好きなものと、嫌いなもの

書評・映画レビューが中心のこだわりが強いブログです

【映画レビュー】 サンドラの週末 評価☆☆☆☆☆ (2015年 ベルギー、フランス、イタリア)

 

サンドラの週末 [DVD]

サンドラの週末 [DVD]

 

 

ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督、マリオン・コティヤール主演。『マリアンヌ』や『アサシンクリード』など出演作が相次いで劇場公開されるに伴って、ビデオ屋に、彼女の特集コーナーがあった。その中で目を惹いたのが本作。

 

体調不良から休職をし、ようやく復職できることになった矢先の金曜日、上司から解雇を言い渡された女性サンドラ(コティヤール)。彼女は、自分の復職を会社に認めさせるため、16人の同僚にかけあっていく。ただし、会社の経営が思わしくないことから、サンドラの復職を認めると、社員たちのボーナス1,000ユーロがなくなってしまうのだ。サンドラの復職か、自分たちのボーナスかを賭けて、月曜日に無記名投票が行われる。16人のうち過半数の票を獲得すれば彼女は復職出来る。何とかして自分の復職に投票してもらおうと、週末の3日間をかけてサンドラは奔走するというストーリー。

 

地味で単調とも言い得るようなあらすじの通り、一見すると退屈になってしまうところを、ダルデンヌ兄弟は、音楽をほとんど用いない抑制された演出でリアリティを表し、16人の同僚に説得しては断られ、あるいは受け入れられする動きのある展開と、サンドラ自身が徐々に「精神の強さ」を取り戻していく心情の流れを丁寧に描き、ドラマに仕立て上げている。

 

 

明日の食事に事欠く訳でもなく、「公営住宅」に住めば何とか暮らしていけないこともないサンドラ一家(夫と2人の子有り)。貧困層とはいえ、現在の暮らしを変えたくはないが、夫の給料だけでは現在のアパートに住み続けることは出来ないので、サンドラの賃金も、現在の暮らしを守るためには必要である。

 

そのため、食堂で働く夫は、サンドラに、同僚に説得して回るように勧める。サンドラは心を病んでおり薬を常時持ち歩いているような女性なのだ。休職も恐らく心の病が原因なのだろう。そんな妻サンドラに3日間にわたって、バスで、徒歩で、時には夫の運転する車で、16人の同僚を説得させに奔走させる夫は、酷な仕打ちをしているようにも見える。夫がなぜ諦めないのか?が映画の一つのストーリー上のポイントである。

 

サンドラは何度かなげやりになり、月曜日は勝手に決めてという。即ち、投票は自分の復職に入れても良い、ボーナスに入れても良い。勝手にしろという訳だ。しかし夫は諦めない。彼女を励まし続ける。夫は一体、何を信じているのだろう。努力をすれば、報われるという資本主義か?あるいは労働者として権利を持つサンドラは会社と交渉して復職を勝ち取るべしとする民主主義か?

 

映画は、サンドラの努力もむなしく、過半数を獲得することは出来ずに、8対8の投票で終わる。夫が望んだ資本主義も民主主義も実を結ばないのだ。ポイントの一つは、悲劇的な形で終結を迎える。

 

しかし、サンドラは、16人の同僚を説得しに行く中で、ある発見をする。

 

自分のために、ボーナスを捨ててでも、復職に投票してくれる人が何人も現れたことをである。結果的にその数は8人にも上ったが、数だけではなく、彼ら彼女らの心情の豊かさに、心を打たれ、精神を鍛えられていくのである。これがストーリーのもう一つのポイントで、サンドラは最後、復職に失敗したにもかかわらず、颯爽として帰路に着く。

 

自分のボーナスか、あるいは同僚サンドラの復職か。道徳的に考えればサンドラの復職を望むが、たかが1,000ユーロであっても貧困層の同僚たちにとっては、渡したくない金なのである。

もちろん、1,000ユーロという少額では大したことは出来ない。同僚が言うサンドラに投票しない理由も、毎月の学費だとか家のリフォームだとかいって、大した理由ではない。毎月の学費は臨時収入のボーナスをあてにせずとも払える訳だ。リフォームも、やらなくてはならぬものではないだろう。それでも貧困層にとっては渡したくない金なのだ。

 

サンドラも公営住宅に移れば生活が出来るのにそれを選択しない。貧困層も学費やリフォームの支払いに困惑している訳ではない。それでも僅かながらの金を渡したくない。その気持ちは、貧困層にいるサンドラもよくよく分かっている。

 

 

ボーナスか、復職か。この選択肢を迫られた時、貧困層たる同僚たちにとっては、まるで生死の決断をするがごとく、悩む。家庭内で喧嘩を生み、時には殴りあう。離婚に至った同僚もいた。たかが1,000ユーロのためにである。しかし彼らにとっては究極の選択なのだ。

 

その中にあって、サンドラのために同情し、共感し、涙する同僚たち。

 

その中で「臨時契約の社員」が黒人青年がいた。彼は臨時だから、契約が終了すれば、失業する可能性を示唆する。だから彼は、サンドラが説得に来る前から、ボーナスではなく会社から疎んじられるのを恐れて、ボーナスを選ぼうとしていたのである。しかし、サンドラのことを思って、最後は彼女の復職に投票する。

 

投票が失敗に終わった時、社長に呼ばれたサンドラは、社長に褒められる。

 

社長は孤立無援の状態から8対8の接戦に持ち込んだサンドラの行動力を評価したためだ。そして彼はこう言う。

 

ボーナスを出して、尚且つ、サンドラの復職を認めよう、と。ここでサンドラは薄く笑う。疲労を癒す瞬間のように思えたからだ。しかし社長は付け加える。サンドラがいない間、16人で仕事が出来ることがわかった。だから、サンドラを復職させ、臨時契約の社員を切る、と。

 

一瞬褒められて喜んだサンドラは、社長の申し出を断る。黒人青年の存在が念頭にあったからだ。

 

そして彼女は潔く社長室を退出し、会社を出て、もはや元の暮らしは維持出来ないはずの我が家に戻る。

 

そこで夫に電話して、ダメだったけど、善戦したと言って、映画は幕を閉じる。その時のサンドラの笑顔は、何の成果も生み出せなかったにもかかわらず、「勝利」しているような表情を示していた。

 

自由、労働者の権利、金といった自由経済、資本主義、民主主義だけを信じていると、サンドラのような行動は取れないだろう。この映画にあるように、「同僚の気持ちがわかっていた」サンドラが、3日前の金曜日には、こんな行動を取りはしなかったはずだ。喜んで復職したいと言っただろう。それなのにこの選択を取るということ。いかにこの3日間が彼女にとって、人生観を変えられたかが分かる。

 

貧困にあるサンドラにあって、少しでも人間的な光を獲得した瞬間が、この映画の決断には込められている。たかが3日間のあいだ、同僚を説得して回るというだけのシンプルなストーリーをかくもドラマティックに描いた映画に、驚異と表現したくもなる。