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【映画レビュー】 奇跡のひと マリーとマルグリット 評価☆☆★★★ (フランス)

奇跡のひと マリーとマルグリット [DVD]

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奇跡の人といえばヘレン・ケラーとサリバン先生だが、こちらはフランスに生まれた実在の人物マリーとマルグリットの物語。マルグリットは修道女で、耳と目が不自由なマリーが修道院にやってくるところから物語は始まる。
修道院は聾者が生活しているが、目の不自由な聾者はいない。修道院はマリーの受け入れに難色を示すが、マルグリットは使命とばかりに賛成する。初めは大暴れして手のつけられないマリーだが、マルグリットの努力により手話を覚えるようになっていき、相手の言っていることも分かるようになり、自分でも手話で会話できるようになる。
映画の途中で、マルグリットは不治の病におかされていることが分かる。それでも尚マリーに言葉を教え、人とコミュニケーションできる幸せを教えてやる。

『奇跡のひと』は、感動的な映画にしようと思えば出来る題材が集まっているのに、事実を集めただけのストーリーとセリフ回しとなっていた。

だから、俺は、前世がキリスト教徒だったのではないかと思うくらい、キリスト教の映画に弱いが、今回は泣けなかった。あまり叙情的な映画になっていないからだ。キリスト教の言葉も随所に出てくるが、叙情的には使われていない。そしてマルグリットがキリストの代理のようには描かれていない。『レ・ミゼラブル』のように犠牲も描かれていない。単にマルグリットは頑張ってマリーに言葉を教えたというようにしか描かれていないのだ。これでは俺を泣かせることはできない。...って、なんだよそりゃ(笑)

ノンフィクションらしく忠実に描いたといえばそれまでだが、事実は小説よりも奇なりというけれど、全ての事実がそのことわざにあてはまる訳ではなかろう。何かを付け加えなければ、面白くなるものも面白くならない。何だってこういうことが分からないのだろうか?

『奇跡のひと』が修道院を舞台にした作品なら、いくらでも叙情的に、聖書の言葉なりキリスト教の精神なりを使って我々を感動させられただろうに、事実をただ並べただけのストーリーとセリフにしているから感動しないのだ。言うなれば食材は良いのに料理人の腕前が悪くて、不味い料理に仕上がってしまったようなものだ。あとは音楽だろうか。地味な映画なりに印象に残るシーンはあるので、そこで効果的に音楽を使えば、もうちょい感動したかもしれない。

唯一感動したと言えなくもないシーンは、マリーが初めて言葉を覚えたシーンだろう。つまり手話を初めて覚えたという意味だが、マリーが愛用しているナイフがあり、それをマルグリットは最初に覚える言葉に決める。しかし暴れるマリーは全く覚えない。手話だから手を使うのだが、何も反応がない。しつこくやるとマリーは暴れるだけだ。しかしある時、ナイフの手話をマリーは覚える。手でナイフの仕草をするのだ。このシーンだけは、なかなか印象的だった。