【書評】 告白 三島由紀夫未公開インタビュー 著者:三島由紀夫 評価☆☆☆★★ (日本)
- 作者: 三島由紀夫,TBSヴィンテージクラシックス
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2017/08/09
- メディア: 単行本
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『告白』は死の9か月前に収録された三島由紀夫の未公開インタビュー
本書は三島由紀夫の未公開インタビューと、エッセイ「太陽と鉄」を収めたもの。「太陽と鉄」は三島らしい詩的なレトリックに満ちた文章で、ちょっと難解である。
インタビューの方は、1970年2月19日に収録された。このインタビューのテープは、TBSの元記者がTBSの社内倉庫で発見した貴重な資料である。テープが発見されたのは2013年なのだが、報道されたのは2017年。なぜこんなに時間が経過したかというと、専門家や遺族への取材に時間を費やしたからだった。
テープは1時間20分に及ぶもので、三島由紀夫と聞き手であるジョン・ベスターとのやり取りが行われていた。ジョン・ベスターは翻訳家で三島の「太陽と鉄」も訳している人物だ。英語が話せる三島だが、ふたりは日本語を介している。
1970年2月19日。これは何の日か。三島が自決したのはその年の11月25日だから、9か月前のことである。そして三島の最高傑作『豊饒の海』の第三巻『暁の寺』を書き上げた日にあたる。なぜそれが分かったかというと、三島がインタビューでそう話しているからだ。
インタビューの目的は、翻訳家であるベスターが「太陽と鉄」を訳したが、この作品について三島に確認したいことがあって実現したものであった。インタビューの内容を読むと、「太陽と鉄」に関わらず、三島の文学観や死生観などが率直に語られていて興味深い。また、「はっはっは」と豪快に笑う、三島の豪放な振る舞いがセリフのそこかしこに現れ、三島の愉快な一面を見たように思う。
このインタビューを読んで、清冽な感動を受けるとか、芸術家の感性に浸るとか、そういった感覚的な印象は強く持てないので評価は標準的としているが、三島由紀夫の作品が好きな人なら、決して素通りしてはいけないインタビューであろう。
- 作者: 三島由紀夫
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1977/11/01
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小説のマテリアルは言葉、そして漢文学の教養の大切さ
インタビューを読んでいて私が思ったのが、小説を書く上で、三島が言葉に強い思いを抱いていることだ。彼は「小説のマテリアルは言葉」だと言い切る。人生や思想は素材に過ぎないと。だが三島は、最近の日本の作家はそう感じていない。そういうところが他の作家と自分とを隔てる点だと言う。
私も三島由紀夫の熱心な読者だが、確かに彼の小説は言葉を大切に扱っている。言葉でしか小説を書き始めることはできないのだから、本来、言葉を大切に扱うことは当然なのだろうが、そのためには教養がなければならない。教養がないと言葉が書けない。そうなると畢竟、言葉を粗雑に扱うことになる。
三島の小説を読むと漢文学の教養があることに気づかされる。彼はインタビューで日本の学校教育の話になり、「漢文学の教養がだんだん衰えてきました。それで日本の文体が非常に弱くなりました」と言っていた。
三島はつまらなくても論語を暗唱させるなどして、日本人の頭の中に漢文を定着させることが大切だと言う。三島の小説の言葉から感ぜられる漢文学の教養の深みを思うと、教育において漢文学を強化することは重要な感じがする。
三島文学の欠点は「劇的すぎること」なのか
聞き手のジョン・ベスターは、大胆にも三島にあなたの文学の欠点は何か?と聞く。三島は「劇的すぎること」だと答えた。三島文学の特徴は、言葉は日本で構成は西洋である。三島が法学部卒の元官僚という背景からしても、論理性を愛したことは想像に難くない。
三島は最初から最後まで物語の構成の見通しを立ててから、小説を書くのであろう。それは、彼の小説の特徴でもあるが、「流れのままに文章になる」ことはできまい。それで三島は欠点だと指摘する。
私は三島から論理的な構成力を奪ったら、彼の文学の魅力はだいぶ乏しいものになると思う。それは彼も分かっていたことだろうが、流れるままに書けないことは彼の文学で「できないこと」なのだからもしかしたら欠点なのかもしれない。読者である私には、論理性は彼の文学の魅力なので、それを奪ってしまっては三島文学たりえないのではないかと思うのだが。
まあ恐らく、ベスターに「欠点は何か?」と尋ねられたから答えたまでのことで、日本文学の構成力の薄弱さを皮肉っているあたり、本気で自覚している訳ではなさそうだ。
三島の行動の意味を知りければ「太陽と鉄」を読め
三島由紀夫の小説は、ストーリーがしっかりしている。『豊饒の海』は謎めいているが、あれは特例で彼の小説の多くは難解なところは多くない。一方、三島の行動についてはつかめないところも多い。なんでこんな行動を取るのか。楯の会しかり、ボディビルしかり、奇妙な洋館しかり、映画出演しかり。そういった行動の意味をさぐるには、「太陽と鉄」を読めば良いのだと言う。
聞き手のジョン・ベスターが「太陽と鉄」を訳したこともあってか、彼は「太陽と鉄」を読めば行動の意味が分かるという。「太陽と鉄」は分かりやすい作品ではないが、三島の行動の意味を知るには良い素材なのだろう。
死生観の変化
『告白』というインタビュー中で最も重要な個所と思われるのは、以下のセリフだろう。
死の位置が肉体の外から中へ入ってきたような気がする。
三島はボディビルをやっていた。そのことで彼は、死が外側にあった。だがボディビル、あるいは武道などを通して肉体を作った。すると三島は、外側にあった死が内側へ入ってくる感覚を覚えたのだという。死生観の大きな変化を読み取ることができる。死を恐れなくなった自覚という気さえ起こる。それは、9か月後に迫る割腹自決を知っているからこその、邪推かもしれないのだが。