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【映画レビュー】 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 監督:クエンティン・タランティーノ 評価☆☆☆☆☆ (米国)

クエンティン・タランティーノについてのおさらい

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は、アメリカの映画監督クエンティン・タランティーノの9作目の作品。タランティーノは、1992年、『レザボア・ドッグス』でデビュー以来、『パルプ・フィクション』でオムニバス形式を用いて物語を解体する映画を作り、『イングロリアス・バスターズ』で反歴史的映画を作った。彼の監督作は批評家の評価も高く、『パルプ・フィクション』でカンヌ映画祭パルムドール、米アカデミー賞脚本賞、『ジャンゴ』で2度目の米アカデミー賞脚本賞を受賞している。

タランティーノは自身が映画マニアを自称しているだけあって、彼の監督作品にはオタク的な映画の知識が散りばめられている。作品も一般大衆に受けるというよりはマニア向けの作品という印象を観客に抱かせるだろう。とはいえ彼の作品はマニア向けといいながらヒット作も生まれていて、『ジャンゴ』で4億2千万ドル、『イングロリアス・バスターズ』で3億2千万ドルの興行収入を挙げている。

尚、タランティーノは、かねてより映画を10本撮ったら引退すると公言しており、その公言通りならあと1本で引退することになる。

タランティーノによる映画に関するおとぎ話

タイトルの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』とは、「昔々ハリウッドで・・・」という意味。おとぎ話でいうところの「昔々あるところに・・・」の語り口のようであるが、その通りで、本作はタランティーノによる映画に関するおとぎ話である。本作は1969年に発生したハリウッド女優シャロン・テート殺害事件を題材として、テレビ俳優リック・ダルトンと、彼のスタントマンであるクリフ・ブースという2人の架空の人物を主軸にした物語。「昔々ハリウッドで・・・」語られるおとぎ話とは、過ぎし日のハリウッド映画界に対するタランティーノ流の賛歌である。

シャロン・テート殺害事件とは?

シャロン・テートは、米テキサス州出身のハリウッド女優。非常に美人でセクシーな魅力を持っていた。1968年、『ローズマリーの赤ちゃん』『テス』『戦場のピアニスト』等で知られるロマン・ポランスキー監督と結婚した。彼女は1969年に、カルト指導者チャールズ・マンソンの信奉者たちによって殺害された。当時、彼女は妊娠8カ月であり、ポランスキー監督の子どもを宿していたがお腹の子どもと共に殺害されてしまった。このことを知ったポランスキー監督は、滞在中の英国で泣き崩れたという。

本作ではシャロン・テート殺害事件という悲劇を題材としており、この事件を知っていることを前提として作られている。もしシャロン・テート殺害事件を知らないまま映画を見ると、単なるスリラー映画としてしか受け止められず、タランティーノがタイトルに込めた「昔々ハリウッドで・・・」というおとぎ話の意味合いは薄れてしまうことだろう。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のキャスト紹介

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』には多くのキャストが出演している。主演はレオナルド・ディカプリオブラッド・ピットの2人、シャロン・テート役にマーゴット・ロビー。ディカプリオとピットは映画初共演。

レオナルド・ディカプリオ

レオナルド・ディカプリオはテレビ俳優リック・ダルトン役で出演。彼がタランティーノの映画に出演するのは『ジャンゴ』以来2度目である。本作では、落ち目の俳優リック・ダルトンを余裕たっぷりに演じる。ダルトンは架空の人物。

ダルトンはテレビ俳優から映画俳優への移行がうまくできずに悩んでいた。仕事がうまくいかないことからアルコール中毒躁鬱病に悩む。撮影時に台詞を忘れたり、控室の車内で鏡に映る自分に向けて大声で怒鳴ったり、そうかと思えばハイテンションになったりと精神的に不安定であった。ダルトンは落ち目の中、イタリア映画に出演することを勧められ「イタリア映画なんかに!」と落胆する。しかし共演した子役との会話を通じて演技への情熱をふるいたたせたダルトンは、悪役として凄絶な演技を見せ監督から絶賛される。そしてイタリアへと旅立つのであった。

ブラッド・ピット

2人目の主人公クリフ・ブースを演じるのはブラッド・ピットである。ブースは架空の人物。ピットがタランティーノの映画に出演するのは『イングロリアス・バスターズ』以来2度目である。

