく、彼が見初めた女と愛するだけである。

ラスティニャックは出世欲が強く、金へのこだわりを見せる。バルザック自身が金に困った作家で借金を背負ったこともあるので、金に執着するキャラクターの描写は実にリアリティがある。金がなければ人は生きていけない訳だが、金が目的となると人間は変わってしまう。ラスティニャックも金へのこだわりは強いが、むしろゴリオ爺さんの2人の娘たちやその夫の方がよほど金にがめつく見えた。そのせいで人間が変わってしまったかに見えるのだ。いかにゴリオ爺さんが独善的とはいえ、自分の置かれた境遇が不幸せとはいえ富裕層への仲間入りをさせてくれたのは、他ならぬ父親のお陰なのである。それを忘れて父親が病弱になっても、見舞いにさえ来ない娘たちの非常さはいかに。

ラスティニャックの友人の医大生ビアンションも面白いキャラクターだ。態度が良くない男で、彼はヴォケール館の住人ではないし脇役にすぎないのだが、リアリズムに徹した口の利き方、全てを見透かしたようなシニカルな思考など、印象に残る人物だった。

……とまぁ、だいぶ褒めちぎってきた本作だが、1点だけ嫌だったのは第1章だろう。とにかく冗長で長い。いつ第2章に進むのかと思ったくらいだった。減点するほどではなかったが…
訳者によるとこの冒頭部分こそが『ゴリオ爺さん』の肝だそうだが、よくわからなかった。

【映画レビュー】 バリー・シール アメリカをはめた男 監督:ダグ・リーマン 評価☆☆★★★ (米国)

危険度の高い仕事

バリー・シールという、CIAに雇われたパイロットの物語。事実に基づく物語となっている。主演はトム・クルーズ、監督はダグ・リーマンである。リーマンは『ボーン・アイデンティティー』や『Mr.&Mrsスミス』などのアクション映画の監督として知られる。トム・クルーズとは『オール・ユー・ニード・イズ・キル』という映画でタッグを組んでいる。同作は日本のライトノベルが原作だった。

本作は、大手航空会社TWAでパイロットとして働くバリー・シールが、安定した地位を捨てて、CIAに雇われて偵察任務に就き、その渦中でメデジンカルテルの麻薬密売の仕事を請け負うなどリスクの高い仕事をするようになるという物語である。CIAでの仕事がニカラグアの反政府親米組織コントラに武器を密輸するようになったり、コントラに密輸するはずの武器をカルテルに売るなど、シールの仕事は加速度的に危険度を増していく。そしてバリー・シールの背後には徐々に破滅が忍び寄っていくのだった。

トム・クルーズの若々しい演技は映画に合っていたのか

トム・クルーズは明るく清潔にバリー・シールを演じている。小柄なトム・クルーズは小汚いシャツを着こなし、小悪党を爽やかに演じてみせた。この爽やかさは格別で、トムは飛行機に乗るシーンが多いのだが青年のように見えるので、出世作トップガン』を思い出させるほど。ビデオで自撮りしてメッセージを録画している姿には、デート前かアマチュアバンドのコンサート前かのような可愛らしさがある。五十を過ぎているのに、この爽やかさ・若々しさは貴重であろう。単に身体を鍛えているだけでは、ここまでの若々しさは保てまい。

トム・クルーズの若々しい演技は、しかし、この映画には適していたのか?という疑問も湧く。私はトム・クルーズのファンだけれど、もう少々、彼の演技には狡猾さが表れても良かった。

安定した地位を捨てた理由が不明

本作は演出が今ひとつで、バリー・シールがなにゆえ安定したパイロットの職を捨ててまでCIAや密売の仕事に手を染めたのか分からなかった。元から金に貪欲だったのか、パイロットとして働く過程で金に執着するようになったのか(パイロットは高給のため)、説明が不足していて分からない。だから、映画と見る者との間の距離は開いたままでなかなか溝が埋まることがなかった。バリー・シールはルーシーという妻を愛しているのだが、彼女は金を夫に無心する訳でもなかったし、むしろ安定的なパイロットの妻としての地位に満足しているようだった。いったい、バリー・シールはなにゆえ安定した生活を捨てる必要があったのか不明なのだ。

だから彼が映画の最後で死んでも衝撃を受けることはないし、安定した生活を捨てる理由がないままに行動していくバリー・シールの姿に、理解を示すことができないまま、映画のエンドロールを迎えた。