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その男、凶暴につき

ビートたけしの「その男、凶暴につき」を見た時、俺は、これまで見たことのない、リアルな暴力映画だと思った。

映画「その男」には、平凡な顔をした男たちが出てくる。およそスター性に欠けた顔の男たち。
ビートたけしにしても、芦川まことにしても、白竜にしても、そこら辺にいるオッサンに見える。
そいつらが画面の中でいきなり暴力を振るう。それって、月並みな言い方だが、日常生活を送っている我々の中に暴力性があり、それが突出する瞬間があるっていうことだ。

暴力映画の男たちって、かっこよくてスター性がある。
例えば、「その男」を監督する予定だった、深作欣二仁義なき戦いにしても、キャストに対して、憧れるくらいのかっこよさを感じる。
たけし自身の、後年の作品「アウトレイジ」も、いくらヤクザ世界を醜く描いたといっても、キャストにかっこよさは消えていない。椎名桔平演じる水野とか、中野英雄演じる木村とか、ヤクザの美学を感じてしまう。そして、この人たちの顔には、平凡さを超えたスター性がある。

それに比べて、「その男」のたけし=我妻の平凡さはどうだろう?
刑事という、会社員よりは暴力に身を置きやすい職業とはいえ、特に体つきがガッシリしている訳でもないし、椎名桔平みたいな華がある訳でもない。
スカーフェイスのアルパチーノの様に、怒鳴り散らしているだけでカリスマ性を感じることもない。
淡々とした、たけしの演出によって、没個性的な我妻は、少し風変わりであるが、そこらへんのオッサンといった風貌だ。
そんなオッサンがいきなり殴る。
そして、殺し屋の口の中に銃口を突っ込む。
殺し屋の雇い主を射殺する。

こういう平凡な男が、何らのスター性も持たないままに暴力を振るい、殺人を犯すというのは、俺たち日常生活を生きる者の心底に、表面に出てくることは稀だが、確かに暴力性が潜んでいることの投影の様に感じられてならない。