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【書評】 蠕動で渉れ、汚泥の川を 著者:西村賢太 評価☆☆☆★★ (2016年)

 

 

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西村賢太なんか全く興味がなかったのに、筆者が愛読している書籍・映画評ブログ「アブソリュート・エゴ・レビュー」の作者が、「定期的に矢も楯もたまらず読みたくなる中毒性を有する西村賢太」とまで書いていたので、読んでみた。西村の小説は芥川賞受賞作『苦役列車』しか読んだことがない。

 

同じ芥川賞作家の村田沙耶香ほどではないが、確かに面白かった。

地の文やセリフは、昭和58年という時代設定よりも、だいぶ古臭い気がするが、西村は敢えてそういう文体を使っている。世界観は貧乏な中卒の少年の物語を赤裸々に描いているが、自虐的で、にもかかわらず嗜虐的な少年の複雑な心理・行動の描写は、独特で興味深い。『苦役列車』の時も感じたが、西村の小説はこれであると、直ぐに分かる個性的な文章になっていた。文章を読んでいるだけでも西村の頭の中を見るようだ。

 

 

本書は、全体的に自虐的なギャグが多く、純文学というよりエンタメだろう。自虐という意味での笑いのネタが随所にあり、言葉で笑わせるセンスに長けている。西村の文章が漫才でいえばボケで、読者はツッコミなのである。いちいち「何言ってんだ」とか「いい加減にしろ」とかいうツッコミを入れながら読むと本当に面白い。人前で読んでいたら思わず笑ってしまうほどだ。例えば、貫多は中卒の17歳で、女性を欲しているのだが、その時の描写が以下である。

 

バイト終わりや休みの日に、そうした女とどこかで待ち合わせ、普通にデートをし、うち二回に一度はちょっとセックスなぞもさせてもらえると云う、極めて普遍的な男女交際の楽しみが今の自分の生活中にあったならば、それはどんなにかうれしいことに違いあるまい。

 

何とも味わい深い描写で、切なくなるほどだが、この文章を読んでいておかしくならないか。特に「二回に一度はちょっとセックスなぞもさせてもらえる」などという、哀切な欲望をここまで赤裸々に吐露されると、立ち止まって文章を読み返し、笑いが止まらなくなってしまう。それも「させてもらえる」という、何だかこう、女性にお願いして「やらせていただく」ような貫多の奥床しさに笑える。

しかも「二回に一度はセックス」という描写は、他の文章でも出てくるのである。よほど貫多は二回に一度のセックスにこだわっているかのようだ。自虐的に地の文で書かれることで、三人称ながら主人公を突き放さないことがよく分かる。

 

また、貫多は孤高を好むのだが、だからといって「ローンウルフ」なるダサい言葉を何度も何度も、敢えて多用するあたり、この言葉に切ない自虐が込められているのだが、やはり笑ってしまう。読みながら、筆者は、「ローンウルフじゃねえよ」などと、ツッコミを入れてしまえるのである。

 

17歳の癖に、酒飲みで当たり前のようにビールを飲み、タバコをふかす。それが、貫多は貧乏でエゴな性格ゆえに全く洗練されておらず、ほとんどオッサンのようだからいちいち笑える。借家の前に泥酔のあまり嘔吐したなどという描写は唖然とさせられるが、やはり良い。

 

そして一番筆者が笑ってしまったのは以下の文章だ。

 

きっと今頃は、早くも各々女と共に部屋に引きこもり、全裸になり合ったベッドの中で、モゾモゾやっているに違いない。フェラチオをねだった挙句、もしかしたら初めてのバックなぞを、果敢に試みているかもしれない。

 

いったい、こんな馬鹿みたいな文章をよく考えついたものだと思うのだ。モゾモゾやるだの、フェラをねだるだの、安っぽい描写が続き、挙句の果てには、「初めてのバック」とくる。まるで初めてのキスのように「初めて」を使う西村賢太のある意味センスの良さに、笑いを抑えることができない。「セックスの体位如きに、いちいち気取った文章を使ってんじゃねえ」などと、筆者などは読みながらツッコんでしまった。

 

マジメに読んでいると馬鹿を見る小説だが、17歳で酒飲み、喫煙者、そして自分ではイケメンと思っているけれど女性が寄り付かず、風呂に何日も入らない不潔な、オッサンのような少年、北町貫多の自虐ギャグを見るために読めば、相当に面白いことが分かるだろう。テレビに出ているお笑い芸人がいかに笑いの言葉を磨いていないか、本書を読むと実感してしまう。