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【書評】 一の悲劇 著者:法月綸太郎 評価☆☆☆☆★ (日本)

一の悲劇 (ノン・ポシェット)

一の悲劇 (ノン・ポシェット)

初の法月綸太郎作品

『一の悲劇』は法月綸太郎のミステリー小説。明晰なストーリー展開と陰鬱なラストの悲劇が特徴的な良作である。

私が法月綸太郎の名を知ったのは東浩紀の著書『サイバースペースはなぜそう呼ばれるか?』による。私は、人文系ではない癖に分かったような振りで東浩紀の著作に憧れていた。理解が及ばないにもかかわらず、東の本を読んで現代思想の英知に触れた気になっていた。しかし彼が小説に手を出したり雑なエッセイなどを書いたりしたために、私は彼の魅力を感じなくなっていた。だが、私の中で東は過去の著述家ではなかった。『ゲンロン』を読むことでもう一度度東浩紀の良さを思い出したからだ。

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さて、『サイバースペース』は私が憧れた時代の若き東浩紀の文章だ。『ゲンロン』が良かったので東の初期の文章を読み返したくなった。その中に、法月綸太郎東浩紀の対談があった。ミステリーに興味を持ちつつ、初期の江戸川乱歩谷崎潤一郎やポーのいくかの佳作を除けば今ひとつミステリーに溶け込めなかった。東浩紀と対談するくらいだから面白いかもしれないと思い、『一の悲劇』を手に取った。

法月綸太郎作品を手に取ったのはそういう次第である。

誘拐犯に取り違えられた子ども

『一の悲劇』は誘拐をテーマとする。企業の幹部の娘を妻とした主人公・山倉史朗は、妻の実家に気を使いながらも安定した日常生活を送っていた。しかしある時、子どもを誘拐したという連絡が入る。驚く史朗だったが、実は、その子どもとは主人公の子どもではなく、近所の子どもだった。

つまり犯人は、誘拐すべき子どもを取り違えてしまったのである。しかも、近所の子どもの母親・冨沢路子と史朗とは、かつて不倫関係にあり、子どもというのは史朗の実子なのである。また、主人公の妻・山倉和美は子どもを産めない体である。従って山倉史朗の子ども・隆史は、和美の妹・次美の息子で、次美が難産のために死去したことにより姉が隆史を引き取ったのである。

どろどろした、複雑な人間関係がストーリーに興を添える。隆史は史朗が血を分けた子どもではないが、養子として迎えている。一方、史朗が血を分けた子どもである茂は、路子との不倫関係の末に生まれた。しかも史朗は路子の前から姿を消してしまったのである。路子は嫌がらせのために、史朗の家の近所に居を構えた。しかも、茂を史朗と同じ学校に通わせているのだ。

茂は、結果的に犯人に殺害されてしまうが、路子は史朗に逆恨みする。読者は、茂を殺害され、悲しみのどん底に追いやられる路子に同情する。同時に、人間として不甲斐ない行動を取る史朗にイライラさせられていく。史朗が不倫の清算をきちんとしておけば、路子が史朗の近所に転居してくることもなかっただろう。転居しなければ、誘拐犯に茂を取り違えられることもなかったに違いない。

しかし、事件は意外な方向へと発展する。

陰鬱なラストが強いカタルシスを生む

路子は隆史を誘拐してしまう。そこで和美に対しても、茂が史朗の子どもであることを暴露する。武器で攻撃してくる路子に史朗はケガを負わされてしまうが、酷いケガではなく入院するも直ぐに退院することができた。史朗は真犯人が和美の父・門脇了壱であると見抜き、了壱に迫る。だが、了壱は犯人ではなかった。帰宅した史朗を待っていたのは妻・和美が真犯人であるという事実であった。

誘拐犯は山倉史朗の妻・和美である。和美は茂の父親が史朗であることを知っていた。ゆえに、誘拐して身代金をもらうことが目的ではなく、茂殺害が目的だったのだ。そして和美は、まるで史朗へのあてつけのように自宅で首を吊って自殺している。

陰鬱なラストである。史朗は、本当に愛していたのは和美であった。だから退院後は、性急に和美の元へと戻ろうとしていた。しかし和美は夫を許してはいなかったし、夫の元愛人を憎んでいた。それゆえに、和美は史朗が唯一血を分けた子である隆史を殺害したのだ。そして、罪を償うことなく首吊り自殺をしてしまった。

史朗の愛を和美は拒む。史朗の弁明を、謝罪を、和美は認めない。隆史を殺害して自らは自殺したことに、史朗への絶対的な拒絶が浮かんでくる。和美の狂気に私は慄然としたが、同時に、史朗の悪を糾弾するためには和美の殺人罪と自殺とが必要だったようにも思う。陰鬱なラストは不気味で不快だが、同時に強いカタルシスを生む。