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【書評】 対岸の彼女 著者:角田光代 評価☆☆☆☆★ (日本) 

 

対岸の彼女 (文春文庫)

対岸の彼女 (文春文庫)

 

 

対岸の彼女』は女性心理を鋭く描いた良作である。エンターテインメント作品を賞の対象とする直木賞受賞作であるが、あまりエンターテインメント的ではないように思う。純文学という言葉はどうにも好きではないが、他に言い方がないので使わせてもらうと、本作は純文学的である。直木賞受賞作のため、エンターテインメント的と思われるのだろうけれど。俺は少なくともそう読んだ。

 

物語はセンセーショナルな骨格を持っており、そこだけを見るとエンターテインメント的に面白いと思わせるが、「女性の心理」、それと「女性と他者との関わり方」、「女性のビジネスへの関わり方」をえぐり出すことにこそ主軸が置かれていて、楽しんで読むというよりも、読者に思案の余地を与える。小夜子の物語はビジネスのシーンが相当に多いので、エンターテインメント的でもあるのかもしれないが、自身が悟り得なかったアイデンティティを取り戻して行くもので、文体の生硬さとあいまって、軽々しく読めない。それに、葵の物語は割と陰湿な心理が描かれている。やはり本作は純文学的だと思うのだが・・・

 

■物語

 

物語は二人の主人公を軸に進められる。小夜子という主婦と、葵という女子高生の物語が村上春樹の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』のように交互に語られて行く。ただし、葵の物語は過去の回想で、成人して実業家になった彼女は、現在で、小夜子と出会っている。小夜子を雇う者として。そして、物語は収れんする。『ハードボイルドワンダーランド』は収れんしないが、本作は物語が明確に繋がる。

 

主婦・小夜子は、元銀行員で、夫と小さい娘がいる。夫の収入で充分に家計をやりくりできるものの、元々働いていたこともあり、小さい娘が自身と同様に引っ込み思案であることもあり、そして自身が人間関係を上手く築けないこと等が複雑に絡み合って、働くことを決心する。

 

そして就職活動を開始するが、なかなか合格できない。ようやく合格できた企業が、楢橋葵が経営する旅行会社プラチナプラネットだった。ただし会社は清掃代行業を始めていて、小夜子はそのメンバーとしての採用だった。

 

娘のあかりは保育園に預けられることになり、最初は泣きじゃくっているが、最後の方では他の園児ともコミュニケーションを密にしてしっかりしてくる。

 

現在、実業家の葵は、タバコをぷかぷか吸って人間関係もオープンであるが、横浜に住んでいた中学時代にはいじめられて、高校入学と共に、群馬に越して来ている。その物語が並行して描かれているのだが、葵の中学から高校時代までの心理が、現在の小夜子のそれとよく似ているのだ。

 

葵は親友のナナコと放課後に常にいっしょに遊ぶが、高校の中ではまずつるむことがない。葵は中学時代にいじめられた過去を持つので、高校では目立ちたくなく、固定化されたグループに属している。しかしナナコはどこのグループにも属さず、色々なグループを渡り合うので、「いじめられた経験を持つ者の勘」として、いずれ、ナナコはどこにも属せない女として、いじめの対象になるのだと感じるからだ。それゆえに、高校ではナナコとつるまない。そして、その勘は当たる。

 

こういった心理描写が連綿と続くのが葵の物語である。あたかも小夜子の過去の体験であるかのように描かれる葵の物語が並行して描かれることで、そして小夜子が徐々に、ビジネスの現場で頭角を表してくることで、葵が大学を出て成人して実業家として働いていくまでに成長したプロセスが、小夜子の成長によって象徴的に描かれている。

 

現在において、小夜子がかつての葵のように自分に自信がなく、他者との関係こそを重視して、自身を深めたり磨いたりすることなく生きていた経験から、ビジネスを通じて、自身の心理を高めていくプロセスが、実は葵自身のプロセスでもあること。小夜子も葵も似た者同士であり、違うように見えるのは、葵は既に変わってしまった者であり、小夜子はこれから変わりつつある者として、描かれている。

 

特に小夜子が、清掃業という、彼女自身さほど関心がなかった業界において、他人の家の清掃をすることで、清掃の価値に気付いて、清掃業で働くことへの強い意欲を持つようになっていく様は、働く者として、強い共感を覚える。

 

小夜子と葵の物語が収れんしていく終盤において、葵の会社を小夜子は辞めてしまう。その理由は、清掃代行業を辞めて旅行業に辞めてしまったからだが、そうすると、葵の会社の従業員はばたばたといなくなり、遂には葵だけになってしまう。葵は強い意欲をもって会社経営をしていたが、戦略がなく行き当たりばったりで経営をしていたので、従業員が嫌気を感じていたからである。

 

しかし、最後に小夜子は、何もなくなってしまった葵の元へと戻る。彼女が葵の元へと戻るシーンは、かつての親友ナナコの再来を想起させ、読者に深い感銘を与えることだろう。

 

 評価において★を1つ減らしたのは、文体も終盤に近づくにつれて徐々に生硬さが減じられ、小夜子の物語の後半がやや平板になってしまったことである。文体は最後まで緊張感をもって書き貫いて欲しかったし、小夜子の物語の展開も神経を張り巡らせて欲しかった。

ただ、重要な部分において欠陥がある訳でもないので、角田光代の小説でどれを読んだら良いかと聞かれれば、迷わず本作を勧めることだろう。そのくらい、良い作品だった。