好きなものと、嫌いなもの

書評・映画レビューが中心のこだわりが強いブログです

【映画レビュー】 シャーロック・ホームズ 評価☆☆☆☆☆ (2009年 英国、米国他)

 

シャーロック・ホームズ [DVD]

シャーロック・ホームズ [DVD]

 

 『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』や『スナッチ』等で小気味良いブラックユーモア、緩やかなバイオレンス、多様なキャラクターがひしめく群像劇を作り上げたガイ・リッチー監督は、筆者にとってお気に入りの監督であった。その後『スウェプト・アウェイ』、『リボルバー』等で低迷し、もはやこの監督はかつての才能を使い果たしてしまったのかと思った。それが『シャーロック・ホームズ』によって見事に復活を果たした時、筆者は劇場で拍手を送らざるを得なかった。もちろん、心の中で。

 

ガイ・リッチーは、『ロック、ストック』や『スナッチ』において、タランティーノに比べれば穏やかながらも、スタイリッシュなバイオレンス描写を示していて、筆者も、その点こそがブラックユーモアや群像劇と併せてリッチー作品を評価した要素であった。従って『シャーロック・ホームズ』のように、リッチーが、大衆受けするアクション映画を撮れるとは思っていなかったし、かつてリッチーが描いていたバイオレンスには、観る者の眉を少しひそめさせ、そして僅かにくすりと笑わせるようなブラックユーモアを感じさせるものが彼の特質だった。

それゆえに、『シャーロック・ホームズ』が映画音楽の大家ハンス・ジマーの躍動するような音楽と共に幕を開け、徐々にリッチーらしからぬ一般的なアクション演出を示して大衆へと歩み寄った時、筆者は、リッチーが自身の宵闇を破るように、本作を撮って、明るい陽光のような映画へと作品の方向性を変転させていったことにいたく感動したのである。

もちろん、筆者としては、『ロック、ストック』や『スナッチ』によってリッチーに惹かれたのだから、それらのように、『シャーロック・ホームズ』よりは観る者を限定し、ブラックユーモアやバイオレンス描写が作品の特質を示す群像劇を観ていきたいという欲望もある。しかし、リッチーは『スウェプト・アウェイ』以降、迷走してしまった。その果てに『シャーロック・ホームズ』の如き、大衆的で、普遍的なアクション映画を撮ったのであれば、その路線で彼が映画監督として生きていければ、それで構わないと思う。なぜなら『シャーロック・ホームズ』は大衆的で普遍的なアクション映画として成功しているからだ。

 

 

とはいえ、ガイ・リッチー監督の『シャーロック・ホームズ』から、ブラックユーモアが消えた訳ではない。

特に悪役ブラックウッド卿が死刑宣告をされて絞首刑になった後、復活してホームズたちを苦しめ、最後にタワーブリッジでホームズと対決して敗れた時、首吊りで死んでしまう結末には顕著に感じられるだろう。そもそも、原作通りとはいえ、貸家に銃を放って、「VR」(ヴィクトリア女王)の文字を弾痕で書いてみせるほどの奇行を起こすホームズ自身が、ブラックユーモアの最たるものだ。何を言われても動じず、そして自らの頭脳明晰さを示すためには、相手の感情を逆なですることも厭わない彼は、物語中で相棒のワトスン博士が彼を殴ってしまうほどに、シニカルな存在である。『スナッチ』におけるミッキー・オニールのタフさを彷彿とさせるほどだ。ホームズは、ミッキーの後継者的存在といって良いだろう。

 

ワトスン博士がホームズを殴ってしまったエピソードは、ワトスンが婚約者メアリーを伴ってホームズと食事をした際、ホームズがメアリーに失礼な態度を取ったことに起因する。ホームズがメアリーの容姿や洋服についたシミや汚れなどから彼女がどんな仕事をしているか、どのような過程でワトスンと結ばれたかを暴くプロセスは、あまりに厚顔な物言いで、メアリーを憤らせるが、ちょっとしたヒントから全てを暴き出す探偵としての炯眼に、観る者は驚き、そして、笑いがこみ上げてくるはずだ。

 

ただ、こうしたブラックユーモアも、『スナッチ』でフォー・フィンガーが腕を切り落とされたり、ブリックトップが不要な者を豚の餌にすると喚いたりといったような毒々しいものとは違って、大衆的で普遍的なアクション映画に対して、ガイ・リッチーのスパイスがほんの少々、ふりかけられているものに過ぎない。しかし本作で腕が切り落とされるシーンがあったら、品の良いミステリ小説である原作のイメージが損なわれるだろうし、それでは本作はヒットしまい。ちょっとした隠し味程度にブラックユーモアが散らされているところに留めているからこそ、普遍性を獲得し得たということができる。

 

 

本作『シャーロック・ホームズ』の主役はロバート・ダウニーJr.だが、もう一人の主役を挙げるとすれば、ハンス・ジマーだろう。そう、本作の音楽を手掛けたハンス・ジマーである。

 

本作のジマーの音楽は物語をけん引する。

 

冒頭から始まり、随所で流れるメイン音楽は、シャーロック・ホームズが「次の事件に行こうか」と画面に向かって語りかけるところまで一貫して流れ、シャーロック・ホームズを演じるのはダウニーJr.だけではない、音楽もそうなのだと言わんばかりの強い存在感である。それだけこの映画の音楽は、ホームズのコミカルさ・ユーモア、殺人事件やホームズの行う穏やかな暴力性などを露骨に表現していた。この映画の音楽は、映画の背景に流れるべき、文字通りバックミュージックに留まるものではなく、ダウニーJr.と共に並んで、ラストまで疾走するのだ。