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【書評】 豊饒の海 第二巻 奔馬 著者:三島由紀夫 評価☆☆☆☆☆+☆☆ (日本)

豊饒の海 第二巻 奔馬 (ほんば) (新潮文庫)

豊饒の海 第二巻 奔馬 (ほんば) (新潮文庫)

豊饒の海』第二巻『奔馬』は右翼テロリストの物語

豊饒の海』は夢と転生の物語である。その第二巻は『奔馬』といい、右翼テロリストの飯沼勲(いいぬま・いさお)の物語である。飯沼勲は、第一巻『春の雪』で控え目ながらも読者に印象を残した飯沼茂之(いいぬま・しげゆき)の息子。

時代は第一巻から20年後の日本。物語は裁判官となった本多繁邦(ほんだ・しげくに)の視点で始まる。飯沼勲は剣道に秀でているので、本多が勲が出場する剣道大会を見たことから、ふたりの運命が交錯する。

右翼テロリストというと、昭和初期の血盟団などの右翼テロリストをイメージさせる。しかし読者は三島由紀夫民兵組織楯の会を結成したことを知っている。その後の自殺(三島事件)を知っている。そして、三島事件の後に現れた新右翼の存在も知っている。三島を右翼と切り離して考えることが難しいのだ。

だから本作を、客観的に右翼テロリストを描いているように見えて、三島の周辺の出来事(死後も含めて)と無関係には捉えられない。

右翼テロリストを法律的に、また、倫理的に糾弾することはたやすい。しかし勲が行動や発言からは、彼の天皇に対する忠義は真正のものを感じる。そこにはどうしても、モラルを超えた日本人の血の伝統が流れているのを感じざるを得ない。

奔馬』の飯沼勲は松枝清顕の生まれ変わり

奔馬』は裁判官になった本多繁邦の視点で物語を書き始められている。本多は、第一巻『春の雪』で主人公松枝清顕(まつがえ・きよあき)の唯一の理解者となった人物だった。『春の雪』でも重要な役を演じているが、『春の雪』では主人公の感情や行動を受け入れるのみで、自ら進んで行動してはいなかった。結果的に彼の消極性が清顕を救えなかったと後悔する本多は、『奔馬』では自分の人生を投げ打ってまで行動した。

それは、物語の後半で逮捕された飯沼勲を救おうとして、裁判官の職を投げ打つことである。投げ打って弁護士となった本多は、勲のために奔走する。しかし、なぜ本多は勲のために職を捨ててまで救おうとするのか。確かに、勲の父である茂之と本多は若い頃に面識がある。清顕の教育係だったからである。その程度の理由でここまで行動的になれるのか。

実は、勲は松枝清顕が生まれ変わった姿なのだ。最初は「又、会うぜ。きつと会う。滝の下で」という、清顕が死の間際に本多に言い残した言葉を頼りに、清顕の転生を信じていた。確かに滝の下で本多と勲が会うシーンがあるからだ。それに勲には、清顕と同様、わき腹に三つのほくろがある。

だが、それだけで勲が清顕の転生した姿と考えることはできない。法律家という仕事に就いている本多が、そんな非合理的根拠で納得させられようもないからだ。

本多は清顕が残した夢日記を読む。夢日記を勲が体現する場面があり、そこで遂に本多は、勲が清顕の生まれ変わりだと確信するようになったのだ。それゆえにこそ、本多は飯沼勲の裁判に関わり彼を弁護しようとする。

神風連に憧れた右翼テロリスト

飯沼勲は多くの若者を引き連れて右翼集団を結成した。地方から出てきた若者もいる。勲は神風連を扱った書物を座右の書としていた。彼はその書を本多繁邦に見せたり、宮にまで見せたりしていた。

勲と右翼集団を結成した若者たちは、昭和の神風連たらんとしていた。彼らは政権を天皇に引き戻すべく、テロリズムを厭わない。蔵原武介などの著名な財界人を殺すことで、世を清めようとする。世を清めたことが直ちに天皇に政治の主権が移行することを意味しないが、既に右翼的行動に熱狂している彼らには、自覚することはできない。

奔馬』では女が美しい死の邪魔をする

奔馬』には鬼頭槇子という女性が出てくる。年の頃32、3歳の出戻りの女性。彼女は軍人の娘にして歌人である。槇子は美しく聡明な女性であり、勲の恋人でもある。勲がテロを決行することを誓って、この世の別れのために会いに行った時、ふたりは初めて抱き合いキスをする。清顕と聡子のような性愛はないが、この世の別れに槇子に会いに来た清顕の純粋さが美しい。

最初、清顕は槇子の家を尋ねた理由を明らかにしない。しかし槇子は、清顕が何しに自宅を訪れたかを知っていた。この世の別れに来たのでしょうと聞く槇子。そしてふたりは抱き合ってキスをして、最後の別れをする。

だが、槇子は勲を失うつもりはなかったのだ。彼女は、勲が「美しい死」を選ぼうとしているのにそれを妨げようとしていたのだ。

テロ決行の直前、あっけなく飯沼勲たち右翼は逮捕されてしまう。警察に密告したのは勲の父・茂之であることが分かるが、茂之に告げた人物がいたのだ。それが鬼頭槇子だった。

美しく死のうとしている勲を邪魔するのは、ほかならぬ槇子だったのだ。

飯沼勲の自決

飯沼勲は、1年間に亘る裁判を経て出所する。まだ控訴される可能性はあるが、とりあえずは出所できた。勲は警察に密告したのが父親であり、しかも父親に知らせたのが鬼頭槇子であることを知った。

勲は元より、テロを実行するつもりだった。槇子という恋人がいても彼女と思いを遂げることなく、テロを実行して割腹自殺しようとする。しかしテロは槇子と父親の手により失敗してしまう。槇子の父親への知らせは勲に衝撃を与えた。いずれテロを実行するつもりの勲だが、槇子の密告はテロの遂行を早まらせる結果となる。

彼は出所後の安定を選ぶことなく、ひとりで、蔵原武介を殺害して自決した。彼は本多に、「ずっと南だ。ずっと暑い。……南の国の薔薇の光りの中で。……」という言葉を残して死んだ。この台詞は次の転生の行方を示唆するものだろう。

愚かで、ばかばかしくも、美しい飯沼勲の死

勲の死は見事なものだ。私は勲が突如として逮捕されてから、物語がどのように進展するのか、はらはらしながら本書を読んだ。結果的に勲はひとりで思いを遂げることになる訳だが、勲の死を迎えて、私は安心した。

私は勲の思いに共感して、美しい死を迎えてもらいたいと願った。そこには殺人というテロを認めなければならないが、倫理よりも法よりも、『奔馬』では美が勝る。そのためにはどうしても、勲は殺人を犯してでも死んでもらわねばならなかった。

勲の死は個人的な目的に貫かれていて、たやすく共感を呼ぶものではないだろう。殺人は許されることではないし、彼の死は愚かである。だが彼の天皇に対する忠義の深さが真に迫ってくることは、清冽な感動を与える。彼の行為は愚かで、ばかばかしいものであるが、それでもなお彼の死は美しい。三島由紀夫の唯美的な感性が、絢爛たる文体とひきしまった論理的構成とともに、勲の行動と死を通して、私の心に染み入ってくる。

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