【書評】 ジャンキー 著者:ウイリアム・バロウズ 評価☆☆☆☆☆ (米国)
- 作者: ウィリアムバロウズ,William S. Burroughs,鮎川信夫
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2003/12
- メディア: 文庫
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ウィリアム・S・バロウズのデビュー作『ジャンキー』は、バロウズがジャンキー(麻薬中毒者)たる生活を淡々と、シンプルに描いている小説だ。そして本作には、ジャンキーであることによる負の側面は一切描かれていない。例えば、「麻薬中毒になることで家族の崩壊するによる悲劇」、「犯罪に手を染めたことによる悔恨」等は描かれていない。そういう意味で本作は倫理とはかけ離れている。
ジャンキーであったバロウズが負の側面を描くことで、『ジャンキー』は、倫理的な社会から、「自身の麻薬中毒の具体的な経験を元に、負の側面をリアルに描ききった小説」として称賛されたかもしれないのに、バロウズはそういう描写をしない。
あるいは、ジャンキーであることの善の側面さえも描かれていない。ジャンキーに善などあるのかというところだが、麻薬を肯定する考えをもって小説を書くということだ。そうすれば、その小説は反倫理的であることで、倫理と関係する。しかし『ジャンキー』に麻薬やジャンキーを肯定したり賞賛したりするメッセージは見られない。
従って、『ジャンキー』は、倫理との接点を断っているかに見える。しかし本作はそもそも倫理といったことから離れて、ただ独自に、ジャンキーの生活を描くに徹する。それはリアリズムなのか?と問えば肯けるし、否定も出来る。なぜなら、リアリティがあるといえばあるけれど、作者がリアリティを目指したかは別の話であるからだ。本作は、単に、ジャンキーの生活を描いただけであり、そこに社会性も倫理性も感じられず、ということは、社会性や倫理性に対して反旗を翻した訳でもないということだ。シンプルに何にも共鳴することなくジャンキーの生活を書ききるということ。そこに本作の高い価値が存する。
そうであるから、『ジャンキー』を読んで何か、麻薬に対する抵抗を読み取ったり、あるいは逆に麻薬を賞賛する態度を読み取ることが出来ない。倫理的でもなく、社会的でもない『ジャンキー』は、バロウズの自伝的小説としてそこにあるだけだ。バロウズは妻殺し、おかま、カットアップ、フォールドインの創作的技術等、話題には事欠かない作家だ。その特異性の系譜の中に、本作の価値がある。
本作は、読んでみれば淡々としたジャンキーの生活を描いているだけである。しかし否定にしろ肯定にしろ、麻薬や麻薬中毒者に対する価値観が読み取れないところに、本作の固有の魅力がある。本作は、ただ単に、倫理性や社会性から離れてジャンキーの生活を描いている。その淡々とした異様さが他のどのドラッグを扱った小説や映画等のストーリーにおいても本作が孤独に屹立していることを証しするのである。社会性や倫理性を求めずに本作を読めば、読者は、言い知れぬ存在感に、圧倒されることであろう。
本作は読者を悪へも善へも誘わない。誘って欲しいと考える読者を排除する。シンプルにドラッグを扱うストーリー、芸術の中でしぶとく立っていること。それが本作における存在意義の表れとなる。