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【書評】 人魚の嘆き・魔術師 著者:谷崎潤一郎 評価☆☆★★★ (日本)

人魚の嘆き・魔術師 (中公文庫)

人魚の嘆き・魔術師 (中公文庫)

『人魚の嘆き・魔術師』は絵本のように美しい

『人魚の嘆き・魔術師』は、谷崎潤一郎の短編小説集。文庫にして100ページほどの薄い本。1917年に発売され、谷崎の初期に位置する耽美主義的な作品である。挿絵はオスカー・ワイルドの『サロメ』のビアズリーを思わせる水島爾保市の作品である。耽美的な絵本のような美しさを誇る。本書は、現在では中公文庫で買えるが、表紙にビアズリー的なイラストが描かれていて、絵本のような美しさを引き立てていた。

「人魚の嘆き」は西洋崇拝的

「人魚の嘆き」は中国の古い時代の貴公子の物語。谷崎の西洋崇拝の一種。贅の限りを尽くし、富も名誉も、美しい女性も、全てを手に入れた貴公子は、自らの命と引き換えにしても美に拝跪したいと思っていた。しかし、何をみても彼の心は満たされない。7人いる妾たちは皆美しいが、彼の心は乾いたままである。

ある時、貴公子が外を眺めていると、ある西洋人が歩いている。聞くとオランダ人だという。何しに来たかといえば、貴公子に謁見しに来たのだ。貴公子が美しいものに惑溺したいということを知っている西洋人は、貴公子にあるものを見せる。それは「人魚」だ。人魚の美しさに惹かれた貴公子は、ただちにそれを購入するが、その時、西洋人は「人魚」は西洋では珍しいものではないと言う。「人魚」は西洋の美の象徴なのだ。

「魔術師」は絵空事

「魔術師」は「人魚の嘆き」同様に、ビアズリー的な挿絵が耽美主義を強調する。しかし、公園にあるという小屋の描写はあまりリアリティを感じられず、そうかといって現実を超越した存在感がある訳でもない。文章に綴られた絵空事が展開されているようにみえ、出来は悪い。

『人魚の嘆き・魔術師』は漢語が多用されるもストーリーが退屈

「人魚の嘆き」にしても「魔術師」にしても、題材は異色ながら、耽美主義的な小説であることは変わりなく、読んでみるとさほど奇妙な作品でもない。しかも、退屈といえばずいぶん退屈なストーリーで、小品といった格好である。「人魚の嘆き」は人魚を海に放流して終わりという不可解な結末で、著者にもっと想像力があれば評価し得たかもしれない。漢語の多用による退廃的な美は良いが、ひとつのストーリーとしてまとめられていないので、読後の歯切れが悪い。

「魔術師」は恋人同士が半人半獣になり、お互いに角を絡み合わせ二度と動けないようにして終わりという、粗雑な結末である。男主人公がどうして「魔術師」の意のままになり、魔法をかけられて半人半獣になったのか、その心理的な流れがまるで描出されていない。魔術師の小屋があるという、公園の描写は漢語を多用して魅惑的な世界を構築しようとしているが、著者に公園のイメージができておらず、うまくいっていない。「魔術師」は「人魚の嘆き」よりも出来が悪く、この作品だけなら☆1つだ。