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【書評】 武州公秘話 著者:谷崎潤一郎 評価☆☆★★★ (日本)

武州公秘話 (中公文庫)

武州公秘話 (中公文庫)

乱世の時代、武州公という武将の変態的性欲を赤裸々に描いた歴史物語。

13歳の少年時代、武州公は人質に取られていたのだが、ある時、戦で勝ち取った敵の首を整える女性たちの元へ行ったことがあった。そこで彼は、その首を見つめる一人の美しい女性を見つけた。彼女は武州公よりも身分が下であるが、女性に対して強い美を感じる彼は、身分などは関わりなく美を愛し得る。女性は首を見ながらニタニタと薄ら笑いを浮かべているのである。それを見た武州公は、自らもその首になりたいかのような被虐的な性欲を感じる。ある時彼は、女性が鼻のない首を見て微笑を浮かべているのを見た。不具の顔を見て一層の性欲を感じた彼は、自らも殺人を犯して、鼻を削いだ上で女性の前に首を差し出し、女性の微笑を見たいと思ったのである。

そして武州公は、ある時人目を忍んで戦地へと赴き、睡眠中の武将を殺害し、鼻を削いだのである。本当は首を切り取りたかったが、追手に追われて鼻を削ぐだけに留まった。

これが物語の発端で、武州公が仕える武士が迎える妻というのが、この殺害された武将の娘で、武州公が仕える武士というのも何をトチ狂ってそのような振る舞いに出たのかと思うが、この妻が実は虎視眈々と夫に対して父の復讐の機会を狙っているという物語が、素早い筆さばきで書かれて殊更にスリリングである。物語は純文学的な文芸の美しさというよりも、物語の運びに執着したエンターテインメントとしての面白さを追求している。

妻の名は桔梗といい、彼女は夫の鼻を削ぎ、父と同じ容貌にしたいと企んでいた。そして、手慣れの部下を使い、弓を放って夫の鼻を狙う。失敗して夫を兎唇にしてしまった。しかし一度目の弓で下手人が武州公に殺害され、袂に入った手紙から桔梗のことが露見してしまうというのは、物語を迅速に進めるためには必要だろうが、私には思慮が足りないように思えた。下手人が、間が抜けているようにしか思えなかったからである。

そして新たな下手人が夫の耳を砕き、またも鼻を削ぐことに失敗するのだが、徐々に、顔が損傷していく様を描きたいためにこのような設定にしているように思えてならず、谷崎のグロテスクな嗜虐性が伺われる。別に、さっさと鼻を削いでしまえば良いのに、そして結局、鼻は削がれるにもかかわらず、損傷が徐々に行われるのだから。

武州公と桔梗とは、やがて手を取り合って桔梗の夫の鼻を削ぐことに執心するのだが、この背景がどうもよく分からない。桔梗の家に入るために厠を伝って入るというのも奇妙で薄気味悪く、そんな男をなぜ信用するだろうか。

仮にも夫に仕える男が、主を裏切って桔梗側に付くことを許すというのは、なぜか?桔梗の心理がつかめない。結局、物語の最後、桔梗は夫に詫びる心で貞淑な妻に変わるというのも、取ってつけたようで全く関心しなかった。夫への復讐を目指すなら最後は悪事が露見して殺害されれば面白いものを、単なる善人に終わっている。しかも、解せないのは武州公が桔梗の父を殺して鼻を削いだ張本人なのに桔梗にはそれがバレないまま物語が終わることである。私はいつバレるのかと思ったし、バレたらどんな仕打ちを武州公が受けるかと想像したが、何もないのである。このような展開なので、多いに興を削がれてしまった。

幼い頃に見たニタニタ笑いの美女にしても桔梗にしても、サロメのような女性像である。これはいかにも谷崎らしいもので、本書の解説で正宗白鳥が言うように「谷崎好みの題材を谷崎式手法で活写しているだけ」というのは確かにその通りである。私も正宗と並んで、この怪異な物語に驚かされはしなかった。何よりも物語の構成が特段よろしくないのである。