ブースは精神的にタフな男である。ブースは常にヘラヘラと笑っていて穏やかそうだが、妻殺しのエピソードや、ブルース・リーを叩きのめしたシーンなどから、彼には不気味な暴力性を感じる。ブースの役柄は『イングロリアス・バスターズ』のレイン中尉よりももう少し凶暴である。むしろブラッド・ピットが過去に演じた、ガイ・リッチー監督作『スナッチ』のミッキー・オニールの方が似ている。クリフ・ブースが、映画のラストで活躍する犬を飼っているのも、『スナッチ』の犬を思い出させた。

ブースは俳優ダルトンのスタントマンで、時にはドライバーや雑用係などを務める。ダルトンにとってブースは親友である。ブースは、普段はキャンピングカーに住んでいてそこで犬を飼っている。犬は凶暴だがブースに忠実である。ダルトンの動と対照的にブースは静である。妻殺しを理由に相手から罵倒されても意に介さない。チャールズ・マンソンのカルト集団を訪れて、メンバーの不気味なたたずまいを見ても動じない。見ている私たちはハラハラしているのだが、彼はカルト集団の中をずんずんと歩いていく。この精神面のタフさがブースという男の柱である。

マーゴット・ロビー

3人目の主人公といっても良いシャロン・テートを演じるのは、マーゴット・ロビーというオーストラリア出身の女優。キャリアの初期に、マーティン・スコセッシ監督作『ウルフ・オブ・ウォールストリート』でディカプリオと共演した経験がある。ロビーがタランティーノの映画に出演するのは初めて。シャロン・テートは実在の人物で、ハリウッド女優であった。美しい女優でロビーの美貌はテートに劣らない。身長もロビーとテートはほぼ同じである。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の物語はシャロン・テート殺害事件を題材としている。映画を見る者は、シャロン・テートがいつ死ぬのか、どのようにして殺されるのかを気にかけながら見ることだろう。

テートは映画の中で、映画の女神のような存在として描かれている。街を闊歩する姿、パーティで楽しく踊る姿、そして、シャネルのカバンを持って自身の映画を見に行き「出演者なんだけど割引になる?」と聞く姿、劇場の観客の反応を聞いて喜ぶ姿など、彼女のかわいらしさは際立っている。こんなに魅力的な女性がマンソン・ファミリーによって惨殺される結末が待っているかと思うと、見る者としてはやりきれない気持ちにもなる。

アル・パチーノ

私が好きな俳優の1人、アル・パチーノタランティーノ監督初参戦。御年79歳とは思えぬ渋さで潤いでプロデューサー役を演じた。

ラファル・ザビエルチャ

ロマン・ポランスキーは映画監督でシャロン・テートの夫。テートはポランスキー以前に婚約していた男がおり、彼もポランスキーも小柄だったことから、テートの好みは知的で小柄な男と評される。作中では、ポランスキーは重要な人物としては描かれない。

マーガレット・クアリー

カルト集団の1人で、クリフ・ブースをリクルートしようとするかわいい女性。ヒッチハイクのために何度かブースの車にジェスチャーした。数度の失敗の果てにヒッチハイクに成功し、ブースにフェラチオをしようとするが「子どもと性的行為をして逮捕されたくない」と軽くあしらわれる。プッシー・キャットを演じたのはマーガレット・クアリー。

ダコタ・ファニング

赤毛の女と呼ばれる女性で、カルト集団の1人。クリフ・ブースの旧友であるジョージの愛人のような女性。リネット・フラムを演じたのは名子役として知られたダコタ・ファニングである。ファニングは、ショーン・ペンの娘役で出演した『アイ・アム・サム』での演技が評価された女優であった。子どもの頃のかわいらしい顔つきと違って、カルト集団の1人として存在しても違和感のない風貌に変わっている。威圧的な存在感は流石であった。

ジュリア・バターズ

最後はトルーディという、リック・ダルトンの共演者を演じたジュリア・バターズについて語ろう。彼女はリック・ダルトンに演技者としての誇りを思い出させる8歳児の天才子役である。トルーディを演じるジュリア・バターズの演技力が破壊的で、役者論を語ったり、ディズニーの伝記を読みながらダルトンに解説してみせたりする。彼女との会話で、ダルトンは演技者としてどうあるべきかを悟った訳なので、トルーディは重要な人物だ。

その他のキャスト

その他、タランティーノ作品の常連であるティム・ロスマイケル・マドセンカート・ラッセルが出演しているが、私はマドセンにしか気付かなかった。さらにタランティーノ監督自身もカメオ出演しているようだが、全く気付かなかった。

