好きなものと、嫌いなもの

書評・映画レビューが中心のこだわりが強いブログです

ドストエフスキー『悪霊』1巻・覚書 

 

悪霊 1 (光文社古典新訳文庫)

悪霊 1 (光文社古典新訳文庫)

 

 

19世紀のロシアの大家ドストエフスキーの『悪霊』の1巻を読み終わった。通常なら3巻まで読了してから書評を書くべきだが、何しろ1巻だけで500ページもあるので、メモ程度に残したくなった。同じく大作を書く村上春樹だったら、こんなことは思わないのだが、俺の青春時代の師匠(?)たるドスト氏の代表作(の1つ)なので、覚書を書いておきたい。

 

■一人のセリフが非常に長く、思想もそれぞれに異なる人物が多数出て来る。バフチンポリフォニー論が示すように、人物の思想が否定されずに尊重されているので、多面的な視点から思想が語られ、また物語の様相が複雑に語られていくプロセスを見ることができる。主人公であるはずのニコライ・スタヴローギンの登場シーンが少ないことも、その多面的視点・複雑なストーリーテリングのプロセスを、物語っているだろう。

 

■1巻では、主人公ニコライ・スタヴローギンの出番は多くないが、インパクトがものすごい。決闘で人を殺したり、人の耳をかみちぎろうとしたり、やりたい放題である。殴られても平然とした立ち居振る舞いをして、恐怖感ゼロという設定なので、美男子で背も高いものの、異様に不気味なのだ。女たちはニコライに騙されるが、敢えて騙されるようなところも感じさせられる。

徹底したニヒリストとして語られるニコライの描写は、血が通っていない機械人間を見るようで恐ろしく、こんな人間がカリスマ性を持ってしまうこの小説『悪霊』は、これからどうなるのか読みたいような、読みたくないような、そんな曖昧な欲望を抱いてしまう。

 

■ニコライの母ワルワーラ夫人は、1巻での出番は多い。ヒステリックでかなり強圧的な人物。資産家で、ヴェルホヴェンスキーという知識人を屋敷に住まわせている。この人物のヒステリーが面白い。

 

■ステパン・ヴェルホヴェンスキーは、ピョートルという息子がいる元大学教授の知識人。この人物もワルワーラ夫人の手玉に乗せられているようで、知識人としての矜持も併せ持つ個性的な男だ。

 

翻訳は亀山郁夫。彼が解説で述べているように、第一部は「世界がいま崩壊しはじめている、という漠たる予感」によって支配された物語である。その中心の軸にいるのはニコライなのだが、上に挙げた人物のほか、リビャートキン大尉やシャートフ、キリーロフなどの言動によって、世界は混沌としていく。

 

亀山によれば本作はドストエフスキーの『地獄篇』だという。

自殺者3人、殺される者6人、病死者2人などおびただしい数の人間の死が描かれる。しかも第一部を読み終えるだけでは、まだ悲劇の始まりしか描かれていないというからグロテスク極まりない作品と言えるだろうが、グロテスクさは本作の一側面でしかなかろうが。