好きなものと、嫌いなもの

書評・映画レビューが中心のこだわりが強いブログです

【映画レビュー】 アーティスト 評価☆☆★★★ (2011年 フランス)

 

 1927年~1932年までのハリウッドにおける、「サイレント映画」の衰退と「トーキー映画」の勃興と共に、サイレント映画の男性スターの没落とトーキー映画の女性スターが飛躍していく姿を描く。男性スター・ジョージは、トーキー映画の勃興には目もくれずサイレント映画に拘泥するあまり、忘れ去られる俳優にまで磊落してしまう。女性スター・ペピーは、トーキー映画の波に上手く乗り、端役からあれよあれよという間にトーキー映画の主演を張るまでになっていく。

 

本作はサイレント映画として撮られているので、ストーリーは、俳優たちの声のない演技と、途中で挿入される字幕で想像する他にない。サイレント映画に拘るジョージが夢の中で声を発するのと、ラスト以外、俳優たちは声を発しない。その代わりほとんどのシーンで、クラシック映画で使われていたような古めかしいBGMが流れている。

 

要は、現代にサイレント映画を蘇らせて批評家筋の評価を得たことが『アーティスト』の商売上手なところで、フランス映画ながら、アカデミー作品賞および監督賞を受賞した。字幕もセリフも英語だから、製作国や監督、主演がフランス人でもアメリカ映画のようである。アメリカのサイレント映画を愛し、ジョージという一人の没落した俳優が、トーキー映画のスターであるペピーの力を借りて復活し、サイレントではなく、ミュージカル映画で復活するという流れが、いかにもアメリカ映画的で評価されるのも当然かという気がする。だがこれは批評家受けしやすい映画ということでもある。現代にサイレント映画を蘇らせてもらっても、観る者としては、なぜ今更サイレントなのかよく分からない。サイレントにすると、ストーリーは想像しなければならず、説明不足な場面も多々あり、それが面白いかと言えば、面白いものではないだろう。説明が過剰な映画では困るが、トーキー映画がこれだけ流行したのは、観る者が感情移入しやすくするために必然だったのだろう。『アーティスト』だって、結局はトーキー映画の最たるもの(セリフを音声で話すのはもちろん、歌って踊るミュージカル映画なのだから)になって終わるのだから、トーキーはこれからも映画の中心であり続ける。むしろこの時代にサイレントを敢えてぶつけるところが、いかにも批評家狙いでいやらしく感じた。

 

この映画を観終わって思ったのが、批評家受けしやすい映画であるということと、現代の映画製作者が作ったサイレント映画ということ以上の意味は感じられなかった。それなら過去にあるサイレント映画を観ることと、どう違うのか・・・本作の存在意義に疑問を感じざるを得ないのであった。

 

トーキー映画のスターとなるペピーが売れていくストーリーは説明が足りず、なぜ彼女がスターとなったのか、筆者は理解できぬまま、映画は進んでしまう。彼女はかつてのスターであるジョージから売れるには個性を出すように言われて「つけぼくろ」をつけるアドバイスを受けるが、まさかそれだけで売れた訳ではないだろうし、ペピーにかわいらしさがあったり、絶世の美女であったりするならまだしも、個性的な容貌で、見た目で人気女優になった訳でもないらしい。ジョージのようにユーモアたっぷりの表情があって、タップダンスが素晴らしくて、陽気さの中に強い哀切さを相手に覚えさせるような設定であれば、観る者にも納得感があろうが、ペピーがスターとなっていく過程は唐突で、あまりに説明がない。サイレント映画だから許される訳でもないだろうし、それさえも想像せよと言うのであれば、現代にサイレント映画など提示するべきではない。

 

主演のジャン・デュジャルダンはコメディアンだそうだが、美男子ながらもユーモラスな表情と仕草を漂わせており、彼の演技を見ているだけで楽しくなる。この映画はデュジャルダンのためにあるようなもので、彼が演じたジョージの栄枯盛衰をメロドラマとして描いているのである。デュジャルダンのためだけに、本作には☆2つを付けたい。あと、彼が映画の中で飼っている犬か。とてつもなく芸達者でかわいかった。

 

またしても、この程度でアカデミー作品賞なのかと、『グラディエーター』(2000年)に引き続き残念であるが、どこかの作品で筆者を唸らせるアカデミー作品賞受賞作はないものかと、再び映画のレンタルに手を伸ばしてしまうのだろうが・・・