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【映画レビュー】 ルビー・スパークス 評価☆☆☆★★ (2012年 米国)

 

 

 あらすじ

 

小説家カルヴィンは、夢の中に出てきた女性ルビー・スパークスを小説に書いた。カルヴィンは小説家としてスランプに陥っているので、ルビーのことを小説に書いてはどうかという、精神科医の勧めでたくさん書いたのである。彼女は、理想的な女性として描かれていく。出身地も、容姿も、職業(画家)も詳細に描かれるのだ。

そしてある時、カルヴィンが自宅で目を覚ますと、小説の創作物であるはずのルビーがキッチンに立っていた。創作物が現実の世界に飛び出て、その創作物に作者であるカルヴィンが恋をするというラブストーリー。

 

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ルビー・スパークス役のゾーイ・カザン。本作品の脚本も担当している。 

 

 

ルビーはカルヴィンの創作物である。

その創作物たるルビーは、カルヴィンの筆次第でどんな人間にもなるという設定だ。例えば、ルビーはフランス語が堪能だ、と、カルヴィンがタイプライターに打ち込めば、その瞬間から彼女はフランス語を話し始める。歌いながら服を脱ぎ始めると打ち込めば、その通りになる。創作物であったルビーに恋するようになるという件は、ピグマリオンのようだ。ピグマリオンであるルビー・スパークスは、自身がカルヴィンの創作物であることを知らない。

 

ピグマリオンと違うのは、カルヴィンは創作物としてのルビーを手放す、ということに表れている。ルビーはカルヴィンの理想的な人間として「創作」されるが、それでも血の通った人間なので、カルヴィンの意に沿わない行動を取る。そして何度も意に沿わない行動を取ってきたルビーとカルヴィンの関係は、以下に示すように、ついに決定的となり、カルヴィンはルビーを手放す。

 

パーティにカルヴィンと共に参加したルビーは、退屈していた。そこでラングドンという男に誘惑されるまま、プールで下着姿になってしまうのだ。そこをカルヴィンに見咎められたルビーは、カルヴィンの意のままに操ろうとするカルヴィンを嫌がり家を出ようとする。

そこでカルヴィンは、ルビーはカルヴィンの創作物であることを暴露した上で、ルビーのことを小説にしたため、「彼女を自由にする」と書き、創作物としてのルビーを手放してしまうのだった。

 

そして自由になったルビーは、もはやカルヴィンの創作物ではないから、彼の家から消えてしまう。そして、カルヴィンと再び現実で出会い、恋に落ちるような予感を匂わせて物語は終了する。この時、ルビーには創作物だった過去の記憶はない(現実の女性だから当たり前だが)。現実のひとりの女性としてカルヴィンの前に現れる。

創作物から離れて、現実の女性に恋をせよというのがこの映画のメッセージであり、「創作物に恋をする」というストーリーが面白く、短いこともあって興味深く映画を観ることができた。

 

 

自分の意のままに操ることができる創作物というのは、日本のオタク文化を想起させるだろう。小説というメディアから飛び出す女性、その女性を自分の意のままに操ることができるというのは、育成シミュレーションゲームのようだ。

さて、題材は非常に興味深い作品だが、今ひとつこの映画に没頭できなかった。その理由は、この映画が、オタク的な設定を持ちつつもオタク的でないからだろう。筆者は日本のオタク文化を想起させると言ったが、日本のオタクならもっと上手く描くはずだ。

設定も純文学作家ではなく漫画家かラノベ作家、せいぜいエンタメ作家にしただろうし、相手の女性を画家にはしない。純文学作家や画家という職業はハイカルチャーの職業で、サブカルを愛好するオタク的な職業ではないからだ。

女性役のゾーイ・カザンはかわいい雰囲気がある女性だが顔が良い訳ではないので、かわいい女性とも美人な女性とも言い難い。あまり性的な魅力を感じない。オタク的にするなら美人でかわいくてスタイルが良い女性ということになる。そこまで完璧にオタク的にしなくても、もう少々性的な魅力を付け加えないと、理想的な女性には遠い感じがする。

性格も没個性的であり、目立つような性格の個性が欲しいところであった。オタクなら「ツンデレ」にするだろうか。そこまでオタク的にしなくても、ルビーの個性を強調するために、目で見て分かる性格の強さが見たいところであった。

この「創作物に恋をする」というストーリーは面白いので、誰か、日本のオタク的な映画監督が撮り直して欲しいと思う。きっと面白くなるはずだ。