好きなものと、嫌いなもの

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目立ちたがり屋の小池さん

小池都知事の何が悪いというのでもない。何が悪いとも良いとも、俺は分別する術を持っていないからだ。

しかし何だろう、ただ漠然とした不安のようなものが、小池都知事に対して感じる。それは、小池氏が都知事選に出馬した時のイメージが良くないからだ。そう、悪いとハッキリ断じるほどでもなく、無論良いと言うまでもなく、良くないという程度の言葉を使いたい。

 

小池氏が出身の自民党との協調を無視してまで、先行して都知事選に出馬したことに、氏の政治手腕の確かさを見るのか、どうなのか。結果として都知事選に勝利したのだから政治手腕があると見るべきなのかもしれないが、どうも俺には、小池氏が単に都知事になりたかっただけのように思えてならない。

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 ↑小池百合子都知事

 

小池氏は何ができるのだろう?単に目立つということ以外に、何があるのか?どうも分からない。俺の中で小池氏といえば環境相時代に「クールビズ」を推進したことと、防衛相を務めたがあまり業績を残し得ずに辞めたことだ。しかしそういうキャリア以上に、小池氏につきまとうイメージは、「上昇志向」である。これが払しょくできないので、目立つこと以外に何ができるのかが俺の中で判然としない訳だ。

 

小池氏は、長く国会議員として小沢一郎氏の側近だった時代を経て、決別、保守党に入り、遂には自由民主党に参加したのだが、現在から振りかえると、最初は新進党という小さな政党からのスタートであったが、結局は自民党に入党したことで、権力への志向を窺わせる。もちろんそんな議員は小池氏以外にもいるだろうが、繰り返すように、現在から振りかえるとそんな気がしてならぬのである。小沢一郎氏の側近とされながら、決別して、遂には与党に入党する小池氏の動きは、活躍できるところ=小沢一郎氏のいる新進党という小さな政党を見定めて、力を存分に蓄えて、自民党に近づけるチャンスがあればそれに飛び乗っていく。そして更に力を溜める。どうもそんな感じがしてならない。

 

さて小池氏は、自民党に入党後、2003年には小泉内閣において環境相に任命され、現在まで続く「クールビズ」の推進に大きな役割を果たしている。そして2006年での防衛相就任を経て、2008年には自民党総裁選への出馬まで果たした。ここで麻生氏に勝っていたら日本の憲政史上初の女性首相が誕生したかもしれない。(クリントン候補よりも早く・・・)

 

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 ↑クリントン米大統領候補

 

そして潮目が変わったのが2016年。舛添氏の辞任に伴い、都知事選に出馬し、かつての上司である小泉純一郎元首相の模倣をして、都知事になったら「冒頭解散」をして都議会を壊すと(自民党をぶっ壊すと同様に)発言した。無論、都知事に都議会を解散させる権力はない。そんな権力がないことがメディアで報道されることよりも、「冒頭解散」をして旧態依然とした都議会を壊すイメージを作ったことで、小池百合子候補は「改革者」の印象を植え付けた。勢いに乗った氏は、増田ひろや候補をものともせず選挙戦を戦いぬき、当選したのである。

小池氏に反発する都議会や石原伸晃氏らは、小池氏が選挙に勝つための格好の素材であった。つまりそれは、小池氏が改革者として立ち振る舞う時、仮想敵として現れる「旧弊なもの」の象徴として存在するものでしかない。その意味で、小池氏が勝つための素材でしかない、と言い得る。

有権者は、小池氏を古いものを壊す改革者として認識し、都議会を壊される古いものとして認識する。都議会や石原氏、そして彼らに担がれた増田ひろや候補に勝ち目はないのである。

 

しかし、小池都知事の政治的手腕はよく分からないままだ。冒頭に書いた通り、わざわざ自民党との協調を断ってでも都知事になる必要性が分からない。これまでのキャリア、小沢氏の新進党にいたかと思えば、与党の自民党に移る。どこに行けば自分が権力を追求できるか・・・小池氏には上昇志向を強く感じる。

何らかの政策によって、小池氏が都知事になったというよりも、仮想敵をうまく作って、マスコミを活用して、まさに小泉劇場ならぬ小池劇場を作り、安っぽくならぬように大衆を先導する。たかがポピュリズムにしか見えないのは、気のせいだろうか・・・どうも小池都知事を見ていると、漠然とした不安ばかりがもくもくと湧いてくるのを、抑えることができない。