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悪の法則

映画『悪の法則』を観た。

欲のため、麻薬ビジネスに手を染めた裕福な弁護士(カウンセラー)が、なすすべもなく地獄に転落していくというストーリー。

宿敵マルキナを演じるのがキャメロンディアスで、主人公カウンセラー役にはマイケルファスペンダー、恋人役にペネロペクルス、マルキナのパートナーで、カウンセラーのビジネス上のパートナーでもある実業家役にハビエルバルデム、カウンセラーたちと組むウェストリー役にブラッドピットと、キャストはそれなりに凄い。

ただ、ネームバリューはあるがストーリーを操るメフィストを演じるにはカリスマ性も知性も非情さも感じにくいキャメロンが宿敵で、また、ただただ弱いだけのファスペンダーが主人公では、対立の構造が伝わらない。
この二人のどちらかに演技の凄みがあれば、もう少し俺も対立の構造を感じとることができただろうに、そうでないから彼らが何をしようと共感できない。
映画はスクリーンに写るものだが、共感できれば映画と観客との距離は縮まる。
自分も、カウンセラーなり、宿敵マルキナなりに、どこか共感することができる。
しかしそう描かれていないから始末が悪い。

例えば、「欲」に駆られて麻薬ビジネスに手を染める主人公が地獄に転落するというなら、カウンセラーが貪欲であるシーンを描かなければ、彼が地獄に堕ちるストーリー展開を描かれても、どうせ他人事のようにしか見えない。

つまり主人公カウンセラーが自分の欲を満たすためだけに麻薬ビジネスに手を染めることで、彼がエゴイスティックである描写がないと彼がどうなろうと知ったことではないのである。
あれだけエゴイスティックな奴なら、地獄に堕ちてもしょうがないと思わせる描写がないと、恋人が殺されてゴミ処理場に捨てられても、ざまあみろとは思えないし、かといって同情も出来ない。
行きたくもないのに美術館にでも行かされて、関心のない絵を見せられた時のようにどうでも良い。

宿敵マルキナにしたって、マルキナ自身がマフィアの情婦レベルの雰囲気しか匂わせていない癖に、マルキナのパートナーにはやたら奥が深い人物であるかのようなセリフによって、どこか神格化されているのは無理がある。

この映画がつまらないのは、主人公カウンセラーと、宿敵マルキナを演じたキャストがつまらないのと、キャストの演技力がないのなら、ないなりに演出でカバーしなければならないのにそれもやっていないことだ。