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【書評】 貧しき人々 著者:フョードル・ドストエフスキー 評価☆☆☆★★ (ロシア)

貧しき人々 (光文社古典新訳文庫)

貧しき人々 (光文社古典新訳文庫)

『貧しき人々』はドストエフスキーの処女長編

『貧しき人々』は、ロシアの文豪フョードル・ドストエフスキーの処女長編。24歳の時の作品。ドストエフスキーは、本書をもって、当時の著名な批評家であったベリンスキーに激賞されて華々しくデビューした。ベリンスキーはドストエフスキーに対して「あなたは自分で、どんなものを書いたのか、わかっているのですか!」と言って彼を賛美したというが、訳者が本書の解説で述べている通り「ドストエフスキーのその後の大作を知る私たちにとっては、いささか大袈裟」であろう。だが、しがない九等官であるマカールと、貧しい文学少女ワーレンカとの心の交流を「書簡体小説」で描いた本作からは、清冽な感動が呼び起こされ、「その後の大作」と比較しなければそれなりに面白い長編であった。特にマカールが徐々に文体を使い分けていく様は、とても24歳の青年が書いたとは思えぬほど”成熟”している。

単純な小役人マカールの教養小説的な『貧しき人々』

『貧しき人々』は、貧しくも美しいワーレンカと、激しやすい性格の中年男マカールとの間に交わされる手紙の交流を描く、書簡体小説である。「文学と書物」というキーワードで2人の人物を区別すると、ワーレンカは文学や書物に親しみ、文学に対して一定の価値観を持っているのに、マカールにはそれがない。彼は三文小説のラタジェフは好きだが、ワーレンカが勧めたゴーゴリの『外套』は分からない。『外套』に描かれている物語が自分のことを描いているようだといって憤慨するくらいなのだ。また、マカールは、プーシキンの『ベールキン物語』はその中に含まれている「駅長」が好きであるが、作者のドストエフスキーとは『ベールキン物語』に対する好意の意味が異なる。というように、マカール自身の文学的理解には危ういものがあるのだが、彼が徐々に、ワーレンカによって徐々に「変化」していく様は、その手紙の文体が時を経るにつれて良い文章に変わることによって明らかとなる。

ゆえに本書は、ワーレンカによるマカールの教養小説的な意味合いを持っているのだ。ただ、マカールが単純な中年男であるだけに、彼の成長ぶりも洗練されたものではない。手紙の文体は事象を的確に表したり、感情を素直に文章で表現できるように成長している。だが、彼の文体が巧くなってもそこに美があったり詩があったりする訳ではない。マカール自身も冴えなくて、精神的な成長はするものの、変わらず貧乏で、職場では蔑まれている毎日だ。ワーレンカのことを娘のように愛していたが、彼女はブイコフという、金持ちだがつまらない男と結婚して、マカールの目の届く範囲から離れてしまうのだった。

書簡体小説ゆえの分かりづらさもある

『貧しき人々』は書簡体小説である。だから、どうしても、会話と会話の交流によって小説が構成されているように見える。もちろん、ワーレンカが自身の初恋の時を思い出してマカールに語った時の描写は緻密で情景が思い浮かぶ。だが、基本的には書簡体小説という構成上、読者の想像力が必要になる。ワーレンカがなぜ愛してもいないブイコフの求婚を受け入れたのか、彼女はマカールをどう思っていたのか、そしてマカールは本当にワーレンカを娘と思っていたのか等、ジャンルの難しさゆえ仕方ないだろうが小説の真の姿がつかめないような分かりづらさがあったのも事実だ。

ワーレンカはマカールほど成長が見られず、悲劇的な女性である

マカールと、もう1人の主人公ワーレンカは、マカールほどの変化はない。彼女の境遇は、好きでもない、暴君のブイコフとの結婚という悲哀を受け入れるということで大きく変わるが、彼女自身が精神的成長を遂げたという表現はない。既に成長しきっているのかもしれないが、マカールの精神を高めようと導く格好になるワーレンカには、自身を高めるよりも相手を高めることに意識が向いているようだ。もし現実の彼女が自分を高めんとするならば、ブイコフとの結婚は、マカールが言うように破局にしてしまって、ブイコフが言うところの未亡人とでも、ブイコフが結婚するように仕向ければ良い。何しろブイコフがワーレンカと結婚しなければならないのは、取るに足らない理由で彼女を愛しているがゆえのものではないのだ。

そんな男と結婚せざるを得ないほどにワーレンカが精神的に落ちてしまったとも言える。後年の『罪と罰』には娼婦という社会の底辺で働きながら神への信仰を捨てないソーニャという女性が出てくるが、彼女と比べてワーレンカはなんという違いであろうか。ワーレンカは娼婦のような汚れた仕事はしていないし、資産家ブイコフの妻ということで社会的には認められた地位にいすわるであろう。だが、いかに社会の目はごまかせても、小説を通して彼女らの精神面を見てしまっている読者の目は騙せない。ワーレンカはマカールが願ったように、ブイコフとの結婚を断れば良かったものを、彼女は頑なに安定的な地位へと赴こうとする。どんなに、自分を悲劇的な女性にしてしまうことが、あらかじめ、分かっていたとしても。社会的にはマカールもワーレンカも貧しいが、精神的にはどうだったのか、彼らを一括りにできるのか、思案させられる作品であった。