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【映画レビュー】 ハッピーエンド 監督:ミヒャエル・ハネケ 評価☆☆★★★ (オーストリア)

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『ハッピーエンド』は『愛、アムール』の続編的な作品

ミヒャエル・ハネケの新作『ハッピーエンド』は、家族をテーマにした映画だ。裕福で伝統的なフランスの家が舞台。父ジョルジュをジャン=ルイ・トランティニヤン、娘アンヌをイザベル・ユペール、息子トマをマチュー・カソヴィッツが演じる。孫娘エヴ役のファンティーヌ・アルドゥアンは、小柄ながら、人生の悲哀を透徹したような表情が印象的な美少女だった。このまま順調に綺麗になれば将来が楽しみな女優になりそうである。尚、父をトランティニヤン、そして娘をユペールが演じるというのはハネケの前作『愛、アムール』と同じ設定。そして物語が進むと、老父(トランティニヤン)の唇から「病弱の妻を殺した」という告白が漏れる。まるで『愛、アムール』の続編のような台詞に、ハネケファンはゾクゾクさせられることだろう(しかし、ファン以外の人にとっては「どうでも良い」か、「過剰な演出」と思われるかもしれない)。

ユペールはフランスの大女優といった貫禄が凄い。世界3大映画祭の女優賞を全て制覇したり、モスクワ映画祭を受賞したりするなど実績も十分だ。ハネケ作品の常連でもあり、ヴァーホーヴェン監督作『エル』の演技も高く評価されている。トランティニヤンはヌーベルバーグの監督作、そして『Z』などが有名だが、『男と女』の出演が特に印象的だろう。トランティニヤンは画面に出ているだけで、観客の目を一心に集めてしまう、そのたたずまいに圧倒される。

中盤まで退屈ながらもハネケらしい毒気は見られた

『ハッピーエンド』は家族をテーマにした映画である。演出は緩慢なので、中盤までかなり退屈なのだが、エヴが父トマ(カソヴィッツ)に、「トマが不倫しているのを知っている」と告げることから少しずつ面白くなる。ハネケらしい毒気が見えてくるからだ。エヴは物語の序盤で、ハムスターを薬で殺害したり、祖父ジョルジュ(トランティニヤン)との会話の中でも、気に入らない同級生に薬を盛ったことをが判明したりする。彼女はその行為について、笑ってごまかしたり、あるいはひらきなおったりすることなく、淡々と述べる。この淡々さが不気味で、エヴが『ハッピーエンド』という物語の中核的な存在というにふさわしいことが分かるだろう。

もうひとつの毒気としては、ジョルジュ(トランティニヤン)の告白だろうか。ジョルジュは一体、どういうつもりで孫娘のエヴに「妻を殺した」と言ったのだろうか。彼はどうやら、少し痴呆症のように見えるが、告白の時のまなざしは真剣である。「I Love JAPAN」のTシャツを着た孫娘エヴに、ジョルジュは厳しいまなざしを向ける。「なぜ、薬を盗んだのか?」と聞くジョルジュ。エヴは薬を飲んで自殺未遂を図ったからだが、エヴはさらに「気に入らない同級生に薬を盛った」ことを告白する。ここにはジョルジュの痴呆症的な行動は見られない。彼は至って健康に見える。その健康さがかえって、「妻を殺した」とエヴに告げた時の恐ろしさに繋がる。

多面的視点の失敗、そして主人公の不在の物足りなさ

主人公が不在のように見える『ハッピーエンド』は、視点をどこに置いて良いか分からず、物足りない。

『ハッピーエンド』は群像劇的で、複数の登場人物が乱立する。だが視点はさほど多面的ではなく、ジョルジュ、アンヌ、エヴの視点くらいが見られる程度だろうか。といってもアンヌの視点はやや弱く、アンヌの視点が強まるのは彼女の実子ピエールに対する時くらいか。ジョルジュは出演シーンが多いというほどではないのに、行動や台詞が特異で観客の関心を喚起し続ける。エヴは特に行動の印象が強いようだ。

キャストの序列ではイザベル・ユペールが最初にきている。ゆえに、ユペール演じるアンヌが主人公のように見えるが、意外と彼女は重要な役割を担っていない。先にも書いたようにアンヌの印象は弱い。ジョルジュとエヴは強いが、二人は主人公なのか。群像劇であれば主人公がいてもいなくても良いだろうが、それにしてはジョルジュとエヴ以外のキャラクターに課せられた個性が弱い気がする。主人公をジョルジュとして、彼の視点で物語を見ても良かったのではないか?そうなると『愛、アムール』そのままになってしまうのを恐れたのか?エヴが主人公でも良い。アンヌを主人公とするのであれば、彼女の視点で物語を観察する場面が欲しいし、彼女にはもっと重要な役割を担って欲しい。例えば、父ジョルジュのように海に向かって車いすを動かすとか・・・

スマホやPCの扱い方が退屈だ

スマホやパソコンなどの扱い方が退屈だ。冒頭、スマホでアンヌを撮影している者が現れる。だが、誰なのかは分からない。カメラいっぱいにスマホの画面が映っているので、カメラをフェードアウトするのかと思うが、そうはならない。次のシーンに移ってしまうのだ。PCも同じで、誰かと誰かがチャットしているがPCのキーボードを入力しているのは誰なのかが映らない。だが、こういう主体のはく奪は、どれほどの意味があるのか。どうやら、何かしらの意味があるように、撮られているのだけれど、その「意味ありげ」の演出が鼻もちならない。

今回のハネケはどうにも凡庸で中途半端な出来だった。映画のラスト、ジョルジュがエヴの助けを借りて海に車いすごと入ってしまうが、どうでも良い結末だと思う。それをスマホで撮影しているエヴにも、陳腐さしか感じられないが、それはジョルジュにではなく、あるいはエヴにでもなく、監督のハネケに対する陳腐さだ。