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【書評】 斜陽 著者:太宰治 評価☆★★★★ (日本)

斜陽 (角川文庫)

斜陽 (角川文庫)

『斜陽』は太宰治の代表作のひとつで当時のベストセラー小説にして、筆者が最も嫌いな小説だ。もうひとつの代表作『人間失格』はまあまあだったので、これも面白いのかと思って手に取ったら、読んだ自分を軽蔑したくなるほど退屈な作品だった。

何より嫌なのは文章が堕落しきっていることである。谷崎潤一郎のように、地の文において気品のある日本語を多用して、上流階級を描くことに太宰は関心を示さない。ひたすら名詞に「お」を付けることで、主人公かず子一家と、平民との格の違いを惨めにも表現しようとするのだ。敬語が発達している日本語ならいくらでも上流階級らしさを表現し得るのに、太宰は「お」を付ける程度でお茶を濁す。仮にも小説家なら豊富な語彙力によって文章に技巧を凝らすべきだ。


また、主人公かず子の行動は極めて軽薄で、吐き出されるセリフが不快感を催すほどに下劣である。

何しろ人生を評して、「人生は恋と革命のためにある」というのだから。
こんなセリフは、ギャグとして言うか、少年少女が若気の至りで書いてしまう時のセリフであろう。しかし太宰は、40歳近くにもなって、一切の恥じらいもなく主人公のセリフとして語らせる。こんな厚顔無恥の感性は、筆者には無い。このように自分に酔っているだけの駄文の連続には、1分1秒でも時間を費やしてはならない。

かず子は直治という愚弟が尊敬する作家に、手紙を書く。結びの差出人のところがM・Cとしているのだが、その意味が手紙ごとに変化していって、「マイ・チェーホフ」だの「マイ・コメディアン」など、気取り過ぎも良いところだ。これは『斜陽』が象徴する気取りであって、自分に酔った文章が連綿と続く。それが『斜陽』だ。

働かないで暮らしているかず子一家なのだが、金がないから結婚するだの、モノを売って生活の足しにするだの、労働を軽侮する行動には極めて不快だ。かず子の労働に対する価値観を読むごとに、罵倒してしまいたくなるほどである。別に筆者は働かないことがいけないとは思っていない。かず子が、労働を軽侮しているところが気に入らないのだ。働かなくて生活ができたり、敢えて働かない生き方を選ぶのは構わないが、労働を軽侮してどうする。かず子は、現実から離れて、夢の中に生きる人間のようである。

このように、虫唾が走るところは枚挙に暇がない。

鹿嶋田真希の『六〇〇〇度の愛』とか青山七恵の『ひとり日和』も駄作だが、太宰治の『斜陽』を前にしてはまだ読む価値がある。

この小説で褒められる点は1点だけ。

筆者が読んだ『斜陽』は角川文庫版で、解説は角田光代なのである。角田は、かつて太宰の小説が好きで読んでいたが、『斜陽』の良さだけは分からなかった。また、年を経ると共に太宰の作品を読むことを恥ずかしく思うようになり、遂には読まなくなってしまった。

しかし、二十代、三十代となり、様々な人生経験を経て『斜陽』の良さに気付くことが出来た。その気付きを軸に、味わい深く解説にしている。あたかも小さなエッセイのような苦さと軽やかさが混合した、良い解説だと思う。こんな短い文章でも角田らしい個性を出せるのは凄い。

筆者は太宰の『斜陽』の良さを三十代の現在でも理解出来ないが、角田が太宰作品を読み、読むことを止め、そして再び読むようになった過程はセンシティブで面白く、理解することが出来る。『斜陽』を読むことは、虚無的な気持ちに陥らされるけれども、角田光代の解説文は、読むことで意味があると思う。この解説文が読めることが、唯一本書を評価出来る点だ。