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【映画レビュー】 スヌーピーのメリークリスマス 評価☆☆☆☆★ (1965年 米国)

 

 

 

GWは、皆さまはいかがお過ごしだっただろうか。筆者は全て家族サービスに費やした。何しろ子どもが3人いるので仕方がないといえば、仕方がないのだが。おかげで、せっかくの休みの日なのに、読書もできないわ、映画も観られないわ、小説も書けないわでふんだりけったりだった。

 

子どもとはゲーム(オセロ、UNO、トランプ、かるた)などをして遊んだ。上が年長、真中が年少、そして一番下は赤ん坊である。

幼稚園児でも、教えながらであれば上記のゲームをして遊んでくれるので、これなら筆者でも遊ぶのが苦にならない。ゲームの面白さを知ってしまったので、毎日のようにオセロやUNOをやらされるのは大変だったが。

 

GW中はずっと晴れていたから、外でも遊んだ。自転車、公園、かけっこ、ボール遊び、縄跳び、などだ。

 

しかしずっと子どもと遊ぶのも辛いので、妻に少し子どもを見てもらう。ちょっと車を走らせたところに日向ぼっこができる公園があるので、そこで私は簡易ベッドを持ち出し、ハワイ気分を味わった。おかげで少し日に焼けた。

 

久しぶりの出勤となった本日、同僚から「どこか行って来た?」と言われたが、「ハワイ」とでも言えばお土産を要求されるかもしれないので、正直に、「公園にね」と言うしかなかった。

 

 

子どもが観たいと言ったので『スヌーピーのメリー・クリスマス』をレンタルした。時間はわずか25分。50年前の作品とは思えぬほど完成度が高い。アニメーションだが、派手なシーンがなく、物語は教訓めいているので、大人向けである。我が子たちはスヌーピーが大好きなのだが、本作は理解できなかったようだ。

 

クリスマス到来。チャーリー・ブラウンはクリスマス劇の監督を務めることになっていた。しかしルーシーをはじめ、仲間たちは全く言うことを聞かないし、チャーリーを軽侮して言いたい放題の始末だ。

 

しかもチャーリー・ブラウンは監督なのに、クリスマスツリーを用意するようルーシーたちに命じられる。しぶしぶ、ライナスと共に探しにいくのだが、仲間が求める豪勢なツリーではなく、枯れ枝のように貧相なツリーを持ってきてしまった。

 

案の定、ルーシーたちはチャーリー・ブラウンを責める。ほとんどいじめにも近いほどの言われようである。

 

チャーリー・ブラウンは、「クリスマスをお金儲けのために利用するなんていやだ」と言う。でも、クリスマスって、じゃあ、そもそも、何の日だっけ?

 

そこでライナスはスポットライトを求める。彼だけにライトがあたり、クリスマスはキリストの生誕を祝う日だと言い、クリスマスの意義を語り始める。このシーンが非常に感動的であった。アニメなのに危うく泣かされそうだった。

 

舞台は外に移り、チャーリー・ブラウンの買って来た枯れ枝ツリーに、仲間たちみんなで「衣装」を着せて、クリスマスツリーらしく仕立て上げる。そして、仲間たちみんなで、讃美歌を歌ってフィナーレ。

 

なんとも芸術的なアニメーションであった。

 

 

妻はこの作品を観て、海外のアニメは個を大事にしているから良いねと言っていた。日本のアニメだったら、チャーリーが責められているシーンで助け舟が出てきてしまう。この作品では、チャーリーががんばって見つけてきた枯れ枝みたいなツリーでも、クリスマスの目的をはっきりと思い出せば、それでも十分にツリーたりえるということである。

 

助け船を出して協調性を示すよりも、目的を明確にさせ、チャーリーのがんばりも認めるということ。確かに、何をやってもダメなチャーリー・ブラウンであるが、彼はがんばる。がんばった結果、ダメなだけなのだ。そのがんばりだけは認めてあげても良いじゃないか。そういう個を、この作品は大事にしている。そして、商業主義的なクリスマスの本来の意味を見出させる。