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【書評】 黒い家 著者:貴志祐介 評価☆☆☆☆★ (日本)

黒い家 (角川ホラー文庫)

黒い家 (角川ホラー文庫)

『黒い家』はホラー小説の良作

『黒い家』は貴志佑介のホラー小説。1997年発表。1999年に森田芳光によって映画化され、2008年に韓国でも映画化されている。貴志佑介の後の傑作『悪の教典』同様に、共感性が欠落した人物をテーマとしている。犯人の菰田幸子が主人公を追跡してくるシーンが強烈な印象を残し、ホラー小説として良作と言える。デビュー後、最初の長編小説がこのレベルなのだから、貴志佑介は期待された作家だったのだろう。実際、貴志は『悪の教典』という傑作を発表したのだから、その期待に大いに答えた作家であろう。

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あらすじを簡単に述べる。

主人公の若槻慎二は、大手生命保険会社「昭和生命」京都支社で働いている。有能だが、現在の仕事にはそれほどやりがいを感じておらず、なんとなく日常を過ごしている。恵という院生の恋人がいるが、セックスしようと思っても萎えてしまってできないでいた。ある時、菰田重徳という不気味な男から自宅に来るように言われた慎二は、自宅で重徳の子どもの首吊り死体を発見してしまう。事件性を感じる慎二だったが警察は自殺と断定する。しかし慎二は、重徳の犯行であると睨んでいた。

ただそこに座っているだけで恐怖を与える男

『黒い家』は、菰田重徳という男の家に、主人公の若槻慎二が訪れるところから恐怖が始まる。重徳の家は黒い家と称したくなるほど深い闇に捉われていた。慎二はそこで重徳の子どもの首吊り死体を発見する。重徳による殺人だと察した慎二は、警察による逮捕を望んでいた。

一方、重徳は、子どもに昭和生命の生命保険をかけていた。しかし警察が重徳の子どもの死因を断定しないために、なかなか保険金は支払われない。重徳は昭和生命に毎日のように赴き、昭和生命のスタッフに心理的なプレッシャーを掛け続けていく。特に慎二は重徳の保険金の担当者なので、重徳の陰湿なプレッシャーに苛まれていった。重徳が慎二に与えるプレッシャーは、動的なものではなく静的である。ただ、昭和生命の京都支社の客用の椅子に座っているだけで、怒ったり恫喝したりすることがないのだ。落ち着いた対応で「保険金はまだか」と聞くのみである。しかし、毎日のように来る。そして死体のように死んだ目をしていて、客観的に見て不気味である。

重徳の心理的なプレッシャーは怖かった。私は本書を読んでいて、菰田重徳なら保険金のために子どもを殺しかねないとすら思った。それくらい彼の慎二に与える心理的な抑圧は異常だ。ただ会社の椅子に座っているだけで恐怖を与える存在は稀有であろう。それは、慎二がいくら、殺人を犯した容疑者が重徳だと思っても、犯罪が明確でない以上は「お客様」なのである。だから当然無碍にもできないし「警察の判断が未だなんです」と言い続けるしかない。重徳の戦法は、保険会社にポジティブなアクションを取らせないということである。ここで、重徳が攻撃性を見せてくれれば、慎二は彼を別室に案内してなだめるという行動を取れる。しかし「保険金はまだか」と聞くだけなら、「警察の判断が未だだ」という他にないだろう。何らのポジティブな行動を取らせないことで、相手の心理をじわじわと追い詰める重徳の恐怖は一級品であった。

前半は菰田重徳が不気味で、終盤で菰田幸子の狂気が開花する

実は、真犯人は重徳ではなく妻の幸子である。『黒い家』の悪の焦点は幸子ではなく重徳に合ったので、菰田幸子が犯人だと知った時、私は少し面喰った。ずっと菰田重徳の不気味な行動に恐怖感を味わっていたかったと思ったので、幸子が犯人として出てくるのがもったいなく感じた。子ども時代の文集を見ても、重徳の意味不明な作文は慄然とさせられる。菰田幸子は重徳と違って暴力性を発揮するので、悪人として分かりやすく、重徳ほどの恐怖を感じなかった。私は重徳が懐かしく思えた。

だが、終盤、菰田幸子が誰もいない保険会社に潜入し、若槻慎二を追い詰める展開には驚愕した。重徳の陰湿な不気味さと同じくらいの恐怖を味わった。もっとも、静的な恐怖の重徳と、動的な恐怖の幸子とでは、恐怖の質が違うことは付言しておく。

特に幸子の狂気的な恐怖が開花したのは、エレベーターでの慎二との対決であろう。慎二は推理力を巡らしてエレベーターを使って階下に降りるのだが、その判断が間違っていたことに、エレーベーターに乗りながら気付いてしまう。このタイミングで気付かせる作者の嫌らしさは、新人作家らしくなく、筆が冴えていた。そして慎二がエレベーターのドアを開け、即座にエレベーターのドアを閉めようとするが、幸子が刃物を使って閉めかかるドアをこじ開けた。

この辺りの描写は非常に怖い。菰田幸子は人間であるが、金のためにいくらでも人を殺せる異常性を有する。他者に対する共感性を全く有しない人物なのだ。心が欠如していると言っても良い。それゆえに、相手に対する同情など一切せず、容易に殺してしまうのだ。だからこそエレベーターのドアを幸子がこじ開けた時、慎二が死の淵に瀕しているように思って、読者は恐怖するのだ。なお共感性の欠如は著者が好むテーマらしく、『悪の教典』でも使われている。『悪の教典』で完成度が最高に達したのでもう使わないような気もするが。

女性の描き方が画一的なのが残念

本書『黒い家』においては女性の描写が画一的である。その画一的な女性の描写とは、主人公の恋人である黒沢恵について感じるのである。彼女は、いかにもな女性言葉を使い、女性らしく控え目であるが、内面がほとんど描かれていない。恵はステレオタイプな女性像を著者に押し付けられているようで、どうにも窮屈だった。主人公の若槻慎二の脇に寄り添っているだけの存在である。

もっとも、恵がいることで『黒い家』は菰田幸子の悪夢から解放された後の癒しとなるのだが。とはいえ、恵は慎二の恋人であり重要な人物なのだから、画一的な描写は気になるところである。

とはいえ、『黒い家』は菰田幸子・重徳夫妻の行動による恐怖が強烈である。そもそも恋愛小説ではないから、女性描写の画一性をもって大きく評価を下げることはしまい。