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【映画レビュー】 君の名は。 評価☆☆★★★ (2016年 日本)


やっとDVDを借りて、日本映画歴代2位のヒット作『君の名は。』を鑑賞。テレビ放映されるまで観ないつもりでいたが、無料で借りられる機会があったので、鑑賞した次第。都会や自然などの背景の描写が非常にきれいで、特に彗星の放物線を描くように落下していく様は美が誇張されていると思うほどにクリエイティブで美しい。反面、人物のキャラクターのビジュアルや性格設定は人工的で、テレビを通じてそれを観ていると、映画との距離感を痛切に感じる。また、心理描写や物語の構成は、粗雑で練られていないようである。そういうことも関係して『君の名は。』は私には遠い存在に感じられた。『君の名は。』のような作品が、興行収入を次々と塗り替え、日本映画歴代2位の作品となってしまう。日本人はこういう粗雑な描写や構成の作品を大ヒットに導いてしまうのか・・・と思うと若干の悲しみを感じもする。日本以外、中国や韓国でも『君の名は。』はヒットしているようだが。最低点を付けるほど酷い映画ではないけれども、標準レベルの映画ともいえない。普段映画を熱心に観ていない層が観にきているのだろうか。この作品を称賛する感性が分からない。同時期に大ヒットした『シン・ゴジラ』ならそのヒットの理由がよく理解できるのだけれど。

東京の男子高校生と、飛騨の女子高校生との体が入れ替わるSFファンタジーで、最初は入れ替わっていることに気付かず夢だと思っている。それが徐々に、お互いに現実だと認識するようになる。入れ替わることに気付いてからのシーンは小気味良いギャグが盛り込まれていて楽しい。何度か笑わされてしまった。女子高校生の三葉(みつは)は女性的な性格で、絵を描いたり刺繍をしたりすることが得意で、一方、男子高校生の瀧は男性的な性格で、ケンカが弱いのに納得できない相手に喰ってかかることがあり、三葉が入れ替わった当初の瀧の頬にはばんそうこうが貼ってある。こういう正反対の性格の男女が入れ替わることで、笑いが生まれるのだが、効果的に演出されている。例えば、瀧は、バイト先の先輩に憧れていた。そのバイト先で難癖をつけてきた客に、入れ替わった後の瀧が対応するがうまくいかない。先輩が助けてくれたが、彼女は客にスカートを切られてしまう。その後、瀧は先輩のスカートを修理してやるのだが、先輩は瀧の巧みな刺繍に驚くが、女の子のようなかわいらしい刺繍なので笑わせられるのだ。中身は女性的な三葉は、細やかな対応で徐々に先輩の心を掴んでいくまでに至り、最後は先輩とデートの約束を取り付ける。

何度か体の交換を重ねていくうち、徐々に相手のことを愛するようになる瀧と三葉は、瀧が先輩とのデートをする日に、それを意識するのだが、何が一体、こういう状況を生み出すのか、どうもよく分からない。確かに相手のスマートフォンや手帳などにメモを残しているので交流しているのだろうが、それだけで相手を好きになることの理由にはならない。説得力がないのである。だから、私は一体どのようにして瀧と三葉が、相思相愛となるのかが理解できないまま、物語を観続けることとなった。頭の中にずっと疑問符が付いたまま、もしかするとどこかで得心する場面があるのかと思って観ていたが、最後までよく分からないままだった。瀧が念願の先輩とデートをした日の別れ際、先輩から「誰か好きな人がいるんじゃない?」と言われるのだが、スマホで隠し撮りするほど恋焦がれていた先輩よりも、三葉の方が好きになるというその心理がよく分からない。映画だから言葉で説明する必要はないが、セリフなり状況なりエピソードなりを示して、三葉のことが大事な存在なのだということを明らかにして欲しかった。それは、瀧についても同様で、三葉がなぜ瀧を恋するようになったか、分からない。そういったことを全てカッコに入れて恋愛物語を語られてもなぁ・・・この粗雑な描写がどうにも気に入らない。

さて、体の入れ替えは急にできなくなる。その理由は、実は三葉という女子高生は既に死んでいたのだった。現実的には彼女は3年前に隕石の墜落で飛騨にある町ごと吹っ飛んでしまったのである。「そんなバカな?」という設定で、恋愛描写に疑問符が付いたまま観ていた私が、椅子からずり落ちそうになってしまった。SFファンタジーだから何でもアリなのだろうか?

何度も体の入れ替えをしていて、その入れ替えの理由が分からないでいる瀧と三葉に、内心、私も「なんでだろう?」と思いつつ観ていたが、実はもう三葉が死んでいたとは。じゃあ三葉は霊なのか?そうじゃないか・・・入れ替えの時に時空を超えていたという訳か。全く、テレビゲーム的な設定で恐れ入る。このあたりで相当に興ざめしていた。三葉が既に死んでいたことを知った瀧は、何とか3年前の三葉に、隕石落下の前に知らせようとしているのだが、もう、恋愛感情を持っていることに疑問符が付いている状態なので、ここまでする理由が分からず、どこまで進むんだぁ~瀧よ!と、声を掛けたくなるほどだった。最終的には三葉の運命は変わり、死なずに済むようになる。

最後は、三葉、瀧、共に相手のことを忘れたまま数年が経ち、名前が分からなくなる。ただなんとなく、大事な存在だったのではないか、ということだけは覚えている。電車の窓からお互いに何となく気付いて、途中下車して、瀧は階段を上り、三葉らしき人を見かけ、「君に会ったことがあるような?」と言って相手も同調して終わる。この終わり方はどうなのだろうか?なぜ相手のことを覚えていないのか?そんな人間に再会したところで、ああそうですかという程度の感想しか抱けないのだが•••

とりあえず、自然や都会の描写は非常にきれいなので、それを楽しみに観ても良いだろうとは思う。私は映画を観ながら、宮崎駿の『カリオストロ』や『ラピュタ』が観たくなった。