好きなものと、嫌いなもの

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義弟の夢

俺の義弟(15歳)は、自動車関連の仕事に就きたいらしい。技術者になりたいということだ。これは中学に入ったあたりから言っているので、嘘ではない。それで工業高校に行きたいと言う。本来的には大学を出た方が良いけれど、「勉強が嫌い」でどうしても大学まで勉強を続けられないのだから、仕方がない。無理に勉強をする必要はないのだ。

 

理系の勉強が苦手というが、そんなんで自動車関連の仕事に就けるのか疑問だ。しかしながら、要は「自動車関連の仕事に就きたい」という思いが重要である。勉強などは後からいくらでもできるようになる。「思い」がなければ、成績の良さをどこにも活かすことができない。

 

そういう意味では、義弟の思いがあれば、そのためには工業高校の勉強はできるようになるだろう。思いだけでは就職できないことを知るだろう。就職のためには勉強をしていなければならない。むしろ成績が良くなければならない。

 

あくまでも勉強ができることというのは、夢を叶えるための手段だ。

 

勉強ができることが目的になると、何になって良いか分からない人間になってしまう。大学に入って初めて就職先を考えるという、愚挙を犯す。どんな仕事に就きたいか分からないなら、大学に進学する必要はない。学費の無駄だ。別に高卒で構わない。

 

どうして医学部や看護学部など専門職コースでないと、就職先を考えられないのか?「こういうコースに進みたい」から大学に進学するのでなければおかしい。勉強ができることが目的になると、こんなふうに、何になって良いか分からない人間になるのだ。

 

そういう意味で言えば、義弟は、こうなりたいという夢がハッキリしている。であればこそ、工業高校に進学したいという。

 

今は勉強ができないかもしれない。しかも理系の勉強が苦手かも知れない。大学入試ではないので、工業高校の入試は易しいだろう。しかし自動車関連の会社で技術者になるということは、入学後の勉強をがんばらねばならない。苦手な理系の勉強を克服せねばならない。

 

しかし思いだ。思いこそは目的である。

思いさえあれば、手段は後からついてくる。手段とは勉強だ。勉強はいつでもできるようになる。その手段を携えて、夢を叶えることができる。

 

義弟の夢を、俺は応援したい。