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【書評】 ジャン・ルノワール 越境する映画 著者:野崎歓 評価☆☆☆☆★ (日本)

 

 

ジャン・ルノワール 越境する映画

ジャン・ルノワール 越境する映画

 

 ジャン・ルノワールとは?

 

フランスの映画監督ジャン・ルノワールの評伝。著者はフランス文学者で映画研究家の野崎歓である。

 

ジャン・ルノワールといわれても私にはどんな映画監督か分からない。何しろ一度も作品を観たことがないのだ。ではジャン・ルノワールとはどんな映画監督なのか。

ジャン・ルノワールは、1894年にフランスのパリで生まれた。父は印象派の巨匠オーギュスト・ルノワール。さすがに父親の方は私でも知っている。暖かい自然の風景の中にいる女性は、私の理想像でもある。オーギュストの作品『ガブリエルとジャン』の男の子のモデルが、ジャン・ルノワールである。

 

いくつかの恋愛、結婚を経て、ディド・フレールというブラジル出身の女性がルノワールの終生の伴侶となっている。ディドは英語が堪能。本書には英語で書かれたジャン・ルノワールの手紙が収められているが、英訳したのはディド夫人のようだ。尚、ジャン・ルノワールは第二次大戦中にアメリカに渡り、のちに市民権を取得している(フランスとの二重国籍)。

 

ルノワールの映画はヌーヴェルヴァーグにも影響を与え、ゴダール、リヴェット、そしてトリュフォーらがジャン・ルノワールの監督作品を称賛した。特にトリュフォージャン・ルノワールとは親交を深め、終生の親友となっている。

 

ジャン・ルノワールの代表作には、『ピクニック』『大いなる幻影』『河』などがある。特に『大いなる幻影』は評価が高く、多くの傑作映画ランキングでランク入りを果たしている(カイエ・デュ・シネマ、エンパイアなど)。晩年は小説を書き、『ジョルジュ大尉の手帳』『イギリス人の犯罪』などを残した。野崎歓ルノワールの小説を高く評価している。1975年にアカデミー名誉賞受賞。パーキンソン病に悩まされたが84歳まで生きた。

 

多数の手紙

  

本書にはたくさんの手紙が収められている。ジャン・ルノワールが書いたものが多いが、反対にルノワール宛てに書かれた手紙も数多い。手紙から伝わってくるのは、ルノワールという映画監督は明るい人物だということ。映画の黎明期を知っている監督なので、その朗らかさはまるで映画の父のようだ。

 

ロベルト・ロッセリーニと不倫の恋に落ちて社会からバッシングを浴びていたイングリッド・バーグマンに対して、その行為を責めることなく優しい言葉を投げ掛けるルノワール。彼が映画の父でなくて、何であろう?

 

ルノワールは渡米してハリウッドで映画を撮影することができた。しかし必ずしも、ハリウッドで成功したという程ではなかった。それでも意気消沈することなく映画を撮り続け、年若い、気鋭のフランス人監督(ゴダールトリュフォーら)から敬愛されるジャン・ルノワール。特にフランソワ・トリュフォーとは、親密に手紙をやり取りする仲だった。トリュフォーに、ルノワールは死期を感じる最中でも手紙を書いた。いつもながらの優しい手紙。

 

ルノワールは後年、小説を書いた。しかし小説を出版した時期が悪く、前時代的な小説を書いたとみなされてしまう。それでも、アメリカ人作家ヘンリー・ミラーから、その文才を好意的に評価する手紙をもらったルノワールルノワールはその後もいくつかの長編を書き、エッセイ集も出版した。ルノワールの手紙は明るく、幸福に満ちている。

 

 

越境するジャン・ルノワール

本書のタイトルは『ジャン・ルノワール 越境する映画』とある。越境するのはルノワールであるはずだが、タイトルは「映画」が主体となっていた。映画監督であるルノワールには常に映画を伴って歩いている。従ってルノワールが越境しようとも、映画が越境していることと、同じ意味に捉えることができるのだ。だから越境する映画となる。

 

ルノワールはフランスの映画監督だが、第二次大戦中にアメリカに越境した。そして、アメリカで必ずしも成功したとは言い難いながらも、映画を撮り続けることができた。サン=テグジュペリチャップリン、バーグマンなどに出会ったのもアメリカである(サン=テグジュペリとはアメリカに向かう船上で出会った)。『河』『フレンチ・カンカン』などを撮ったのも渡米後の時期である。

 

ルノワールは『捕らえられた伍長』を最後に映画監督を引退する。しかし隠遁はせずに、越境する。すなわち、小説家へと越境するのである。ルノワールは越境後の地(文学)において、『ジョルジュ大尉の手帳』『イギリス人の犯罪』などの小説を書いた。文壇の評価は必ずしも芳しくなかったが、何よりも物語を他者に伝えることが好きだったルノワールは、いくつもの長編を残し、エッセイを書いた。筆まめでもあった。

 

越境後のルノワールは何を思ったか。死の前年、ジャン・ルノワールフランソワ・トリュフォーに向けてこのような手紙を書く。

 

私は恵まれています。私の両親は素晴らしい人たちだったし、自然は私に頑丈な体を与えてくれました。そして今、旅路の終わりにさしかかって、あなたが現れたのです。

 

著者・野崎歓が言うように、「自分は恵まれていた」と心から述べることのできるルノワールの晴朗さは羨むべきものであろう。優しく、温かで、多くの映画関係者に愛されたルノワールであった。父がいなかったトリュフォーにとって文字通りルノワールは父であった。ルノワールの葬儀には、アメリカの映画関係者が集まったが、「単なる通りすがりの人たちまで入りこんでいた」のだそうである。縁もゆかりもない通りすがりの人間が集まってしまう葬式には、ルノワールの寛容な人生を物語るような温かみを感じる。

 

ルノワールトリュフォーにあてて、「私たちの関係にはどこかお伽噺のようなところ」があると書いたが、ルノワールはその死の後にまで、お伽噺を演出したかのような印象を受ける。ルノワールは死の世界に越境しても尚、本質は映画監督なのであろうか。本書は、著者のルノワールに対する深い愛着をつぶさに語り、そして書かれた言葉は優美で、うららかな春の風を頬に感じさせるようだ。

 

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