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【書評】 ケインズとシュンペーター 現代経済学への遺産 評価☆☆☆★★ 著者:根井雅弘 (日本)

ケインズとシュンペーター―現代経済学への遺産

ケインズとシュンペーター―現代経済学への遺産

ケインズシュンペーターについてのエッセンス

20世紀の経済学者・ケインズシュンペーターについての本。著者の根井雅弘は京都大学院教授。ケインズシュンペーターについての一般書は、以前に吉川洋の『いまこそ、ケインズシュンペーターに学べ』で読んで面白かったので、類似の本がないかと探していたら本書に行き当たった。結果、吉川洋の『いまこそ、ケインズシュンペーター』ほど丁寧ではなかったのと、引用が多く読みづらかったので、物足りなかったけれども、本書もなかなかの佳作であった。ケインズシュンペーターについてのエッセンス、そして両者の接点については学べると思う。

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吉川洋ケインズシュンペーターの「総合」を評価する

「短期では需要」「長期では供給」という二文法が正統派経済学では重要視されていたが、著者は、吉川洋を引き合いに、イノベーションが成功するか否かは需要面と深く関わっているという事実があると指摘する。ケインズ経済学が「短期理論」でシュンペーター経済学が「長期理論」という区別は的を外しているのでは?と疑問を投げかけるのだ。その上で吉川の「短期では需要」「長期では供給」という二文法(つまり正統派経済学の二文法)を打破しようとする試みを、著者は高く評価する。もっとも、吉川の『いまこそ、ケインズシュンペーター』にも書かれていたように、二人の経済学者の「不況」に対する捉え方が全然異なるので、その点には注意しなければならない訳だが。

著者いわく、「シュンペーターは、三〇年代の大不況のときにも、それを経済システムの「適応過程」として静観するような人だったのである」。

著者のオリジナルの提案も知りたいところ

本書の意図するところは、ケインズシュンペーター、あるいは現代主流のマクロ経済学に代わる、新しい「提案」ではない。ケインズシュンペーターという、20世紀に活躍した天才経済学者について、著書を緩やかに辿りつつ、「マクロ経済学のミクロ的基礎」の如きマクロ経済学の主流だけでいいのか?と、若干の疑問を差し挟む程度に終わっている。「じゃあ、その先は?」というと、吉川のケインズシュンペーターの「総合」のような提案があることには触れたが、著者自身の提案は書かれていない。是非、著者のオリジナルの新しい提案も知りたかったところである。

現代主流のマクロ経済学への違和感

私が今更、20世紀の二人の経済学者についての本を読むのは、著者が本書の最後に述べたように「一世紀に一人か二人しか出ないほどの天才的経済学者の「思想」は、そうたやすく死ぬものではない」から、読んで、知ろうとするのである。また、別の理由もある。吉川洋の本を何冊か読んでいて、現代主流のマクロ経済学について違和感を抱いたからだ。吉川は『デフレーション』という一般向けの本の中で、「現実の経済とは何のかかわりも持たない知的遊戯に変わってしまった」と手厳しく現代マクロ経済学について評していた。尚、著者も、本書で以下のように述べている。

現代の主流派経済学がケインズシュンペーターを乗り越えてしまったと自惚れているとしたら、とんでしっぺ返しを食う恐れがないとはいえない。すでに触れたように、わが国を十年以上も苦しめた平成不況は、ケインズの「有効需要の原理」やシュンペーターの「イノベーション」のような遺産を活用せずには解明し難いものであった。

本書『ケインズシュンペーター』が発刊されたのは2007年。未だ、しっぺ返しは未だ起こっていない。その1年後、リーマンショックが起こった。この年のこの出来事に、著者の不安が的中したように見えた。それでも吉川洋の前掲の『デフレーション』によれば世界中で知的遊戯は、変わらず、主流のようだ。