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【書評】 江藤淳と大江健三郎 戦後日本の政治と文学 著者:小谷野敦 評価☆☆☆★★

江藤淳大江健三郎の二人の文学者に対する伝記。作品については深入りすることなく、あくまでも伝記に徹しようと努める。江藤淳は政治的に保守で、大江健三郎は革新なので、政治的に対称的な文学者を、時系列に追っていくということになる。対称的とはいっても、大江の文学に政治思想が強く押し出されているとはいえないし、そのために彼の政治的発言と小説とは、必ずしも一致しない。あくまでも保守と革新という対比は、それぞれが共に政治的な発言を行う時に際してのものだ。

そして本書も、あまり政治性には強く触れていない。副題には政治と文学とあるが、彼らの政治性に執拗に触れると、思想的な対決を描くものになるだろう。それは面白いようで、退屈だ。江藤は天皇制絶対論者で、大江は幼稚な左翼思想である。そんな対決を示されても凡庸で読むに耐えない。本書のようにあっさり触れるあたりがせいぜいだ。あるいは、高い次元で政治性を振りかざし、この二人の政治思想を批判すれば興味深いかもしれないが、そういった視点は、本書には見られなかった。

さて、もし大江健三郎の小説に政治思想が強く反映されているとしたら、彼が世界的に評価されるまでには至らなかっただろう。大江の政治的な発言には、私も眉を顰める側だが、というのも、大江のそれは余りに短絡的で幼稚な左翼的発言だからである。一方で大江の小説のいくつかは、空前絶後の詩的言語が創造されていて、傑作とされる作品があるのを知っている。ゆえに、小説と政治的な発言とを比較した時に、同一人物によってなされたとは考えられぬほどだ。

小谷野敦は明らかに江藤淳を評価しておらず、全否定とまではいかずとも、江藤の文学に対する評価基準が分からないと断ずるあたり、江藤の評論家としての能力を一刀両断してしまっている。評論家の評価基準が分からないとは、彼が何を言っているのか分からないと言っているようなもので、強い批判である。

小谷野節は全開で、江藤淳を醜男呼ばわりしたり、小林秀雄を、なぜあんな馬鹿を日本人はありがたがるのか?とまで嘲笑したりするなど、豊富な情報量を元に冷静に文章を書きつつも、著者は、言いたいことは奇をてらわずに率直に言うのである。その言い方に品がないといえば、確かに上品さのかけらもないのだが、下劣な表現をしてまでも、著者はハッキリと批評してしまいたいのである。

本書は伝記だが、週刊誌的な、ゴシップ的な話題も多く、大江と江藤の人生を、面白がって読むことはできるが、彼らの生涯ないしは半生を、文学的に深掘りして追求しているとは言えない。著者は、作品に余り触れないと言っているが、確かにそれはその如くだが、ゴシップ的な話題を書くくらいなら、もう少し作品に触れても良い。その方が、伝記としての価値は上がるだろうに。

著者は比較文学者だけあって、資料を丹念にあたる術は心得ている様子が窺える。だから全てにおいてゴシップで統一されている訳ではもちろんないし、大江や江藤の文学観や思想に至るまで、丁寧に、資料に基づいて指摘しているところは納得感がある。著者はかつて『もてない男』をヒットさせただけあって、読者が面白がるポイントも心得ている。それがゴシップでもあり、大江と江藤のあまり知られていない事実であったりするので、退屈せずに最後まで読むことができた。こういう文章の書き方は、他の書き手も参考にすべきだろう。

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