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【書評】 仮面の告白 著者:三島由紀夫 評価☆☆☆☆☆ (日本)

仮面の告白 (新潮文庫)

仮面の告白 (新潮文庫)

三島由紀夫の『仮面の告白』を数年振りに再読。本作は、三島の半自伝的小説と言われている。詩的で精緻な文体は既に完成されていた。この作品を書き上げたのが僅か24歳というから、彼の早熟な智性に瞠目させられる。24歳にして、三島の代表作といえるほど高い完成度を誇る。

主人公はほぼ三島と同年齢の青年。体は貧弱で細い。幼年期から女言葉を使うなど、既に同性愛的資質が仄かに見える。貧弱な体を持っているからこそ、強靭な肉体を有する少年に対しては強い性欲を感じるのである。少年期には、近江という不良な同級生を愛して、彼の雄々しい体に魅惑されていく。近江は不良な態度を取り過ぎて放校処分となるのだが、この少年こそ、主人公が欲望する男性の象徴的モデルである。

主人公は若く逞しい男の死に様を夢想して悦に浸る。それは、幼い頃に読んだ絵本から始まっていた。主人公は、絵本に描かれる「人間やモンスターに殺されていく凛々しい男たちの死に様」に昂奮を覚えるのである。あたかもこれは、三島がボディビルを始め、その肉体が衰えきる前に死を選んだ自らの人生の結末を予見しているかのようだ。肉体を鍛えた男は、老いてはならず、死ななければならないとでも言っているかに見えた。

本書のエピグラフには『カラマーゾフの兄弟』の美に関するエピグラフが載っているが、美の極限は、三島にとってはエネルギーが漲る若い男の肉体なのであろう。三島は後年、ナショナリズムに接近し、「盾の会」という民兵を結成した。彼らの制服は軍服のようであるが、制服もまた男性的な美の具体化である。男性的な美と、ナショナリズムとを混交させることで、三島は『仮面の告白』で描いた、肉体を鍛錬させた男の死を、身をもって体現するのである。そういう意味では、本書は三島由紀夫の死を予見する作品ということもできるだろう。本書にはない、ナショナリズムの理論を連結させれば、『仮面の告白』で主人公が憧憬した男の死は、まさに三島自身の死なのである。

本書は主人公の同性愛的資質を描いている。その資質は男性的な美を欲望するあまりに、性愛へと結びつく。男と男とが肌を交わすような場面はないが、主人公の自慰という行動で、それは何度も言及されていく。男性器を刺激するというような、露骨な表現を使わずに、自慰行為を詩的に描くあたりは、三島由紀夫の高い美学を感じられた。

性愛ではなくても、主人公が近江を愛し、その愛が相手に伝わってしまった時の場面は臨場感があり、作者の体験ではないかとすら思えるくらいである。

反面、園子という、京都の大学に通う友人の妹との疑似的な恋愛は、三島の思い入れが少ないのか、やや淡白に感じる。しかし、これには理由がある。
園子という女性が主人公を愛し、彼女の方で婚約を勝手に考えるまでに思い詰めたにもかかわらず、主人公は彼女を捨ててしまう。結局、園子は主人公にとって、男の代わりにはなり得ないのである。ダンスやその他の場面で雄々しい男たちの肉体美に欲望するシーンが随所に出てくるが、園子と交流している時よりも、主人公は男の方が良いのである。そのために、園子は淡白な描かれ方をする。園子は、主人公にとっては、恋の戯れといおうか、男性に到達するまでの布石でしかないのである。

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