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【書評】 弱いつながり 検索ワードを探す旅 著者:東浩紀 評価☆☆☆★★ (日本)

弱いつながりとは?

『弱いつながり』は、批評家・作家東浩紀のエッセイ。2012~2013年にかけて、幻冬舎のPR誌星星峡で連載されていた。150ページの薄い本ながら日々の思考と行動に対する示唆を与えてくれる良書である。

弱いつながりというのは、アメリカの社会学者マーク・グラノヴェターによる「弱い絆」という概念を援用したものである。グラノヴェターは、転職した人の満足度について調査した。すると、満足度が高かったのは意外な人たちであることが分かった。職場の上司や親せきなどのような身近な存在との関わりよりも、「たまたまパーティで知り合った」といった人の方が満足度が高かったというのである。

弱い絆とは、そういった「たまたま」「偶然」の出会いによる関わりを言う。あるいは、人との出会いに限らず、「たまたま」「偶然」の体験でも良い。自分のことを知らない「たまたま」出会った人の方が、自分のことを知らないがゆえに自分が予測不可能な転職先を紹介してくれる可能性がある訳だ。あるいは、仕事でロシアに旅行をして「偶然」買ったマトリョーシカを娘に買ってみたら、思いの他奥さんが喜び「マトリョーシカが好きだった」ことに気付かされる。弱い絆は重要なのである。

逆に、深い絆というのは、家族、友人、親戚、上司などの身近な人との関わりを言う。著者は、深い絆ばかりを重視するのではなく、強い絆・弱い絆の双方を大切にする必要があるというものである。

固定化された役割から抜け出るためのきっかけを作る

人は役割を演じようとする。ビジネスパーソンは特にそうだろう。仕事ではマネジメントやリーダーシップや専門性などの役割を求められているからだ。役割を演じるのが当たり前になり、そこから抜け出ることを非効率だと思ったり、無意味だと思ったりする。でも、それだと広がりがない。グラノヴェターが言うように、予測不可能な転職先へと自分を導いてくれないのだ。

日常は忙しい。だから、固定化された役割から抜け出ることは難しい。抜け出てみるためには、きっかけが必要になる。そのきっかけは、自分が意図的に作り出さないと生まれない。弱い絆=弱いつながりを意識して、飛び込んでみること。例えば、今まで行ったことのない飲み会に出てみるとか、趣味のセミナーに出てみるとかでも良い。弱い絆は人との「たまたま」「偶然」の出会い・体験によって、思考・行動に変化を与えてくれるのだ。

観光客になって見知らぬカフェで「弱いつながり」を見つけよう

著者は、所属するコミュニティがたくさんあっても、それら全てに役割を合わせる必要はないという。コミュニティから遠ざかるのではないが、適度な距離を保ちつつ関わるのが良いのである。そういった関わり方を、著者は観光客という概念で説明している。

所属するコミュニティがたくさんあるのはいいことです。ただ、そのすべてにきちんと人格を合わせる必要はない。話も全部は理解する必要はない。一種の観光客、「お客さん」になって、複数のコミュニティを適度な距離を保ちつつ渡り歩いていくのが、もっとも賢い生きかただと思います。

なぜ観光客が良いのか。

観光客に対置するのは村人で、1つの場所に留まり続ける定住者である。村人は複数のコミュニティに関わろうとせず、例えば、会社と家の往復で多くの時間を費やしてしまう。複数のコミュニティに関わろうとしない。それでは思考も行動も変えることもできない。

では、旅人はどうか。旅人は積極的に複数のコミュニティに関わろうとする。複数のコミュニティで求められる役割について、個別に役割を演じていくのだ。だが、個別に役割を演じることは体力の消耗戦になってしまい、端的に疲れる。それではダメだ。

そこで、観光客の概念が出てくる。弱い絆を求めるために、複数のコミュニティに関わり、適度な距離を保ちつつ渡り歩いていく。普段は妻に任せている近所の人づきあいに参加し、パパ友を作るのはどうだろう。意外と、仕事に関連性のある人と出会えるかもしれない。あるいは、1人旅をする。見知らぬ観光地へ行って、面白そうなカフェを見つけてみるのも良い。見つけたら、中に入ってマスターとゆるく話し、「弱いつながり」を見つけてみよう。

検索は強い絆を強くする

著者は、インターネットでの検索は強い絆を強くするといい、これは慧眼だと感じた。インターネットで検索することは、新しい何かの情報を得るために行うことである。新しい情報に触れる訳だから弱い絆のような気もする。しかし、自分の検索の仕方を思い返せば、強い絆を強くしていることが分かるだろう。

例えば、Googleで「ペット」について検索しようとする。すると、検索したい言葉に関連性のある記事と、関連性のない記事のいずれかを読むだろうか?当然、前者である。いや、むしろ、前者しかあり得ないと言っても良い。なぜなら、Googleで「ペット」と検索すれば、何ページにも渡って関連記事が出てくる。そう、”関連”記事が出てくるのである。関連しない記事は出てこない。つまりネット検索では弱い絆を強くするよりも、強い絆を強くしてしまうのだ。固定化された役割、思考、行動。そこから人間を解き放ってはくれない。

副題と帯への違和感

本書は、以上のように、弱い絆・強い絆を対比的に考えていくために示唆に富んでいる。面白いエッセイなのだが、副題に「検索ワードを探す旅」とあり、帯には「グーグルが予測できない言葉を手に入れよ!」とあり、これらに違和感を持ってしまうのが残念だった。副題と帯を読むと、インターネットに関連するエッセイかと思うだろうが、実態は人生論である。

もちろん、インターネットについては、「検索は強い絆を強くする」で述べたような知見を得ることができる。しかし、それらの知見は主ではなくて従だろう。クローズアップすべきは、グラノヴェターやネットワーク理論などに基づいた人生論なので、それらがイメージできる副題・帯にしないと読み手が混乱してしまう。

まあ、それを差し引いても、休日の日曜に寝転びながら読むのにはちょうど良い薄さだし、そんな風に適当に読んでみたら意外と示唆に富んだ知見に出会える本ではある。薄いゆえに満足度は高くないけれど、それこそ「たまたま」「偶然」に良書に出会ったという意外性を味わうことは可能である。