虚構が現実を虚構にさせること

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は、テレビ俳優リック・ダルトンと彼のスタントマンであるクリフ・ブースの2人を軸に描かれる。シャロン・テートの自宅の隣がダルトンの自宅という設定で、テートとポランスキー夫妻は、映画俳優への移行に失敗するダルトンとは対照的に、明るく、これからの時代を象徴するかのように描かれていた。

ダルトンとブースはいつも一緒にいる。ダルトンはアル中と躁鬱病に悩み、仕事があるのに酒をたくさん飲んでしまって台詞が飛び、後悔するあまり控室で鏡の中に写る自分を徹底的に罵倒する。彼は映画俳優への移行がうまくできない現状を憂い、理想的な俳優像を描いている。イタリア映画には出たくないと嘆くが、子役のトルーディとの会話によって演技者としての誇りを取り戻し凄みのある演技を見せる。

ブースはダルトンのスタントマンで、精神的にタフな男だ。妻殺しの噂がある男で、ヘラヘラ笑って穏やかそうに見える中にも狂気が垣間見える不気味な男である。だから、彼はチャールズ・マンソン率いるカルト集団の中に入っていっても動じることがない。旧友のジョージに会いたいというが、カルト集団たちは寝ているからダメだというのに無視して会いに行こうとする。「寝ているから」という言葉の裏には、ブースにジョージには会わせたくない意図があるのは明白なのに、ブースは意に介さない。この傲岸不遜の態度は恐ろしく、ブースの周りで何かしらの出来事が起こる予感を感じさせた。

ダルトンとブースの物語は虚構である。彼ら2人が架空の人物なのだから。しかし、虚構の2人がいることで『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の中の”映画史”を塗り替える。彼らの存在こそが、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』において現実を虚構にしてしまう魔術が行われる引き金になる。

映画史を塗り替えるタランティーノ監督の魔術

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は、実在の事件を題材にしている。それも、シャロン・テート殺害事件という痛ましい事件を題材にした。シャロン・テートロマン・ポランスキー監督の妻で、お腹の子もろとも、カルト集団に惨殺されてしまうのだ。

私たちはその事実を知った前提で、本作を見ている。2時間40分という長さの中で、いつ、どこでシャロン・テートが殺害されるのかが気にかかっているのだ。リック・ダルトンの俳優としての苦しいキャリアも、クリフ・ブースの不気味な笑顔も、シャロン・テートの艶やかな姿態も、全てがシャロン・テート殺害事件に行き着くことを予想する。問題は、いつ・どこでテート殺害事件が発生するのかである。

しかし、私たちは予想を覆されてしまう。シャロン・テートは殺されないのだ。現実の世界でシャロン・テートを殺したカルト集団たちは、リック・ダルトンの家に押し入るのである。現実の世界では、カルト集団はシャロン・テートの家に押し入るのだが、映画ではダルトンの家に押し入る。そして、カルト集団がダルトン、ブースを殺してテートを殺すのかと思いきや、クリフ・ブースとの激闘を経て返り討ちに遭うのだ。

映画のラスト、リック・ダルトンシャロン・テートの家を訪れる。テートの元婚約者が「何かあったのか?」とダルトンに聞いたからだ。ダルトンは紳士的に元婚約者とテートに接する。今まで隣人同士、一度も顔を合わせたことがなかったテートとダルトンは、ここで初めて顔を合わせた。いつ・どこで殺されるのか?と思っていた私たちの予想を覆し、これからの時代を象徴するテートと古い時代を象徴するダルトンが邂逅する。タランティーノは古い時代も新しい時代も、双方の映画史を愛する。そのためには、誰にも新しい時代を象徴するテートを殺させない訳だ。私は、タランティーノ監督の映画の魔術が、ここに表現されていると感じた。

もし、リック・ダルトンとクリフ・ブースがいなかったら?シャロン・テートは殺されていただろう。カルト集団が押し入った家がダルトン家であったとはいえ、これまで抑制していたクリフ・ブースの暴力性が開花することで、カルト集団は無残にも返り討ちにあったのだから。映画史では、シャロン・テートは殺される。それは映画史にとってむごたらしい現実だ。しかしタランティーノ監督が2人の男を想像することで、映画史は塗り替えられる。この結末はタランティーノ作品の中では異色で、ほのぼのと暖かみのあるエンディングであった。