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【書評】 夏子の冒険 著者:三島由紀夫 評価☆☆☆★★ (日本)

夏子の冒険 (角川文庫)

夏子の冒険 (角川文庫)

三島由紀夫のお嬢様小説

『夏子の冒険』は三島由紀夫による長編。お嬢様を主人公とした、恋と冒険の恋愛コメディである。

三島が傑作『仮面の告白』を書いたのが1949年(24歳)で、『夏子の冒険』は、その2年後の1951年(26歳)の時に書かれた。『仮面の告白』のような、唯美的で詩的なレトリックを多用した小説の後に『夏子の冒険』のような、かわいらしい恋愛コメディを書いた。エンタメとしてそこそこに面白い小説になっている。三島にかわいい小説のイメージが全くなかった私は『夏子の冒険』の面白さが意外であった。なぜかわいらしい小説を書いたのか不思議で、執筆当時、子どもが生まれたのかと思ったら、彼は未だ、この年齢時には結婚していなかった。

男に情熱を感じられない

三島由紀夫のパターン化された「倦怠感」は、『夏子の冒険』でも健在で、主人公・夏子は男性に情熱を感じられないでいた。夏子は資産家の令嬢で、かつ美貌の持ち主なので求愛する男たちも多い。しかし夏子は彼らに全く心を動かされないでいる。男たちは夏子を家に閉じ込め、家を守って欲しいというに過ぎないからである。そこでは、永遠の日常が繰り返されるだけだからだ。そしてどこかに、情熱的な心情の持主はいないかと焦がれながらも、ある諦念も持っており、遂に修道院に入ることを決した。これが物語の序盤である。

修道院に向かう船の中で夏子は、井田という青年と出会う。井田は東京在住で倉庫会社の後継ぎである。井田は、北海道で熊に恋人を殺されたことで、熊に復讐するために猟銃を持っている。このことにようやく情熱を感じた夏子は、修道院へ行くことを辞め、井田の復讐の同伴者となるのだった。

理想を追い求めた「夏子の冒険」の終局

井田の復讐に付いて行った夏子は、不二子のような魅力的な女性への嫉妬などもありつつ、井田の復讐の完遂を待ち望んでいく。

井田の復讐という理想があるからこそ夏子は、主婦になって永遠の日常を繰り返すこと(現実)から逃亡することができる。そして、井田が熊を射殺し、遂に理想が果たされた時、井田は夏子に求婚し、家庭の理想を言葉にする。しかしそれは、かつて夏子をうんざりさせた永遠の日常の強要に過ぎなかった。井田に幻滅してしまった夏子は、物語の終盤に、やはり修道院に入ることを宣言した。

夏子は理想を持ち続けることで、現実から逃亡する術を得ていたが、理想はいつか消えていく。完遂、あるいは失敗という形を取って。本作では完遂することで夏子は、現実に引き戻されることを拒み、修道院に入ることを宣言した。修道院を理想とは言うまいが、修道院の方が、いくらかでも非現実性を味わえるからであろうか。情熱を感じる男に従うことで、理想を追い求めた夏子は、井田の復讐が終わるとそのまま現実に戻ることをせず修道院を選んだ。

夏子は未だ若く、現実の生活を続けながら理想の追求ができることを知らない。理想の追求は環境に属していると考えているのは、そのためだ。ゆえに夏子は、井田という男性と行動を共にする環境、そして、修道院で生活する環境といった環境がなければ理想の追求ができないと考えていた。