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殺したがるばかどものメッセージは、日弁連の確信犯的使用

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10月6日、日弁連開催の死刑制度シンポジウムの中で、小説家の瀬戸内寂聴氏が「殺したがるばかどもと戦ってください」等と暴言を吐いたことに対して、7日の人権擁護大会において日弁連が「被害者への配慮がなかった」と謝罪した。

日弁連が謝罪…瀬戸内さん「殺したがるばかども」発言で「被害者への配慮なかった」 (産経新聞) - Yahoo!ニュース

 

日弁連は、問題となった寂聴氏のビデオメッセージについて、「殺したがるばかども」の発言の意図は「死刑制度を含む国家の殺人のことであり、犯罪被害者へ向けられたものではないと考えている」と説明したが、無理がある。シンポジウムは死刑制度反対派限定のものではないから、犯罪被害者の会のメンバーやその支援弁護士等がいたことを踏まえられるから、このビデオメッセージを流せば死刑制度支持者がどう考えるかは容易に想定できただろう。

 

それにもかかわらず流したということは、意図的に死刑制度支持者に対する批判的なメッセージであったことは十分に想像できる。死刑制度支持者といっても様々だが、上記に述べたような犯罪被害者(遺族)という、直接的に殺人者に家族や友人等の近しい関係者を殺害された者がいる場で流せば、彼らにも心理的なダメージが与えられるだろう。そのくらい安易に死刑制度支持者の心情への配慮が欠けた攻撃を施してしまうことに、日弁連と寂聴氏の恐ろしさがある。

 

日弁連はこうも語っている。

「『ばかども』という表現は確かに強いと感じたが、瀬戸内さんの思い切りよい持ち味でもあり、そのまま使うことになった」と。

シンポジウムに死刑制度支持者が参加することが想定し得る以上、メッセージの表現に問題があれば撤回するべきだが、日弁連は「ばかども」という表現が強いとしか感じられず、しかも寂聴氏の思い切りよい持ち味と認識してメッセージを流したというのだから、この言葉をそのまま信じれば単なる誤りであったと捉えて欲しいと言っているように聞こえる。

しかし、繰り返すが、シンポジウムに死刑制度支持者の参加が想定し得ること以上、彼ら彼女らがどう感じるかということを想定し得なかったはずがない。

ということは、日弁連は確信犯的に寂聴氏のビデオメッセージを流したのである。死刑制度支持者の心情への配慮を無視してでも自らの価値観を訴えたかったに過ぎない。