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【書評】 潤一郎ラビリンス<1> 初期短編集 評価☆☆☆★★ (日本)

 

潤一郎ラビリンス〈1〉初期短編集 (中公文庫)

潤一郎ラビリンス〈1〉初期短編集 (中公文庫)

 

 

谷崎潤一郎の初期短編集。初期短編の中でも有名な『刺青』をはじめ、『秘密』『少年』『麒麟』『幇間』『飇風』『悪魔』『恐怖』の8編を収める。その中でも出来が良いのは『刺青』で、女性の官能性の前に拝跪する男性の姿が描かれる。性的倒錯や足のフェティシズムなどが描かれ、江戸川乱歩が谷崎ファンであったのも肯ける。『刺青』は「しせい」と読み、「いれずみ」とは読まない。

『刺青』は、長編『痴人の愛』などと共に、関西移住前の谷崎の唯美主義的な思想を顕著に表した象徴的な短編であろう。本書に収められている他の短編にも、読むべきものはあるが、無暗に長かったり、物語の構成がいびつだったりと、完成度は高くないものがほとんどだ。その中でも『刺青』は、出色の出来である。

 

谷崎潤一郎の初期短編を読むと、漢文の素養が如実に現れていることがよく分かる。芥川龍之介の短編も、漢語がよく出てくるが、芥川の場合は知的で理性的であって、唯美的であったり官能的であったりすることは少ない。『刺青』の美女が初めて登場する場面で、「足」の美しさを限りない賛辞をもって表現するのだが、それに使用されるのが漢語で、文章を読んでいるだけでも美女の官能的な美しさが「足」に収れんされていくのが理解される。

 

美女の背中に女郎蜘蛛の刺青を彫っていった彫り物師は、遂に自分の理想的な女性の背中に、刺青を完成させた時、美女から「お前さんは真っ先に私の肥料になったんだねえ」と言われる訳である。そして、美女が、燦爛たる背中を朝日に輝かせるところで、物語は結末を迎えた。この見事な物語のラストを見て、私は芥川の『羅生門』のラストの一文、「下人の行方は誰も知らない」と並んで、読む者に深い余韻を残すほどの詩情が表れていると感じた。

 

 

『刺青』以外に私が好んだのは『少年』で、これは『刺青』ほど完成度は高くないが、妖艶なインパクトを残す。『刺青』と共に、何度も読み返したことのある作品だ。

 

『少年』は、付き添いの女中と共に登校する気の弱い少年の家に遊びに行った主人公が、家では学校とうってかわって嗜虐的な表情を見せる少年に引き込まれていく物語である。私はこの作品を読んで、藤子不二雄Aの漫画『魔太郎がくる!』のいくつかのエピソード(むろん、主人公魔太郎に敵対する少年である)を思い出したが、確かに、学校では気が弱いのに、家では暴君とも言えるほどの嗜虐性を発揮する子どもという設定は、『魔太郎がくる!』のキャラクターによく似ている。

 

少年は、資産家の息子なので、その資産家に仕えている家の息子をも、手玉にとっている。彼は上級生で、腕白なガキ大将なのだが、少年の前では奴隷のように隷従している。親のビジネスの関係が子どもの関係に影を落とすというのは、一見すると哀れなものだが、嗜虐的な少年の狼藉を描く谷崎の筆はエキセントリックなまでに乗っているので、悲壮感は全くない。

 

『少年』で興味深いのは、妾の子である姉の光子の存在である。光子は最初はたおやかに描かれているが、徐々にその本性を現し、最後は『痴人の愛』のナオミになる。しかもサディスティックな少年(つまり弟)を奴隷にするために、主人公とガキ大将まで手中に収める始末だ。最初は、少年と共に主人公とガキ大将は、姉の光子を虐めていたのであるが、終盤になって、別館の開かずの間に足を踏み入れたところから、光子の復讐が始まる。開かずの間では、まるでSM小説のように、手足を縛られたガキ大将を目にすることになるのだが、そこで主人公ともども、光子の言いなりになることを誓約させられ、味方を失った少年は、光子の奴隷になってしまうのだ。この誓約には、『痴人の愛』の譲治とナオミとの誓約を想起させることだろう。余談だが、こういうSM的な素材は、恐らく乱歩も好きだったはずである。

 

 

他の作品で見るべきは『秘密』だ。これは、ある美しい女と逢瀬を重ねる男の物語である。ただし、女の住処は全く知らされず、車に乗りながら男は、目隠しをされて女の家に向かうのである。舞台は東京都内だが、場所を知られないように堂々巡りをしたり、遠回りをしたりしているので、全く住処をつきとめられない。どこに女の住処があるのか分からない、「秘密」の関係に興奮する男は、女との逢瀬を楽しんでいく。しかし、ある時、少しでいいから目隠しをとることを許された男は、その瞬間的な周囲への観察から想像をめぐらし、女の住処をつきとめてしまう。すると、「秘密」の逢瀬はもはや退屈なものになり、男は女を見捨て、別の快楽を求めて去っていく。

 

これも藤子不二雄Aの『笑ゥせぇるすまん』のエピソードの1つにあってもおかしくないような物語だが、さすがに横道に逸れ過ぎるか。『刺青』のような完成度もなければ、『少年』ほどの諧謔がないので、物語の特異性で読み手を官能的な世界へと誘うに過ぎない。そういう意味ではあまり好きな短編ではないが、この特異性は悪くはない。

 

他の短編は、似たり寄ったりの若気の至りのような出来で、谷崎ファンの私は楽しめなくもないが、一般の読者には厳しい評価が下されるかもしれない。そういう意味で評価は☆3つとした。