近況
好きなゲーム
俺が好きなゲームはプロフィールにも書いてあるけれど、ストーリー性の高いものばかり。したがって携帯アプリとかはまず合わない。
小説や映画と同じ感覚でやる感じだ。
日本では携帯電話のアプリゲームや、携帯ゲームが主流で俺には全く肌に合わず、何年かゲームをやってなかった時代もあるが、最近PS4を買って映像が美麗になり、実写映画っぽいゲームが多くなってきたことがわかったので、またハマるようになる。俺の好きな海外作品が世界的に主流になってるのも、良いのかな。国産ゲームはあんまり好きじゃない。アニメっぽいのが多いし。
道端3姉妹のように?
この土日は久しぶりに2日連休だったから、子どもと遊んでいた。
俺は女の子が2人いて、今月もう1人生まれるがその子も女の子だ。女の子3人!多いな・・・でも華やかで良いよ。華やかな方が良い。
ちなみに上が今年6歳、4歳の順。
道端3姉妹のようになるだろうかw
地味な花も踊れば映える
昨日は子どもがAKB48をYouTubeで見たいと言うので、スマホで見せていたんだ。でもスマホだと画面が小さいからすぐに辞めて、テレビでYouTubeで見せた。AKBよりも乃木坂派の俺はどの曲も「かわいい子がいねぇなあ」ってな感じだった。あっちゃんも大島優子もマリコ姉さんもイマイチだ。
けれど、『恋するフォーチュンクッキー』を見ていたら、まるでこの曲の歌詞のように、踊ってしまった。
カフェテリア流れるミュージック
ぼんやり聴いていたら
しらぬ間にリズムに合わせ
つま先から動き出す
そう。しらぬ間にリズムに合わせ、つま先から動き出すような、ついつい踊ってしまうこの感じ。
子どもが冒頭と終盤でAKBのメンバーがやってる手のポーズ(あれなんていうんだ?)がおかしくて、俺も一緒になって踊っていた。
案外俺、ダンス好きかもしれない。
『Sorry』も踊っちまうしな。
Justin Bieber - Sorry (PURPOSE : The Movement)
音楽も良いけれど、歌詞も非常に良い。
だって普通の女の子の歌詞だろう。等身大の。
歌詞の主人公は「可愛いコたち」の対極もしくは「可愛いコ」の外にいる子だ。「地味な花」である女の子が恋をして、でもなかなかうまく言えなくて、恐らく告白しても撃沈するだろうけれどという感じ。
なんかこう、映画にしろ漫画にしろ美人ばかりだし、俺も面食いだから美人しか興味はないが笑、でも、世の中、美人ばかりではない。
普通の子が「大勢」いるんだ。
そういう子を主人公にして、100万枚以上ものセールスを記録したのだから、素晴らしい。
この曲でセンターを飾った指原という子がまた、この曲の「普通の子」「地味な花」を体現した顔つきで、それでいてこの曲そのままに楽しそうに踊っていて、良いセレクトだ。
対岸の彼女を再読
ぜんぶ読んでいないけれど、通勤時間に角田光代という小説家の『対岸の彼女』を読み返している。
昔読んで面白かったのを思い出し、再読。
俺は、基本的にビジネス書でも哲学書でも小説でも、本は読み返すタイプ。読み返す価値がないものは捨てる。
文章が読ませるし、ストーリー展開が巧みで、なかなか面白い。そしてエピソードが良い。昔読んで面白いと思った作品が、今読むとつまんねえってことはあるけれど、この作品は違う。ストーリーを覚えていないので、どんな展開になるのか?とハラハラしながら読む。
エピソードをひとつ。
主人公の一人と思われる楢橋葵という女性が田舎の高校に入学した時、ナナコという同級生から、名前なに?と聞かれる。
楢橋は中学時代にいじめられていたので、嫌われないようにふるまおうとしている。
「楢橋葵」と答えるが、分かりやすいように「楢の木の楢、橋はブリッジの橋うんぬん」と教えてやる。しかし相手は、楢ではなく奈良と誤解し、「奈良の木って有名なの?」聞かれる。そして楢橋は誤解を訂正しない。変に目立って訂正したくないからだ。
このエピソードが好きだ。
なぜなら、俺もあんまり高校までの学校が好きではなくって、周囲とうまく溶け込めなかった。男の子ってスポーツが好きだろう。ボール遊びが特に。俺は脚は早かったが不器用なのでボール遊びができない。バスケやバレーそしてドッヂボールでさえ突き指したり、野球をやるとキャッチャーにバットを当てそうになって監督に叱られたりした。
昔から本を読んだりゲームしたり、人形で遊ぶ方が好きだった。絵が下手なのに絵を描いたりして女の子と遊ぶ方が楽しく、そして極めつけは、女の子が読むような少女漫画が好きだったりと、気持ち悪い子ども時代だ。
大学に入学して、学校で面白いところなのかと初めて知ったのだが、それは大学が学生を管理せずに自律させているからだろう。だから、自分で作ろうとしないと友達一人できないし、敢えて作らなくっても良い。孤独を味わおうとすればいくらでも味わえるからだ。でも高校まではそうはいかない。作らなきゃダメという感じ。
だからなんとか俺も友達を作ろうとしていたが、本当は要らなかった笑
でもそうは言えず、必要な振りをして、嫌われないようにひっそりとしていた。そう、俺も誤解を訂正しないで相手に合わせていたのだ。懐かしい、この感覚。
今なら全て間違いをただしてしまいたくなる(しないが)が、それは職業柄仕方のないところ・・・
それでこの本って文庫本なんだが、版を見ると2007年初版、2010年に6刷を重ねたことになっている。
妻が長女を妊娠していたのが2010年で、家にばかりいて退屈だから本を買ってきてと言われて買った本のひとつがこれだったことを、思い出す。そうだ、そしてその時妻が読んだ後に俺が読んだのだった。忘れていた。
長女をおなかに宿していた妻が、3人目の子を宿している。
妻はもはやこの本を読まないと言っていたけれど、俺はもう一度読み、上記のエピソードで懐旧の念に浸り、「ああ、3人目の子を宿している時にも俺は本書を読んでいるのか」と思う。
最初に生まれた子どもは大きくなり、『恋チュン』を俺と一緒に踊っている。