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【書評】 ヘタウマな愛 著者:蛭子能収 評価☆☆★★★ (日本)

 

ヘタウマな愛(新潮文庫)

ヘタウマな愛(新潮文庫)

 

 

漫画家蛭子能収の前妻との30年にわたる回想記。

印象的なのは回想記の冒頭に前妻の死を描いたところ。競艇好きの蛭子がいつもの通り平和島競艇場でレースを楽しんでいると、娘から電話が入る。

 

「ママが倒れたの!パパ、今すぐ帰ってきて!」と言うのだ。娘の様子にただならぬ様子を感じ取った蛭子は、すぐさまタクシーで病院に行く。車内で娘に電話をすると繋がらなくなっていて、不安が募る。蛭子と前妻とは30年の付き合いになるのだ。お互いに長崎出身で蛭子が漫画家として売れる前から支え合ってきた。いわゆる糟糠の妻である。そんな女性が倒れた。娘とは電話が繋がらない。どうなっているのか?不安ばかりが募って焦っていく。

 

病院のベッドに横たわる妻は、「口や鼻にはいろんな管をいっぱいつながれて、青ざめた顔をしていた」。妻は集中治療室に入っており、「昏睡状態でまったく意識がない」。

医師からは、「もしかしたら奥様は、このまま亡くなるかもしれません」とまで言われて、蛭子は涙が出て止まらなくなってしまっていた。

 

蛭子能収という漫画家は、奇人変人と言われる。有名なのは葬式に行っても泣かない。それどころか厳粛な雰囲気に耐えられずにヘラヘラと笑ってしまうところだ。だから有名人の葬式に呼ばれても笑ってしまうので、葬式にも呼ばれなくなっていった。何しろ自分の両親が死んだ時でさえ泣かなかったのだ。母の葬式では兄とパチンコに行く話をして、親戚から怒られたというエピソードもある。

蛭子は、自分を評して、「人でなしと思われるかもしれないが、人前で感情をあらわにするなんて、恥ずかしいことだと思っていた」と言う。本来は悲しかったのかもしれないが、泣けないということだろうか。

 

しかし妻については、そうはいかなかった。何しろ30年も連れ添い、相手に対して強い愛情を抱いていた蛭子である。だから「このまま亡くなるかもしれません」と担当医に宣告された時、蛭子は泣かずにはいられなかったのだ。そう、あの蛭子が?と思えるからこそ、いかに妻を愛おしい存在と思っていたかがよく伝わる。

 

そして遂に目覚めることなく妻は旅立つ。

 

蛭子は人目もはばからずに号泣する。「人間ってこんなにも涙が出るものなんだ」と言うほどに泣く。告別式でも、蛭子は、最初からずっと泣いていた。もちろん喪主なのだが、涙が止まらない。いくらでも溢れ出てくる。強い喪失感に襲われる。

 

妻の死がいかに悲しいかを知って、蛭子は以下のように殊勝なことを口に出す。

 

父親の葬儀の時も、自殺したマンガ家仲間の葬儀でも、ヘラヘラ笑って周りからヒンシュクを買ったことがあった。そんなことをふと思い出しながら、「これからは人の葬式であんな態度はいけないな」と考えていた。

 

蛭子は本書の中でも死んだら何も残らない、あの世はないという考え方をしていた。その考え方は変わっていないけれど、人の葬式でヘラヘラ笑うことがよくないことという自覚をしたということが驚きだ。薄々よくないことだと思っていたのだろうか。

 

妻の死が描かれた後は若い頃のエピソードを書いていく。長崎時代にいじめられていたとか、高卒後に就職した看板会社ではなかなか絵を描かせてくれなかったとか、妻と公園でよく青姦したとか笑、そんなちょっと笑えるエピソードを経て、漫画家デビューしたり、テレビに出て行ったりといった仕事で成功していくエピソードも描かれていくが、妻に対する愛情の物語からは、焦点がずれてしまっていた。

 

だから、若い頃とか、彼の経歴に関するエピソードは、不要だったかなという気がする。書いても良いけれど、常に妻が周囲に居る書かれ方をしないと、エピソードが宙に浮いた印象を受けるのだ。もっと、妻に対する愛情の物語を全面に出し、子どもと妻の泣けるエピソードとか、子どもが妻をどう思っているとか、蛭子自身の女性観とか、そういった妻に関する愛情の物語を中心に書けばもう少し面白くなったと思う。