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ももでちっそく

書評・映画レビューが多くなってきましたが、雑記ブログです。口が悪いので酷評することも多いです。すきなひと、さーせんね。

多崎つくる

村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』(なんてダサいタイトルだ!!)を読んでいる。単行本で370ページの長編だが、300ページまで読んだ。あともうちょいで読み終えられる。

読んだら感想を書こうと思うが、どうしても許せないというか、シックリこない表現があるので、日記に書いておきたい。こういう表現を使うから村上はリアリティに欠ける。

 

・ボーイフレンド、ガールフレンドという表現

俺のお袋は60代だが、この表現を使う。「あんた、ガールフレンドできたの?」みたいな感じで。

しかし俺の同世代でこの表現を使う時、”強調”として使っている。普通なら彼氏/彼女、あるいは彼/彼女しか使わないのだが、そういう直截的な表現を使うのが照れくさい時や、敢えておどける時に、ボーイフレンド/ガールフレンドという表現を使うのだ。だからもう既に、こういう表現は死語なのだ。

 

にもかかわらず本作では当たり前のように使われていて、誰も違和感を挟まない。もちろん地の文において、村上自身も指摘しない。

そしてその表現を台詞として使う者たちは、30代の男女なのだ。俺のお袋は60代。この30年以上の差を埋めるものはない。埋められない差を無しにして、村上はキャラクターにこの表現を使わせる。

 

何ともリアリティがない。こういう表現を平気で使ってしまうところに村上のダサさがある。センスの悪さを感じる。流行作家と言われればそれまでだが。


・ハンサム

これもボーイフレンド/ガールフレンドと同じで死語だ。俺のお袋が偶然にもガールフレンドと同じく多用している言葉だ。

これを、キャラクターの台詞で使うところがダサい。


そして村上は、自分は変な顔をしている癖に、主人公を美男に設定することが多い。何でだよ?願望か?


この作品でもそうだけど、モテ過ぎ!

 

・「~かしら?」あるいは「~わよ」

どうしても村上は女性は女性らしい言葉を使わせたいようだ。いや、俺もそれには異を申し立てない。女性は女性らしい言葉を使うだろうし、そうじゃないと意味の分からない「マッチョな女性の物語」になってしまう。それこそ違和感だらけだ。俺の子ども時代によくいた(あなたの子ども時代にもいませんでしたか?)、「僕」だの「俺」だのという自称をする女性に笑ってしまうように。

だけど、現代に生きる30代の女性が、「~かしら?」だの「~わよ」だのといった言葉を使うだろうか?出てくるのは旅行会社に勤める30代の女性だ。あるいは陶芸を作る30代の女性だ。

 

こんな言葉が、まるで違和感なく使われているところを見ると、あたかも、村上が嫌いな三島由紀夫の小説を読むかのようだ。

こういう言葉の変なセンスが、村上の小説を必要以上にダサくしている。

 

 

ただ、肝心の物語の方は、悪くない。村上は物語の展開に長けていると思っているので、相変わらず手際が良い。器用な感じもしないから、いやらしくない。