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【書評】 私たちはどこまで資本主義に従うのか 市場経済には「第3の柱」が必要である 著者:ヘンリー・ミンツバーグ 評価☆☆★★★ (カナダ)

 

私たちはどこまで資本主義に従うのか―――市場経済には「第3の柱」が必要である

私たちはどこまで資本主義に従うのか―――市場経済には「第3の柱」が必要である

 

 

ヘンリー・ミンツバーグによる脱資本主義論。資本主義を全否定するのではなく、資本主義の再構築を目指した書である。ただし、問題提起は鋭いが、批判の根拠が薄弱なのと、問題の解決策の合理的な説明に今ひとつ納得感の得られない陳腐な内容になってしまっている。経済学への全否定とも言える批判などは、ちょっと目も当てられない。多分現代の多くの経済学には問題があると思うが、ミンツバーグの批判だけでは合点がゆかなかった。門外漢の彼は、もう専門外の本は書かない方が良いと思う。

 

 

彼は社会を政府セクター(政府)・民間セクター(企業)・多元セクター(社会)の三つの領域に分ける。そして現代は、民間セクターの力があまりに強くなりすぎ、利己主義が幅を効かせるようになってしまった。そのために、社会には大きな経済格差が生じた。それを止めるために、本書の副題である「第3の柱」、すなわち多元セクターと、政府セクター、民間セクターの3つがバランスを保つことが重要なのだ。これが本書の解決策。

何となく、正しいような気がするのだが、なぜ正しいか本書では詳らかではない。ミンツバーグも、思いつきで言っているような気さえする。しつこいようだが、その感覚は正しいように思うのだが、やはり根拠薄弱でよく分からない。

 

3つのバランスという価値観は、著者が自著『マネジャーの実像』でも述べていた。もっとも、こちらはマネジャーがマネジメントに不可欠なバランスのことを言っている(情報の次元、人間の次元、行動の次元)。本書では経済について語っているから内容は異なるが、根本的な考え方は似通っている。

 

 

経営学者ミンツバーグは、経済学に批判的である。

社会科学の中で唯一、経済学だけがノーベル賞に表彰部門があること、そもそもノーベル経済学賞なるものは存在しないことなどの瑣末でジェラシーさえ感じさせる批判の他に、「全ての人間が競争し、物欲を追求し、消費するものと決めつける経済学」の【教義】への批判である。前者はどうでも良いが、後者は留保を付ければ聞き耳を立てても良い。全ての経済学がミンツバーグが言うような教義を信奉している訳ではないので、「現代の多くの」とでも付け加えれば良かった。これでは経済学に対する全否定ではないか。

 

確かに、ミンツバーグが言うように、経済学は市場経済を推進し過ぎた嫌いはあると思う(本書を読む限りはあくまで推測だが・・・)。米国において人口の1%の富裕層への富の偏在がエスカレートした事実は確かに極端な不平等を生んでいる。資本主義が人間に奉仕するための原理であるはずが、いつの間にか人間が資本主義に奉仕する羽目になっているという指摘は鋭い。でもそれが経済学のせいなのか?は、今ひとつピンとこない。推測する限りは、経済学のせいのような気がするが、気がするだけの文章では、ブログやツィッターと変わらない。

ということで、主流派の経済学が民間セクターを強固な存在にしてしまったという論理は、何となくは理解できるのだが、誰のどの経済理論でそうなったのかが明確ではないので、安易に首肯できないのも、事実である。何だってミンツバーグはこのような、粗雑な論理で現代の資本主義や経済学を批判するのだろうか。

 

以下のような文章をミンツバーグが書いたと思うと落胆させられる。「すべての人とすべての組織」が個人主義の弊害を推進する訳ではないし、最大限の利益を獲得しようとする訳ではない。当然だが、もっと、”経済学的に”非合理的な人間もいるはずなのに、彼は、すべてと言ってしまっている。「1か0か」なんていう思考は論文としては最悪だろう。

 

 自由の尊重という大義名分の下で、私たちは個人主義の弊害に苦しめられている。すべての人とすべての組織が最大限の利益を手にしようと血道を上げるあまり、社会全体のニーズがないがしろにされ、地球が危険にさらされているのだ。