【映画レビュー】 アウトレイジビヨンド 評価☆☆☆☆☆ (2012年 日本)
物語の構成は前作とほとんど同じ。神の役割を果たす人物がいて、組織同士で戦わせ、一方を壊滅させようとする。前作のように組織が壊滅するところまでは至らないが、弱体化に成功する。そして神はまたしても人間に殺害され、エンディングを迎える。前作よりも暴力表現は控え目で、途中にカジノシーンのような中だるみもなく、終始緊張感のある冷酷な演出が冴えわたる。私は2作目である本作の方をより好む。
本作で神の役割を果たすのは刑事の片岡。神は、前作と違って暴力団を束ねる者ではなく、警察という外部から暴力団=組織を壊滅させようともくろむ者だ。前作同様に、神の企みは失敗し、人間の反逆にあってしまうのだが。
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片岡刑事役の小日向文世
神に反逆し、神を殺害するのは大友。もはや組を持っておらず組に属してもいないので、厳密には暴力団員ではなくチンピラである。
前作において大友は主人公にしては存在感が敢えて薄くされ、駒に徹していたが、本作では控え目ながらも貪欲に目的を遂行しようとする。目的とは山王会の弱体化だが、元来は山王会と争う気はなかった。しかし、木村の若い衆が殺害され、かつ木村の熱心な説得にほだされ、ケジメを付けるために山王会と戦う。
かつて関内会長の指示の下に村瀬組を壊滅させた大友だが、村瀬の残党である木村、関西の巨大暴力団・花菱会と手を組み、山王会の若頭石原、幹部の舟木、そして加藤会長を殺害し、山王会を弱体化させた。
しかし、これらの行動は全て神である片岡の描いた設計図通りの行動なのである。自らの意思があるようでいて、片岡の言葉通りに動いたに過ぎないのだ。ただ、前作と違うのは、片岡は、大友が所属する組織の人間ではない、ということにある。そのため、言葉通りに動いたものの、片岡が持つ言葉には組織における強制力はない。従って大友は片岡を殺すことができるのだ。
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大友役のビートたけし
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加藤会長役の三浦友和
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石原役の加瀬亮(こうやって素顔で見ると、一番ヤクザに見えないのは、坂田聡よりも加瀬亮だな)
大友と行動を伴にするも、神に反逆することなく神の指示通りに散っていくのは木村。かつて弱小の村瀬組の若頭を務めていた木村である。前作で、関内会長の指示の下に、大友組は村瀬組を陥れて弱体化を図った。その時に、大友に顔をカッターで切られてしまった木村である。またも前作で、命欲しさに刑務所に入った大友の腹を刺した木村である。
本作では刑務所を出所して、バッティングセンターを経営している。
木村は神である片岡に、山王会に親(村瀬)の仇を討てと諭される。そして、木村は暴力団の抗争に巻き込まれていく。木村には2人の若い衆がいる。
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木村役の中野秀雄
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若い衆役の桐谷健太と新井浩文
花菱会には、布施会長が君臨し、若頭の西野、幹部の中田が会長の補佐役として常に一緒にいる。
布施会長は、山王会の先代の会長・関内と戦争をしないという約束を取り付けていた。しかし2代目の加藤会長とはそういう約束をしていないということで、片岡の言葉通りに山王会と戦争を始めていく。
ただし、戦争はあくどい方法を使っている。大友と木村という、山王会に恨みを持つ2人を餌に使い、あたかもこの2人を中心に、背後から山王会を襲撃しているかに見せて、山王会の連中を殺すやり方なのである。つまり戦争と言いながら、花菱会は山王会と面と向かって戦争をするとは言わずに、山王会の人間を殺していき、弱体化を図るのである。舟木、そして若頭の石原までもが殺されてしまった後、幹部の元に舟木が暴露した加藤会長の裏切りを録音したCDが送られてくる。そこでようやくネタばらし。実は花菱会が裏で手を引いていたのでした!となるのだが、戦争でどっきりカメラもあるまい。加藤会長は怒り心頭に発するが、時既に遅し。加藤会長は強制的に引退を命じられ、新会長には白山、そして若頭には五味がつく。
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大友は同士である木村の手を借りずに、加藤元会長を殺害し、仇を討つ。そのまま、韓国人のフィクサー(冒頭に出てくる)の手を借りて韓国に渡ったかに見えたが、未だ日本にいる。そう、神を殺していないからである。
加藤一派の残党は、片岡刑事の手招きにより、木村組に警察のガサ入れが入って手薄になった組事務所に押し入り、木村を殺害する。片岡の情報により木村が加藤を殺したと誤情報を与えられたのだろう。
木村の通夜。木村が死んで全てが終わったかに見えたが、片岡はそう思っていない。彼はこれから、弱体化した山王会ではなく、力を増幅させてしまった花菱会を潰そうと企んでいた。そのためにまたも大友を利用するかに見えたが、油断したところを大友に殺害されてしまうのであった。前作を踏襲して、本作でも、神=片岡刑事は、人間に殺される。前作と違って、神の座に人間が座ろうとするのではなく、神が死んで、神なき世界が出来あがったかのようである。いや、『アウトレイジ』シリーズにおいて、神は死んでもらわねば困るのだ。もしまた神が出てきて、こうしろ、ああしろと、言葉をささやけば、またもや戦争が始まってしまう。だから、もう神は死んで良い。もう誰も神の座についてはならない。そうしなければ再び血が流れる。