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ももでちっそく

書評・映画レビューが多くなってきましたが、雑記ブログです。口が悪いので酷評することも多いです。すきなひと、さーせんね。

【書評】 ゴースト 著者:ウィリアム・バロウズ 評価☆☆☆★★ (米国) 

■敢えて不安を受け入れよう

 

久しぶりにバロウズの小説を読んだ。読んだのは『ゴースト』という本。

ゴーストというのは幽霊とか魂とかのことだが、この小説ではメガネザルのこと”も”指す。メガネザルは決して殺してはならない禁断の動物として、描かれる。

 

例えば、我々が、精神とは何かと問うた時に心と言い、あるいは身体という外的なものに対する内的なものと言っても良い。しかしそれを、カメレオンのことも意味すると言ったらどうなるか。そう、『ゴースト』のように。意味が分からない感じがするであろう。何かしらの不安が、この精神という言葉を前にして生じる心理だろう。しかしその不安を、敢えて飛び込むか、いやいや受け入れるかでは、感じが全然異なる。

 

小説を読んでいて奇妙な感じがするのは、バロウズ流に、本書に理路整然としたストーリーがないからというだけではあるまい。通常意味するはずのないメガネザルという動物が、ゴーストの意味にも通じてしまうと定めた時、小説『ゴースト』は我々を奇異の方向へと導き出す。その方角は対象の解体ではなく、単に、ゴーストが「通常意味するはずのない意味」を持ち、我々の前に現れるというだけだ。しかし現れるという「だけ」にしては、メガネザルをゴーストの意味に定めることで、しかも殺してはならない禁断の動物として描き出すことで、我々を不安にさせる。ただしその不安は、バロウズを読む私たちにとっては意図的なものなので、不安によって読者の精神がふらふらと揺らぐことはない。

 

それと、ミッション船長という一応の主人公がいながら、そのメインストーリーを追うことなく、ストーリーは傍流に傾き、メインストーリーと行きつ戻りつすることなく、マダガスカルや反キリスト等の描写が、無意味のように垂れ流されていくのを読むと、ゴーストという不安な存在と共に、ストーリーによっても、我々は不安になる。そして、繰り返すようだが、その不安は私たちにとっては意図的なものである。バロウズの小説『ゴースト』を読むことは、意図的な不安に陥ることである。従って更に繰り返すが、読者の精神はこの不安によって揺らがない。むしろ嬉々とする。快楽のような不安である。

 

そういった、むしろ嬉々とするような不安を、ゴーストという言葉と共に、ストーリーによって味わわされることで、読者は『ゴースト』に執着的な快楽を求める。それは確かに気持ちいいはず。再読せざるを得ない気持ち良さである。

 

 

ゴースト

ゴースト