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【書評】 作家論 著者:三島由紀夫 評価☆☆☆★★ (日本)

私は芸術的な批評が苦手だ

三島由紀夫の批評は読んだ記憶がない。もっとも、私は彼の小説を愛好しているので、批評も読んだことがあるはずだが、今ひとつ記憶に残っていない。

本書は作家論になるが、論文とか評論のたぐいではなく、まさに批評なので三島の主張や意見の元となる根拠があいまいである。だから、読んでいるとどうしても、なぜか?と疑問符がついて回る。もちろん批評という表現形式が芸術の一種であるから、あいまいな根拠でも仕方ないというより、むしろ「合法」的なのだろうが、批評は小説なり映画なり芸術を論じることで成立しているので、論じることは論理的であるべきだから、根拠があいまいだと、その主張にしろ意見にしろ、その信ぴょう性を疑ってしまう。それでも批評は、感覚的に芸術を捉えて感覚的な文章として表す芸術の表現形式だといえば、根拠があいまいであっても、主観的に過ぎるとしても成立するのであろうが、私は苦手だ。

『作家論』はあくまで芸術的な批評である

三島由紀夫の『作家論』もまた、批評であるがゆえに芸術的な文章で構成される。川端康成の小説を評して抒情のロマネスクであることが通念だと言われても「本当なのか?」と立ち止ってしまう。その後に出てくる○○のロマネスク…という一群も唐突で分かりにくい。三島は巧みな文章を書いたし、意見の根拠があいまいでも文章そのものは明晰で論理的だからすんなりと読めてしまう。それでも、読後は掴みどころのない感覚が頭の中を浮遊しており、三島は本書で何を言いたかったのか?と訝しむ。

作家三島由紀夫がエッセイでも書くように、愛好する作家について言葉を連ねて好意や詩情を曝け出すと読むしかない。そしてそう読んでいくと、そこそこに面白い批評になっていると言えよう。

尚、本書は、林房雄論を除いて書籍の解説として書かれた批評を集めたものだ。

川端文学への鋭い直観が垣間見える

三島由紀夫川端康成の弟子のような存在だが、若い頃に川端に評価されて以来、三島は川端に親しみすぎるほど親しんだ。その蜜月も川端のノーベル文学賞受賞で終わったかに見えるが、川端康成の文学については良き理解者であったのだろう。本書には川端論が書かれているが、前述のロマネスク云々は不明瞭な見解であるにしても、三島らしい美的なレトリックで記述された批評は興趣に富む。例えば以下の文章である。

沈没した潜水艦の艦内で、刻一刻、酸素が欠乏してゆくのを味わうような胸苦しさは、それに近い作品を思いうかべてみても、辛うじてカフカの小説が比べられる位であった。

これは川端康成の傑作短編『眠れる美女』に対するものだが、やや表現に潤いが不足しているように感じられるものの、人形のように眠らされている美女たちを愛玩する老人の物語に対する批評としては、感覚的に掴みやすく合点がゆく表現だろう。

川端康成の他にも、谷崎潤一郎泉鏡花、さらには私小説作家の尾崎一雄上林暁などの名がある。本書は三島が愛好する作家を論じる体裁になっている。谷崎や鏡花を三島が評価していたことは知っているが、私小説作家を評価していたとは知らなかった。そう思うのは三島が私小説作家の太宰治に向かって「僕は太宰さんの文学が嫌いなんです」と言ったセリフが独り歩きしているからだ。そういう意味で本書は私にとっては驚くべき作品であろう。