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【書評】 ドルジェル伯の舞踏会 著者:レイモン・ラディゲ 評価☆☆☆★★ (フランス)

 

ドルジェル伯の舞踏会―現代日本の翻訳 (講談社文芸文庫)

ドルジェル伯の舞踏会―現代日本の翻訳 (講談社文芸文庫)

 

 

レイモン・ラディゲと言えば、三島由紀夫に影響を与えた20世紀初頭のフランスの作家という印象しかなかった。俺は三島の愛読者だから、彼を知るための材料としてラディゲを読もうと、『ドルジェル伯の舞踏会』を手に取った。何しろ三島は、次のように本書を評しているからだ(『私の遍歴時代』)。

 

私は、堀口氏(引用者注:本書の訳者堀口大學のこと)の創った日本語の芸術作品としての『ドルジェル伯の舞踏会』に、完全にイカれていたのであるから。それは正に少年時代の私の聖書であった。

 

敬愛する三島由紀夫にここまで言わしめているレイモン・ラディゲ。そしてその作品『ドルジェル伯の舞踏会』は三島を知るために読まなければならないと思った。何しろ少年時代の三島にとって本書は「聖書」なのだ。

 

しかし読んでみると本作は、青年と伯爵夫人の恋の芽生えや男女の交流を丹念に追った心理小説として、古めかしさは否めないものの、今尚読むに耐え得る作品であり、三島を知るために留まらず、三島に属さずとも十分に一個の作品として成り立っていることを知った。

 

 

ラディゲは『肉体の悪魔』で華々しくデビューし、フランスの文壇にセンセーションをもたらした後、本作『ドルジェル伯の舞踏会』を書き上げ、若干20歳で夭折した。作品への評価のみならず、「夭折の天才」としての伝記的なエピソードも、ラディゲへの関心を喚起する。

 

こういう作家に対して、書かれた小説だけを読んで評価することは難しい。どうしても作家の影がちらつく。そもそも、ラディゲから影響を受けた三島由紀夫に対しても、彼の壮絶な割腹自殺を抜きにして作品を評価することは出来ないだろうからだ。どうしてもラディゲ=夭折の天才、三島=愛国者三島事件の首謀者(割腹自殺を遂げた者)など作家的イメージ(作家の影)を抜きにして作品を捉え切れない。

 

作家の影を抜きにして作品を捉え切れないということは、本来、とりたてて作品の質を高めることも低くすることもないはずだ。しかしどうしても夭折の天才の作だから、愛国者だから、ということで評価する向きから逃れられない。それは、そういった作家たちにとっては夭折の天才となってしまったから、割腹自殺を遂げてしまったから、仕方がないと見るべきなのだろうか。

 

作品は、小説であれ映画であれ「機械」が作り上げたものではない。無論、人間が作ったものだ。それゆえに書いた者、撮った者の影から完全に独立して作品を評価することは難しいし、その評価の方法はナンセンスなことなのだ。機械が小説を書いたのなら、機械が夭折しようが割腹自殺をしようが、小説だけを評価出来るだろう。だから『ドルジェル伯』についても、この作品を書き上げた後に腸チフスに罹って若干20歳で夭折してしまったラディゲの遺作として読まざるを得ないし、そういう読み方で適切なのだろう。

 

 

『ドルジェル伯の舞踏会』は恋愛心理小説である。この作品においては心理を描くことこそが重要で、ストーリーはやや蚊帳の外に置かれているようだ。物語の前半で女主人公マアオの心情に敢えて触れないあたりは、最初、一体誰と誰の恋愛なのか?と疑わせるほど慎重な書きぶりだ。徐々にマアオの心情を明らかにしていくが、心の動きを静かに受け止めて文章に書こうとするとここまで丹念に描けるものだと感じる。

 

恋の芽生えについて、作家がどのように描くかは千差万別だが、長編小説の中盤でようやく、「僕は彼女のことが好きだ」と思うに至る小説などあるだろうか。しかし『ドルジェル伯の舞踏会』は90ページ近辺に至って、男主人公フランソワが、マアオのことが好きだと自覚するのだ。小説は220ページ程度しかないので、物語の中盤で恋をしていることを知る訳だ。相手の女に至っては、終盤まで恋の気持ちを認めようとしないほどだ。

 

