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【映画レビュー】 闇金ウシジマくん ザ・ファイナル 評価☆☆☆☆★ (2016年 日本)

 

 

 

闇金ウシジマくん』の最終作。私はこのシリーズをテレビ版から見ているが、『ザ・ファイナル』が一番気に入っている。現実の社会における闇の残酷さと、過去の青春時代の哀切さとが混交した味わい深い佳作である。これは、DVDではなく劇場で見るべきだった。丑嶋は山田孝之、柄崎はやべきょうすけ、竹本は永山絢斗、犀原は高橋メアリージュンが演じる。鰐戸三兄弟の一人に安藤政信

 

時間は丑嶋の少年時代にさかのぼり、転校生だった丑嶋は、不良時代の柄崎と出会う。2人は社会に出て後の闇金コンビになるのだが、この時はまだ上下関係はない。丑嶋は転校生の癖に不良の柄崎に逆らい、クラス中からリンチを受ける。この時、不良でない者も加担させられており、組織の持つ恐ろしさを感じさせるが、竹本だけは加わらない。

 

丑嶋は全員に復讐を果たすが、柄崎は鰐戸(がくと)三兄弟という強敵に怯えていて、丑嶋の力を借りて倒すことになる。少年時代の場面では、幼い頃の戌亥も出てくる。実家がお好み焼き屋らしく、丑嶋の好物なんだとか。

 

丑嶋には道楽者で子どもに当たり散らすどうしようもない父親がいるが、丑嶋はそんな父親に、布団を干してやったり、飯の準備をしたりと、亡き母の代わりを甲斐甲斐しく務めている。丑嶋の子ども時代を演じた俳優は見たことがないが、山田孝之が演じた丑嶋と、声色と風貌がそっくりで、凄みがあって素晴らしい。

 

丑嶋は、竹本に、死んだ母のことが好きか?と聞かれて、「当たり前だろ、母ちゃんだぞ?」と堂々と言う。闇金の丑嶋しか知らない私はハッとさせられる場面であった。竹本は、「かおるちゃんのように人を好きになりたい」と言う(丑嶋はかおるという名らしい)。

柄崎も、これから鰐戸に殴り込みに行くに際して、自宅でシャワーを浴びながら母に「ごめん母ちゃん」と泣きながら詫びる。ウシジマくんシリーズは、闇金業者のえげつないところを惜しげもなく描写する作品で、丑嶋も柄崎も一見人情のない人間に描かれているが、時折見せる人間味(借金を返すために努力する人間には、優しさのようなものを見せる)の源泉が、この少年時代の人情の機微にあったことを想像させられる。 

 

 

現在のシーンでは、闇金業者に成り下がった丑嶋の元へ、大人になった竹本がやってくる。彼は金策が下手でホームレスになっていたのだが、違法な強制労働を行う貧困ビジネス業者に騙されて、低賃金で住み込みで働かされていた。竹本は、子どもの頃から人の不幸を放っておけない性質で、同室のけが人の男の医療費のために、闇金業者である丑嶋から金を借りるのである。丑嶋は善意だけでは社会を渡っていけないことを知悉しており、竹本の経済観念の欠如を責める。竹本の善意は宗教じみていて、現実との柔軟性がまるでない。この貧困ビジネス業者を仕切るのが鰐戸三兄弟で、丑嶋との因縁の対決が12年の時を経て、決着することになる。

 

竹本の宗教じみた善意は、多くの人間を混乱に陥れるが、甲本という男だけは、価値観を変えて、真摯に生きようと決心する。

 

犀原茜の力を借りて鰐戸三兄弟を葬ることに成功した丑嶋だが、竹本は丑嶋に借金を返せなくなっていた。竹本はその宗教じみた善意により、多くの強制労働者の連帯保証人になっており、彼らが返済しないことから、一気に、債務が迫ってきてしまったのである。しかし、膨大な返済金を前に竹本は返すことができず、一年で廃人になってしまうという場所に強制的に送られてしまうのだった。

 

かつて少年時代に、寂しい心を慰めあった彼らが、闇金の仕組みのために断ち切れない残酷な運命を受け入れていく最後のシーンは、青春時代の哀切さが戻ってくるようで心に染みる。丑嶋は闇金の仕組みを破ってまで竹本を救うことはない。竹本がもしここで、借金を返すためにがむしゃらに働きでもしたら、丑嶋は竹本に救いの手を差し伸べたかもしれない。しかし竹本は宗教じみた善意を繰り返すだけで、金を稼ごうとしないのだ。金を稼ぐための善意は、彼には欠如されているのである。だが竹本は、そんなことはできなかった。恐らく廃人になってしまうことが予想されるラストだが、彼は、前述の通り、甲本の価値観は変えたのである。それをなしたことで、彼の存在意義がある。