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ももでちっそく

書評・映画レビューが中心のこだわりが強いブログです

ブラックユーモアを愛するあの人に

今週のお題「プレゼントしたい本」

 

プレゼントしたいというのは、誰に向けてプレゼントするのかということから考え始めるものですが、俺の場合は先に本が出てきます。

最近お気に入りの本は、本といっても絵本で、それも成人向けの絵本です。エッチなシーンはありませんが、そのかわり殺人シーンや暴力シーンが描かれています。それも、対象はほとんど子ども。

ここまでキーワードを出せばその絵本が何か読書好きの方は分かると思いますが、たまたま図書館で手に取ったその絵本が、例のエドワード・ゴーリーであったのは言うまでもありません。

エドワード・ゴーリーの絵本は、絵本というよりも絵の描いてある詩集といった趣がありますが、米文学者の柴田元幸氏が翻訳を務めておられます。彼が翻訳したアメリカの文学を読んで日本語で原書を読めていると錯覚してしまいそうな、そんな自然な文体で描かれていることに驚きを感じた人も多いでしょう。

その柴田氏が翻訳したエドワード・ゴーリーの絵本は、凝ったストーリーがある訳でもなく、そこには陰惨な子どもの死が、しかし意外とユーモラスに、描かれていることを知るでしょう。それは柴田氏の翻訳のお陰であることが大きいですが、オリジナルを書いたエドワード・ゴーリーの言葉の選び方、ストーリーの創り方に、柴田氏が翻訳者として寄り添って、できるだけ日本語として自然な形でしかも原書の雰囲気を崩さずに訳していることの素晴らしさが功を奏しています。

 

エドワード・ゴーリーの「陰惨な子どもの死」を描いた絵本として最も分かり易いのが『ギャシュリークラムのちびっ子たち』で、これは、ABCからZまで、子どもたちの頭文字をアルファベット順に並べられた、「子どもたちのそれぞれの死」が描かれます。19世紀のヨーロッパの画家が描いたかのような、オスカー・ワイルドの『サロメ』の挿絵(ビアズリー)を思わせるような、線が細くて細かい絵と共に、「Aはエイミー階段からおちた」「Bはベイジル熊に殺られて」等々といって、初めから最後まで子どもたちの死が淡々と描かれています。顔は苦悶を浮かべはするものの、過度にリアリスティックになることなく文の挿絵のように描かれているので、こちらもブラックユーモアを愉しむだけの余裕を残すことができます。

26人の子どもの死を淡々と描くことで、一瞬の死を衝撃的に捉え、グロテスクでありながらもユーモアを失うことなく読者の前に提示されていく様は、自分の中に潜む暴力性・嗜虐性といったものを浮かび上がらせるのに最適な絵本です。

 

 

もうひとつ俺が好きなのが『不幸な子供』です。これはストーリー性がある絵本ですが、ストーリー性があるだけに残虐性は『ギャシュリークラム』よりも増しています。アマゾンの商品説明にストーリーのあらすじがありますので、以下に抜き出します。

 

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ある日、軍人の父親にアフリカ行きの命令がきた。それが、主人公シャーロットの不幸のはじまりだ。以来、父の戦死、落胆してたちまちやつれ死ぬ母、ただ1人頼みの叔父は、こともあろうにレンガの落下で脳天を割られ、あっという間に孤児になるシャーロット。寄宿学校へ入れられるが、そこでもいじめられて脱走、悪人の中へ。ところが、死んだと思われていた父が生還。あろうことかそれがさらなる不幸のきっかけになろうとは…。

***

 

結論が書いてありませんが、生還したと思った父がシャーロットを探すため走らせていた車に、シャーロットは轢かれて死んでしまうのです。なんだか、藤子不二雄Aのブラックユーモア短編集を読んでいる気になりませんか?なんでこんなに残酷な物語を見せるのか?作者は狂っているんじゃないか?そう思って毛嫌いする人がいると共に、人間はしょせん狂っているもの・・・と断じる人が他方ではいます。俺はあきらかに後者です。ブラックユーモアを楽しめるという人は、言うなればそういうことです。

 

さあ、エドワード・ゴーリーの絵本は、誰にプレゼントするとしましょうか。やはり、俺の近しい友人であり、女性でありながら暴力映画が大好きな、皮肉屋の彼女に、しましょうか・・・。

 

 

ギャシュリークラムのちびっ子たち―または遠出のあとで

ギャシュリークラムのちびっ子たち―または遠出のあとで

 

 

 

不幸な子供

不幸な子供