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【書評】 奇妙な廃墟 著者:福田和也 評価☆☆☆☆★ (日本)

昨日書いた「イデオロギーズ」と平行して福田和也の「奇妙な廃墟」を読む。こっちは文芸批評ではなく評論・研究書の様な文のスタイル。

さて「奇妙な廃墟」は1989年に出版された福田和也のデビュー作で、副題にフランスにおける反近代主義の系譜とコラボラトゥールとある様に、第二次大戦中におけるフランス文学者の対独協力をした者について書かれている。俺はこういう文学者をなんて呼んだら良いか分からないが、ファシスト作家とでもいえば良いのだろうか。

福田和也というと保守系の文学者というイメージが強いが、デビュー作からファシスト作家を扱っていたと思うと、保守と言うよりもファシズムへの親和性が強いのだろう。福田の文章は、「甘美な人生」「南部の慰安」など非論理的で芸術的な文章があり、結構苦手だった。小林秀雄にイメージされるような批評家という感じがする。捕手だということで一応読んではいるが、芸術的過ぎて何を言いたいのか明快ではないところが困る。

そういう意味では、研究書スタイルの「奇妙な廃墟」は読み易い。福田はこの本を、7年の歳月を費やして書いたという。

ファシスト作家への憧憬は、この頃から今に至っても尚、あるのだろうか。「南部の慰安」を試しに読むと、「ファシズム的な共同原理--社会学的、人類学的技術にもとづく本来性の回復――は、今日でも有効」と言っていて、ちょっと怖い。但し、「国民国家の規模で実現する可能性」は、「西側先進国ではほとんど有りえない」としてはいる。でも、何となく、ファシズムへの憧れは、彼の中にあるようだ。最近は福田の本はひろっていないので分からないが、この感覚が尚も残ったままで保守だと言われると、空恐ろしい感じである。

福田は「南部の慰安」の中で、「伝統への喚起からではなく、唯物論的な闘争の意識から、超歴史的な持続の感性を回復する事。日本の文芸の復興を、敬虔な文化主義ではなく、卑俗な言語の暴力、テロルにおいて実現する事」を目指したい、と言っている。卑俗な言葉の暴力というのは、表現そのままで、お行儀の良い言葉ではなく、卑俗な言葉を使って、日本の文芸を復興したいっていうことなのだろうが、それにしても、選択する言葉のセンスが凄い。「テロル」において実現される文芸って何だよ。だから中原昌也みたいにめちゃくちゃな文章を書く小説家に三島賞を与えるんだろうな。

なんだってこんなところで「唯物論的な闘争」なんていう言葉を使うのか?センスの悪さというよりも、やはり空恐ろしい感じは拭えない。この人は何を目指しているのだ?

「奇妙な廃墟」自体は、「南部の慰安」みたいに訳の分からない言葉が並んでいる訳ではない。学術的な価値はどれだけあるのか知らないが、福田和也という、高名な日本の文芸評論家のデビュー作ということで、文庫化までされている。

「奇妙な廃墟」は面白い本だと思う。アクションフランセーズとか、ナチスに協力したフランス文学者とか、ファシスト作家の臆面が見えて面白い。福田の筆も乗っていて、彼の思想的な背景の源泉はここにあるのだなあと思う。