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【書評】 青い眼がほしい 著者:トニ・モリスン 評価☆☆☆☆★ (米国)

青い眼がほしい (ハヤカワepi文庫)

青い眼がほしい (ハヤカワepi文庫)

『青い眼がほしい』は、ノーベル賞作家トニ・モリスンのデビュー作。人種差別と女性差別という二重の差別が黒人少女クローディアの「眼」を通して描かれる。青い眼がほしいと言っているのはクローディアではなく彼女の姉でもなく、友人のピコーラである。また、ピコーラは父親から性的虐待を受けて望まれぬ子を妊娠させられるほどに苦難を味わうから、ピコーラが本書の「主演女優」であるが、クローディアや、その姉もまた人種差別と女性差別の被害を強く感じている場面が多々ある。三者三様の差別模様が描かれるといえよう。

ピコーラは11歳くらいの子どもなのだが、父親は件の通りのろくでなしであり、母親もピコーラの味方をする訳でもなく夫と喧嘩を行い、兄は自宅を嫌がり、家出を繰り返す。そんな中、ピコーラは、白人女性の持つ青い眼がほしいと訴える訳だが、叶えられることもなく黒んぼ呼ばわりされ、父には強姦され、気が狂ってしまう。ピコーラは黒んぼ呼ばわりされて人種差別される訳だが、彼女は、強姦されることで、人種差別と女性差別の両方を受け持つ人間の象徴として投影される。黒人女性は、本書の中で、最低のポジションに置かれる。黒人であることで白人から差別され、女性であることで黒人男性から差別されるからである。

クローディアの眼を通して差別が描かれると言ったが、眼は、この作品で重要な位置を占める。白人という、黒人の置かれた永遠とも言える悲哀なポジションを決めてしまった権力者が、何をもって黒人に劣位な位置に置かしめたかと言えば、肌の色なのである。黒人が黒い肌を持つということを、眼で見た白人は、黒人を差別する。永遠に黒人は白い肌になることができないし、その白い肌の持ち主の持つ青い眼も持てないからだ。眼で見ることが人種差別を構築してしまうということ。肌の色は変えられないし、眼の色は変えられない。そして人種は変えられない。

だから、眼で見た対象が自らと大きく違った存在、本書の言葉を借りるなら醜いニガーであっても、先天的に変えることができない人間の外的あるいは内的特徴をもって、差別することは許されないのである。同じことは女性にも言えよう。眼で見るという行為を捉えて、あらゆる先天的な人間の持つ外的内的特徴による差別を許さないという著者のメッセージは、文学的に素朴であるが、根源的で、有無を言わさぬ頑健な筆の力を感じざるを得ない。