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【書評】 谷崎潤一郎と異国の言語 著者:野崎歓 評価☆☆☆☆☆ (日本)

 

谷崎潤一郎と異国の言語 (中公文庫)

谷崎潤一郎と異国の言語 (中公文庫)

 

 谷崎潤一郎の関西移住前の初期作品について

 

フランス文学者で映画研究家の野崎歓による谷崎潤一郎についての評論。著者にとって日本文学は門外漢であるが、谷崎潤一郎について「異国の言語」という切り口でまとめ上げていて読み応えは十分だ。『カミュ『よそもの』きみの友だち』でも感じたが、野崎の評論は評論の対象(『よそもの』とか谷崎潤一郎作品とか)に対する深い熱情があるので、読者は対象に関心がなくても評論単独で読むことができる。

 

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尚、本書は、『卍』を除けば大正時代の谷崎作品について書かれているのが特徴。大正時代の谷崎作品は、後期の作品ほど安定的な評価を確保していないように思われ、私のように谷崎作品を通期に渡って等しく評価する者は特異な存在かもしれない。そもそも谷崎潤一郎は、かつて自作についてこのように語っていた。

 

変わると云えば大正末年私が関西の地に移り住むようになってからの私の作品は明らかにそれ以前のものとは区別されるもので、極端に云えばそれ以前のものは自分の作品として認めたくないものが多い。

 

谷崎本人がこのように語ることによって、関西移住前の初期作品に対して不当とも思える過小評価が下されることもある。上述の通り、私は初期作品も、関西移住後の後期作品もどちらも評価している。ただ、各々から感じ取る感性が違うだけだと言うばかりだ。初期作品には官能的で嗜虐的な味わいがあるし、後期作品にはたおやかな香りがある。二つの時代の個性が異なるだけで、どちらが高い評価を受け、どちらが低い評価を受けるものではないはずだ。

 

 

異国の言語を愛した谷崎

 

本書『谷崎潤一郎と異国の言語』は、独探、鶴唳、ハツサン・カンの妖術、人面疽、卍の5作品について書かれている。

 

それぞれの作品について「異国の言語」が取り上げられている。即ち、独探では「フランス語」、鶴唳では「中国語」、ハツサン・カンの妖術では「魔法の言葉」、人面疽では「映画的言語」、卍では「関西の言葉」が異国の言語である。

 

谷崎潤一郎は、英会話は苦手であったが英語の読解のレベルは高く、スタンダールジェイムズ・ジョイスなどを読みこなしていた。また、本書には谷崎が訳したボードレールの詩(英訳からの翻訳)も収められているのだが、美しい日本語に精通している谷崎ならではの名訳がそこに現れているのだった。

 

関西移住前の谷崎の初期作品から、谷崎の西洋崇拝を読み取れるが、本書を読むと谷崎は西洋に限らず「異国の言語」に高い関心を持っていたことが分かる。異国の言語といっても、ハツサン・カンの妖術では魔法語だし、人面疽では映画的言語、卍では関西の言葉が「異国の言語」扱いされている。要は、谷崎にとっての異国の言語とは、西洋のように、崇拝の対象となる異国の言語なのである。魔法語も、映画的言語も、関西の言葉も谷崎にとっては崇拝の対象であり、自分が話す標準語とは異なる異国の言語なのである。