『ドルジェル伯』において、フランソワとドルジェル伯夫人マアオとは、恋愛を成就させない。本作の主眼は成就ではなく「過程」にあるからだ。従って、ラディゲの処女作『肉体の悪魔』のように、二人はセックスをしない。それどころか、二人はキスはするけれど、唇を重ね合わせるのではなく男が人妻の額にキスをする程度のものだ。睦言を語る訳でもない。この作品で重要視されているのは二人の恋の成就ではなく、過程におけるそれぞれの心の風景だ。それを時間をかけて丹念に描いている。

 

物理的な距離感を構築したのは、マアオが人妻であることの制約が大きな理由となる。もし、フランソワとマアオとが結婚していない男女であれば、制約は何もない。ただ愛し合えば良いだけのことになる。しかしただ愛し合えば良いだけのことにさせないのは、マアオが人妻だからだ。そして夫アンヌに対して貞節を守っている。もちろんフランソワもそれを弁えた上で、安易にマアオに対して恋愛感情を示しはしない。

 

この制約の中で『ドルジェル伯の舞踏会』は生まれる。

そして最後までフランソワとマアオは結ばれない。マアオが本当の意味でフランソワに恋していることに気づくのは、170ページを過ぎた頃だ。

 

マアオは、自分がフランソワを愛しているのだといよいよ認めないわけにはいかなくなっていた。

 

この時点で、小説は残り50ページを残すのみである。その後マアオはフランソワの母あてに、自分がフランソワを愛していることを告白する手紙を書くのだが、それでも尚物語は、フランソワとマアオとの恋愛を成就させようとしない。二人は、マアオが既婚者であるという制約の下、慎重に、言葉を選びつつ接する。

 

『ドルジェル伯の舞踏会』は、恋愛の過程に重心を置いて筆を走らせている。そのために二人の恋はむしろ成就されない方が良いとさえ、作者は考えているかのようだ。だから、フランソワの母、そしてマアオの気持ちが夫に知られる頃には、物語は終盤を迎えざるを得ない。恋愛感情を言葉に表し、他者に知られていくと、恋愛はどうなるか?成就するか、あるいは破綻するか、しかなくなる。そうなると『ドルジェル伯』はハッピーエンドを迎えるか、悲恋として終わるか、いずれかに至る。そうではなく、あくまでも恋愛心理を丹念に描くことのみに強い関心を抱いて、ラディゲは本書を書き切ろうとする。

 

 

非常に独特な恋愛心理小説である本書だが、古めかしく感じられる点があるのが事実だ。それはおそらく、ラディゲというより、訳者に責任があるかもしれない。一番改めるべきと思われるのがマアオがフランソワの母にあてた手紙で、なんと「候文」だ。永井荷風じゃあるまいしと思ってげんなりした。

それと、「のだった」の乱用である。事あるごとに「のだった」が続く。例えば以下のような「のだった」の乱用が続くと、訳者は矜持を持って書いているつもりだろうが、現代の文体に慣れた目で読むと洗練されていないように感じられる。「のだった」だけを読み飛ばしたくなるほどだ。

 

否、責めるには及ばないのだった、何故かと云うに、伯爵夫人が二人前にしても十分な愛を持って居るのだったから。彼女の愛が如何にも大きいので、アンヌの上にまで滲んで、相互的に相報いているものと思わせるのだった。フランソワには、このような事情は少しも察しがつかぬのだった

 

 

訳者の堀口はこの「のだった」を美文のように書いているつもりなのだろうが(ここまで乱用するのだから)、ここまで「のだった」を使い続けると、文の流れを滞留させてしまう。あまりに「のだった」が続くので悪文にさえ感じられる。

「である」とか「していた」などと、文末を飾る言葉はいくらでもあるのだから、 綺麗な日本語となるように訳出すべきだと思うのだが。三島はこの「のだった」が気に入っていたようなので、ちょっとショックだ(笑)

 

「それかあらぬか」とか「館」とか「寄付の間」とかの古めかしい言葉が、「するのだった」「すぎぬのだった」という「だった」の乱用による、メカニックでもあり同時に呼吸が切迫するようにパセティックでもある独特の文体の中に、ちりばめられている堀口氏の訳文は、しばらくの間私をがんじがらめにして何を書いても「だった」がつづいて出てくるほどになった。

 

三島由紀夫『私の遍歴時代』